自転車が数台から十数台いつも止められている場所に、なぜか先日は一台もなくて、スタンドが落ちていた。ちょっと土手を降りたら近鉄『MOMO』の自転車置場があるのに何故か土手に止める人達がいたのだったけれど、一台もなかったのはなぜだろう。
近鉄『MOMO』はもうすぐ廃業することが影響しているのか、行政が取り締まりをして撤去したのか、どちらかだろうか? スタンドだけ残るってどういうことだろう。ミステリアスだ。
自転車操業と言うくらいのものですから、スタンドが無い自転車は立っていられない訳で、スタンドを失くした自転車はずっと走っているのだと想われます。ブレーキはあっても、止まれないのですから、時にはゆっくりと時にはヤケクソに時には下り坂を惰性だけで、とにかく走り続けている自転車なのでありましょう。
マキビシのような紋は京都市営地下鉄章。京都市公園という銘板もあったことを以前に取り上げた。今回は地下鉄もあると解った。入札では、同じ地べたの工事でも管轄が別扱いの筈だから、きっと落札業者工事業者も違うだろう。
そこに宇治市の管轄する地べたも食い込んでいる場所があった。鋭角に銘板をカットして使っていて、精一杯の主張。それに比べると、一番下の画像の京都市ばかりの銘板三つは、どう見ても一つ余分ではないのか?一つ余ってしまったから、え~い二つ並べて使っちゃえ・・ということではないでしょうね!?
アメリカ南部に四州が接している地点があるそうで、両手両足を四州に置くポーズの人を何かの画像で見たことがある。四つの銘板が、田の字に組み合っている場所が私の行動範囲にあるだろうか。見つけたら、四つの矢が角を指しているのを真上から指差している画像を撮るべしだ。
どう検索したら判るだろうかと考えて『メロンパン』を連想したから、その線でいったら、『puff ball』とかホコリタケなどと出た。ホコリタケなら、子どもの頃に焦げ茶の丸いキノコを見つけると、枯れ枝でポンポンとたたいてケムリのようなホコリのようなものを出して面白がったものだった。
今回見つけたものは巨大だ。10センチ位あって、これが本当にホコリタケで、さっくり切れて、中身がいかにも食べられそうだったら、それは食用になり美味しいらしい。確かに毒キノコには見えないけれど、本当に食えるのか?
草刈りがなされて綺麗になった日なたの土手に一個だけ生えていた。少し先に、軽くまたいで入れる場所があったので、30度以上もありそうな傾斜を滑りそうになりながらたどり着いて撮った。撮っただけで、あとは何もしない。食えるかもしれないと、帰宅して調べて判っても採りに行く気にはなれない。
またそこに行く機会(といっても散歩コースに入っているのだけれど)があったら、どうなっているか確認したい。すっかり枯れ色になっていたら、思い切りたたいて、胞子を分散させたい。いつか採って食うために。
危険な場所なのである。下には糞の帯ができているのです。同じ電線でも鳥が止まる場所とそうでない場所があるわけで、運よく電線に沿った畑のウネがあったとしたら、隣りのウネより格段に作物の収穫が良かったりして。
ここは橋の上で、糞帯はその歩道の半分を占めているのです。飛び散ったりもしてますから、ここをよく通る訳知り人は欄干に身を寄せるようにしてそそくさと端を渡るのであります。
一休さんのとんち話を想い出しました。『この橋渡るべからず』という御触れがあるにもかかわらず一休さんが、橋を渡ってきて、それをとがめると『はしを通らず真ん中を通ってきました』と言うのでしたが、そんな屁理屈に感心する方も感心する方ですなぁと思うようなひねくれ者になりました。
山科川の土手に咲いてるのを観ることができた。先日のさる公園のものより色が少し薄くて、薄紫っぽい。やはり焦点が合いにくい。自動焦点の装置はこういう形に焦点を定めるのが苦手のようだ。
奥の花に焦点が合っている。玉はつぼみだと解った。そうして、他の木も観てようやく解ったのだけれど、実はもう少し大きくて緑色の玉になるという事。
でも実が熟したら黒か茶色になるのかな? その内、解るだろう。種を蒔いたら簡単に生えてくるのかな? 色んな色があるということは、交配させたり選別したりで、比較的簡単に猿の種類ほど色違いを創り出せるのかな? などと想うだけ。
精霊舟に似ているから、こう名付けられたとか。他のバッタと比べたらユニークな頭だ。緑色が一般的だと思うけれど、この個体の茶色のデザインのシブさはどうだ。
日本のバッタの中では最大だというけれど、細長いだけで体積や体重ならトノサマバッタの方が上ではなかろうか? ショウリョウバッタは鈍いのか、子どもの頃から手づかみでいくらでも捕れた。捕ったら必ず後ろ足を持って、しばらく機織りをさせてから逃がす。
これは捕まえてみて、最大級なので機織りをさせる気にはならなかった。細い脚に負担がかかりすぎる気がしたし、この模様に感心してしまったから画像に撮ることで十分満足した。散歩コースの山科川土手でのこと。
このアカメガシワという木はどこにでも生える。前から名を知りたかったのだけれど、今回この画像を撮ってからどうしても知りたくなって、色んな検索をしてようやく赤芽柏にたどりついた。
斑入りなのかと思ったけれど、斑入りのアカメガシワの画像とは違った。普通に白と緑のマダラ模様が斑入りだ。この葉っぱは斑入りとは言わないのだろうか? 南国の植物っぽくてイカしている。葉っぱの病気だろうか? 変異だろうか? ものすごく珍しいのではないか? 新発見ではないのか?
園芸種として流行るかも知れない。これは誰のものでもないという場所に生えていた。林縁種のように緑の最前線といった形で生える邪魔な木で、ウチの小さな庭にも生えて引っこ抜いたことがある。鳥の体内をくぐってばらまかれる種なのだろう。これは挿し木か種を採集するかして、植木として育てたら面白いかも知れない。こんなことを書いたら、それだけで満足して行動にはおこさないだろうけれど・・・。
枚方小水。バランスよく四文字ずつに分けたら、こういう誤解をする人もいるので、あえてアンバランスにしてしまったのだろうと思われる。『ひらかたしおすいべん(枚方市汚水弁)』なんてしたら、『枚方小水便』なんて曲解して面白がる人もいるだろうから、決してそういう案で決まりそうになることもなかったのだろう。
枚方菊人形展の菊は解る。その下のイカダのようなものは何だろう。枚方は大阪に材木を運ぶ操筏師?(竿師と言うのだったか?)を多く派遣する地だったのか? 材木は木津川の上流からイカダに組まれて大阪に運ばれたのか? すべて推測空想でしかないけれど。
右下は田んぼで働く農夫のように見える。その右はひらがなのように見えるけれど、何とも読めない。枚方に詳しい人の先入観からなら簡単に読めるのかも。下は渡し船か? 部外者から見ると謎解き絵になっていて、なかなかに粋だ。
サルスベリの花は、どういうわけか上手く撮れたためしがない。全体としては綺麗なのに部分的に見ると、ぼやーっとしていて焦点が合わない感じ。この画像は地上1m程にある枝なので、私にすれば比較的うまく撮れた。
一番一般的なサルスベリの花は真っ赤だけれど、これは赤紫か? 今までに濃い紫色と白とピンクのサルスベリも見たことがあるから計五色。もっとあるのかも知れない。
茶色い玉は実か? 今まで自分のテリトリーにサルスベリが有ったことがないので、観察記憶がなくて知らない。調べたらすぐわかるけれど何だろうアレかなコレかなと推理想像する過程を書くことも、このブログの目的。玉はもしかしてつぼみ? 黄色いのは雄しべ? 自分でちゃんと観察してからWikipediaを読むことにしよう。
この看板を見て『オヤ?』と思う人もいるだろう。
①枚方市は野球とサッカーを危険な球技の代表的なものとみなして禁止している。(市立施設であれば学校等でも同じ)
②この公園で野球とサッカー等の球技をやると、立木にぶつかって怪我をする恐れがあるのでやめておきなさい。
③この公園で野球とサッカー等の球技をやると、他の公園利用者にも怪我をさせる危険があるのでしてはいけない。
④危険な球技は禁止。(他の競技は判断基準がないので自分の判断ですること)
⑤野球・サッカー等の球技は他の公園利用者を巻き込んだ事故を起こす可能性があるので禁止する。
⑥常識的に危険な行為は禁止されるまでもなく公共の場である公園ではするな! (例えば、野球やサッカーなどはもってのほか!)
以上が考えられる。
ある公園と書いたが、たまたま時間つぶしにぶらぶらして出会った『車塚公園』。子どもが水遊びするような、バリアフリーの噴水があった。子連れもいなかったし、周囲のウォーキングコースを歩いている初老が二、三人だけだったので、この看板が一番目立った。
公園に禁止事項をでかでかと掲げてあるのを見させられると興醒めだ。傍若無人に全力で遊んだ人たちがいて、それを禁止して欲しいと市役所に電話した人がいて、事故の責任を免れるためになり振り構わない看板が設置されるという構図だろう。
ボランティアの巡回員が危ない行為があれば注意する。強い権限などはないが、二人一組で定期的に環境保全目的で見回り、あとは利用者・市民の良識に任せる、というような緩やかさになぜできないのだろう。
『・・・禁止!』と強くでるイラダチは、よほどの事故があり、市の責任だと訴えて裁判になった例があり、痛い目にあった憤懣が表れている文言なのかも知れない。『公共の福祉を何と心得るか!』と枚方市民ではないけれど、誰にともなく怒ってみる。
駆除対象の外来種にしては、おっとりとして人目をはばからずに平気で現れる。夜行性ではなかったのか。これは外環状線の新六地蔵橋の上から撮った。ここを通るときは何かいないかと、必ず川を眺める。カルガモが居たり、どこかから逃げ出したと思われる錦鯉が居たり、アカミミガメが居たりするけれど、もっと上流では何度か見たヌートリアが見られた。
下流から川縁を泳いできて、よどみで草が生えている陸地に上がり、のそのそ歩いて橋の下に消えた。上空に気をつけようという習性はないのか、橋の上から降る車の通行音も気にせずマイペースだ。害獣として嫌われることがなければ、可愛いばかりの感じだ。デジカメで撮ったのにうまく撮れなかった。iphoneの方が良かったかも知れないけれど、ストラップを付けていないので落としてしまわないかという恐怖からの無意識的選択。
ネットでちょっと見たら、肉がすばらしく美味しいらしい。でも害獣だからと無闇に成敗するのもいけないとか。狩猟期があったり、専門の駆除員がいたりするようで、鴨川でも黙認できない位に自然繁殖してしまったので捕獲に踏み出すそうだ。よく馴れていて餌やりを楽しむ人も多いそうだけれど捕獲したヌートリアはどうするのだろう。納涼床でジビエ料理として売り出される事になったという話は聞かない。
夏の名残に、相次いで見つけた二匹を撮ってみた。もちろん昆虫採集をしたわけではなくて、歩いているときに地面にころがっていた死骸。幸いなのかどうか、蟻に見つけられていなかったので無傷。
熊蝉という名がようやく納得できる気がした。真っ黒なセミだ。この個体がそうなのか、死ぬと黒くなるのかわからない。たぶん昔は真っ黒だったのではないかと思われる。ずんぐりして真っ黒なら熊ですよね・・という事だろう。
玉虫はどうか。今は玉と言えば球状のものを言うけれど、昔は玉と言えば宝石であり美しくて尊いもののことだから、これは納得できる。でも、子どものころに、この名を聞いたとき、当然ながらまん丸い虫がいるのだろうと想像していた。
クマゼミの羽は、硬直していて広げたらもげそうだったけれど、ぎりぎり限界まで広げて待ち針で展翅してみた。タマムシは、脚をちぢこませていて触っただけでもげてしまったので、かしこまった姿にしかならなかった。タマムシを見るとアフガニスタンのカルザイ氏のガウンを思い浮かべる。
手前のヒメダカは、我が家で生まれ育ったヒメダカの最後の生き残りで、もういつ死んでもおかしくない高齢。骨も曲がってきている。玄関外の小さな水槽内で、今のところ元気だ。必ず寄ってくるほどではないけれど、人の気配というのか餌の気配に敏感で食欲旺盛だ。クロメダカと交配したかどうかはわからない。
上方の小さなクロメダカが今年生まれのメダカ。この水槽にもクロメダカの成魚が二匹同棲している。他にもメダカの水槽が二つあり、計三つの水槽内のホテイアオイのヒゲ根に卵が産み付けられる。その卵を親から隔離して孵化した後、共食いされない程度に育ったら成魚水槽に戻している。
野生のクロメダカの成魚が今のところ十数匹。今年孵化したのが六匹。孵化率は数パーセントか、それより低いかも知れない。水槽内のストレスからか、いくらでもマイナス要因はあるけれど、白濁してしまう無精卵が多い。来年あたり新しい血を入れなければ、我が家のメダカは危ない。今年の孵化手伝いも止めておいて自然絶滅を見守っていくべきだったような気がする。
昨日は久御山ジャンクションの下を通ったので、例によって信号待ちの時に撮った。高速道路の立体交差の下に、普通の道路が十字交差して信号機がある。全国的共通語かどうかは解らないけれど、下の道だから下道(したみち)という。下道を走る運転手にとって、上を走る有料道路の人たちは少しまぶしい。
左下のループは自転車用で横断橋もあり歩行者用の信号はない。インターネットの航空写真を観ると、元の下道がカーブしていたり、農業用水路もあったりするので、点対称や線対称の美しい図形を描いていない。
アメリカにはハイウェイというのがあって、交差する地点を上から見ると自動車道路が四ツ葉のクローバーそっくりの曲線なのだというのを子どもの頃に本で読んだ。アメリカなら、アメリカ人なら、大きいモノを作るとき、できるだけシンプルにするだろう。日本はコマゴマチマチマと計算をしつくして、物事を複雑にする。自信国と地震国の違いか・・つまらないオチになってしまった。
老健施設敷地内のプランターからフェンスの外に花を咲かせてしまった百日草。花期が長いから百日草のわけで、通る度に同じ様子を見られるのかも知れない。外の世界で花を咲かせたかったのだな・・などと入れ込むつもりはない。
なんだか懐かしい花なのだけれど田舎のウチの庭では見なかった。他所のウチではけっこう咲かせていたのに何故だろう。両親どちらかが好きでない花だったのかも。アンデスの少女が重ね着しているスカートみたいではないか・・実際に見たことはないけれど。来年は京都の我が家の小庭に咲かせてみたい。フェンス際なら外に首を伸ばして花を咲かすか。