
仕事先に向かう途中で、信号待ちの車中から撮ったのが画像の看板。枯れ草の空き地のように見えるかも知れないけれど、自転車が放置されるのを防ごうというねらいの看板が立てられる程の都会の中なのだ。京都は五条大橋の近く、五条河原町の交差点南西角だ。
『放置自転車は、やめましょう 』って、ひどいんじゃないですか? 言いたいことは分かるけれど、まずいなぁ・・・これ。普通に考えるなら『自転車の放置は、やめましょう。』の筈。放置自転車という言葉は、どう考えたって、放置された自転車のことだから、擬人化して自転車に呼びかけてるのか? 『放置自転車さん、そこに居続けるのはやめて下さい』と頼んでるのかな?
放置自転車をどう取り締まるかというお上の目線からしか物を考えないから、こういうことになるのかも知れない。放置する人間の理由とか都合とかに思いを巡らせれば、きちんと呼びかける文章にもなるし、どういうことが必要なのかも浮かび上がってくる筈だ。
なぜ、チェック機能が働かなかったのだろう。これは、ぜひとも追求というか、探求してみたい。誰一人として変だと思わなかった筈はないのだ。なぜ、企画製作実行途中でどこもかしこもスルーしてしまったのか・・・? もしかしたら、行政機構そのものがまるで機能していないのか・・・。などと懐疑した次第。










最近、テレビなどで「やられる」という表現が普通にされていますが、正しくは「なさる」ではないのか気になります
でも、そうすると「ないです」だって「ありません」でなければならないし、「とんでもございません」も「とんでもないことでございます」でなければならないのに、いまではほとんど違和感がなくなっています
言葉の意味や使い方は日々変化しているので言葉って言うのは難しいと思う私です・・・
でもやっぱり私もこの看板はおかしいと思います
言葉の変化って面白いですよね。
いやだいやだと思っていても、相手に手っ取り早く解ってもらうために、自分がいつのまにか違和感を感じつつ使ってしまったりする。
~しまったり・・・という、ちょっと巾をもたせるというか、断定的になるのを防ぐ言葉もいつの間にか頻繁に取り入れています。
相手は国交省ですからね。
いつまでたっても変らなかったら、また報告しようと思います。
民間は元気です!
これを見たら、
『よぉーし 了解!』
と素直に従いますよ、わたしら。
センスっつーか、やわらかいあしらいっつーか、粋なこなしっつーか・・・そんなとこを見せて欲しいやね・・ヒトの税金使ってるんだからサ。