
城陽市と京田辺市を結ぶ山城大橋が木津川に架かっている。検索してみると、奈島は現在の城陽市をいうようだ。渡しでは対岸の京田辺にある草内という地名での『草内の渡し場』というのにヒットしたが、『奈島の渡し』はでてこない。
草内にも用で行ったことがあるけれど、渡し場の碑はあるのかどうか。昭和の戦後に橋が架かるまで渡しがあったそうだ。画像の石碑は、これまたある用で訪ねた会社の私有地内に建っていた。草内から渡しを使って奈島に着いて、宇治田原や信楽へと向かう街道がある。というわけで信楽の狸。
歴史愛好家が各地の史跡を巡り、多くの文献を読んだり記録を参照したりしながら、紹介したり検証したりの文章を書いているけれど、そういう学究的文章を私は書けない。今はネットで検索して切り貼りしたらそれらしい文章はすぐ出来てしまうのだろうけれど、私は見たまま雑念書き散らし脈絡なく小出し連続をめざす。










部屋の小さな信楽の狸をみると心が優しくなります。
一級河川のない亜熱帯は「渡し」を見ることが出来ません。たかが700トンクラスの船でも桟橋に入れず沖でアンカーを下ろし「はしけで乗客や貨物をピストン運航していました。50年前は・・・
最近台湾や豪華客船飛鳥などが入港してそれでも新空港が出来たお陰で港のバースを確保しようと資本主義が元気です。
「矢切りの渡し」も政夫と民子?の清らかな恋。「野菊の花」でした?伊藤佐千夫でした?市川にあるんですよね・・・南口だったからその時はそんな暇はありませんでした。・・・♪ ほのぼの・・想っています。
本八幡でしたよ・・・確か。
市川なのかな?
あそこら辺りに下宿してた男がいて、そこに行ったときに夜の散歩のついでに足を伸ばしたのだったか・・
わざわざ行ったことがあります。
ところが、河川敷がゴルフ場になっていて、そのゴルフ場を通って、渡し場跡に行き着いたのでした。
『野菊の墓』は中学の1年生だったときに3年生が学芸会で演じて、少し感じるものがありましたよ。
そちら、台湾からの日本商品買い出しツアーの客船がすごいらしいですね。
すると台湾に行くのも簡単なんでしょうか?
もしも運び屋みたいなことを誘われたら、きっぱり断って我が道を歩んで下さいね。