
久々に胃カメラもエコーもやってもらおうと予約した。
「以前に撮った像と比べると明らかにこの辺に影があるでしょう?」
「肺炎ですねぇ、治りかけてますけど」
「熱は出ませんでした? しんどくないですか?」
「肺炎の治療しましょう」
というようなことだった。
『相当に熱も出てしんどかったはずなのに鈍いのかなぁ』というニュアンスが言外に漂っていた。
私はここにきて、胸に影のある渋い男・・いやいや鈍い年寄りになったのか!?
確かに寒気がしたり、ホットフラッシュのように熱くなったり、連続の咳き込みのあげく肺が飛び出てくるんじゃないかというほどに痛いこともあった。
今更そんなことを主治医に言ったとて、もう診断と治療方針は出た後だから、これこれこんなであんなでと甘えることもないと思った。
「することもなかったからコタツにずっと入りっぱなしで、うたた寝しては咳き込んで目が覚めるのを繰り返してました」と言うにとどめた。
少し前に今度から肺炎の予防接種を受けようと心に決めたのは身体が感じたからだったのだな。
知識として解っていても、自分とは結びつけることをしないでおく事柄がある。
見えていても見えていないもののように扱ってしまうものがある。
自分は違うという意識があったり、自分には関係ない関わりたくないといった無意識的な拒否反応が働いていることもある。
図らずもこの度、私は肺炎と向き合う。
咳の発作は毎回微妙に違う。
痛さ、苦しさに無数のバリエーションがある。
実際に自分が体験しないとわからないことばかり。









