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空にいるような軽い気分で・・・

渋谷・夫殺害事件の判決について思ったこと

2008年04月29日 13時58分45秒 | 個人的主張など
殺人と死体損壊・遺棄の罪に問われた被告に東京地裁は懲役15年(求刑懲役20年)の判決を言い渡した。精神鑑定の評価が焦点だったが、動機や犯行前後の行動から「完全責任能力があった」と判断して鑑定結果を採用せず、起訴事実をいずれも認定した。その上で「夫の頭部を執拗に殴打し続け、遺体を5つに切断し遺棄するなど残酷な犯行。夫が生きているように装うメールを送り、息子の安否を気遣う両親の気持ちを踏みにじった」と述べた。弁護人は「責任能力の判断には精神鑑定を尊重すべきだとした25日の最高裁判決に反し不当だ」と批判。控訴については「するべきだと思うが、本人はこれまで控訴しないと言っており、相談したい」と話した。(静岡新聞より抜粋)

この判決について、懲役15年が長いか短いか、そして精神鑑定の結果による責任能力の有無、死体損壊遺棄の猟奇性に関心が行きがちだが、なぜこの事件は起きたのかがもっと世に知られるべきだと思った。インターネットなら簡単に調べることが出来る。

公判では明らかになっていることだが、この被告は父親から永い間DVを受け、高校や大学も父親が決めた学校に行かされるという育ち方をしている。そして結婚した相手がまた暴力を振るう父親と同じタイプだったのだ。その被害から逃れるシェルターに避難さえしているのに、その後夫の元にもどり又DVの被害を受け、その被害を隠蔽する《囲い込み》が夫によってなされ支配され精神を病んでいったのだ。

なぜ女性評論家や女性キャスターたちは声高にこの事件をとりあげることをしないのだろう。これは男の強権発動に対して女が正当防衛としての逆襲をした事件ではないか?これ以上耐えられないという身の危険を感じた女が逃げることもかなわず起こした行動がたまたま殺人事件になってしまったということではないのか?

事件後の隠ぺい工作などについても、精神鑑定医の証言で明らかになっている。幻覚を見るような異常な精神状態において起きた殺人事件だ。暴力を自分に振るう人間が生きている時の状態とその人間が死んだ(いない)状態とでかなり違う精神状態なのではないだろうか? 連続しているようで、まったく別状況になってしまった不連続の事件なのではないかと思うのだ。

被告はどのような判決が出ようと控訴しない考えらしい。それは何故か。判決などどうでも良いということなのだろう。自分が犯してしまった殺人事件について、それを避ける道はなかったか、よりよい方法はなかったかというような反省や悔恨はあまりないのだろう。自分を支配し暴力を振るう人間がいなくなったということで安らかになっているからだ。おそらく初めての精神的安寧を感じているからだ。

この事件では被害者の夫がどういう家庭に育ってDVをする人間になったかは問題にされない。被害者を責めるのはタブーかも知れないが、DVをするような人間にしてしまったという反省や自責などの声が少しも出てこないのは何故だろう。被告は幼い頃から連続的被害者であったのが一転加害者だ。そのとまどいを癒すのには何が必要なのだろう。心神喪失として無罪になっていたとしたらそれも酷かも知れないが、懲役15年というのはあんまりだ。フローチャートに従ったような機械的判決だと思う。
コメント (2)
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