明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(536)セバスチャン・プフルークバイル博士が語る放射能の危機(in大阪)

2012年09月01日 07時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120901 07:30)

昨日、大阪に再びセバスチャン・プフルークバイルさんが来られると聞いて、
表敬訪問がてら、講演を聴きにいきました。大阪と京都で震災遺物広域処理
に反対して大活躍している荒木祐子さんにお誘いを受けての参加でした。

集会名称は「未来をつくるフォーラム~原発事故避難者と私たち~」で、
「避難者と未来をつくる会」の主催。午前・午後で2部構成の企画で午前中の
最後に、プフルークバイル博士に、実行委の増山麗奈さんと藤波心さんが
質問をし、博士が答えてくださるセッションが行われました。

午後にもアメリカのパターソン医師、ドイツのジーデントップフ博士が講演
され、ずいぶん盛りだくさんの企画で、内容的にいろいろなことが学べまし
た。今後、ビデオが作成されるそうですので、興味のある方は、「避難者と
未来をつくる会」にご連絡ください。僕も一つ申し込んできました。
garekikarahito@yahoo.co.jp

盛り沢山な集会の上に、会場にいろいろなブースが作られていました。放射
線防護と、避難者との結合にむけたいろいろな知恵と行動がここに集まって
きていることが感じられました。素晴らしい企画でした。担われたみなさま
に感謝です。


さてプフルークバイルさんは今回もお元気に来日されていました。会場で挨
拶し、ともに広島平和祈念講演と、放射線影響研究所を訪れた時の写真をお
渡ししました。大変、喜んでくださいました。またこの間、放影研が、内部
被曝の研究をしてこなかったがゆえに、福島の事態に役立てるものがないと
告白し、新たに内部被曝の研究を始めると言い出していることもお伝えしま
した。プフルークバイルさんは「それは実に興味深いことだ」と目を鋭く光
らせていました。

荒木さんによるとプフルークバイルさんは、前日に大阪の人々を主体に行わ
れた、震災遺物処理の受け入れをめぐる大阪市との交渉現場にも参加してく
ださったそうです。この現場、大阪市の対応があまりにひどく、荒れ模様に
なったとのこと。最後は大阪府警の機動隊が出てきて、かなりてひどい排除
を行ったとのことですが、プフルークバイルさんも、一連の行動に一生懸命
になって参加してくださったそうです。日本の市民と一緒になって、生き生
きと行動している博士の姿が眼に浮かぶようでした。

午前中のセッションでも、そうした余韻を身にまといながら、闊達な答弁が
行われました。これをノートテイクしたのでみなさんにご提供します。ただ
しその場での速記なので、必ずしも通訳された文言通りではありません。
守田がこう聞き取ったと受け取ってください。なお質問は増山さんと藤波さ
んが交互に行いましたが、ここではともに質問のQで示してあります。

最後のQだけは会場からです。震災遺物広域処理についてでしたが、「これ
についてはぜひ意見をいいたい」と前おきしての応答がなされ、デモのこと
なども語られました。行動の人、プフールクバイルさんの横顔が垣間見える
お答えでした。

以下、速記録をお読みください。

**************

「関西を命のセイフティゾーンにするために」
セバスチャン・プフルークバイル博士×増山麗奈×藤波心


Q チェルノブイリのときドイツはどういう状態だったのか

P 事故があったとき、ドイツはまだ東西に分裂していた。事故について、東
ドイツでは語られなかったが、西ドイツでは議論がなされていた。しかし東
ドイツでも西ドイツののテレビをみれた。私たちも今の日本と同じように、
子どもたちは外で遊ばせていいのか、何を食べさせていいのか悩んだ。私は
当時、小さな子どもが4人にいて本当に腹がたった。今、ここで同じような
ことがおきているので、ここに参加出来て苦しみを共有できることがとても
嬉しい。


Q 当時のヨーロッパではきちんとした報道はなされたのだろうか

P 今はウクライナである当時のソ連は、長い間情報を隠そうとしていた。
最初の情報はスウェーデンからきた。放射線値が高まり、スウェーデンの原
発で何かがあるかと思われたが、何も起こっていなかった。それで観測され
た核種を調べて、チェルノブイリからきたことが分かった。

東ドイツはソ連と友好関係にあり、ソ連よりもさらに報道が少なかった。こ
れに対して西ドイツは政府も州政府も、「西ドイツはこんなに遠いいから問
題はない」と発表した。ソ連の原発は古いけれどもドイツのは新しくてしっ
かり管理されているから大丈夫だといっていた。

ところが大学の教授などが出てきて、原発の危険な構造を話すようになり、
今、ここで行っているようなイベントがなされ、教授を囲んで人々がα線や
β線とは何かと学び始めた。幼い子どものいる家族にはとても重要な内容だ
った。さらに西ドイツでは市民測定所がどんどんできていった。市民にとっ
ては自分たちで測ったものが信じられる。政府のものは信じられないとなっ
た。日本でも市民測定所をどんどん作ることが重要だ。それで食料全体をコ
ントロールできるわけではないが、危険をつかむことができる。だから測定
所を立ち上げて測ってくれる人を、ほかの市民がサポートすることだ。食料
の汚染を知ることが非常に重要になってくる。

ドイツでは事故からしばらく時間が経ったら興奮状態がおさまっていった。
それが福島の事故で再度盛り上がった。チェルノブイリ事故を経験した市民
が、当時のことを鮮明に思い出した。このときメルケル首相は国民の感情の
中で何がおこっているか迅速に把握して、これに対応しないと次の選挙で勝
てないと判断した。それですぐに脱原発を発表した。国民の中にチェルノブ
イリの思い出が一気に盛り上がったことが背景だ。この点で日本政府が国民
・住民の中で何が起こっているのかを察知してくれることをのぞんでいる。
それが民主主義だと思う。


Q 一番危険な食べ物は何か

P 私より、みなさんの方がよりよく知っていると思うが、日本の人たちは魚
をたくさん食べる。貝やワカメも食べる。そのため海産物の汚染を一番気に
している。太平洋に拡散された放射能は非常に大量だ。完全な情報はない。
海の生物にどのように拡散していくのかの研究もあまりない。地上の拡散に
ついては、空気へ拡散した放射能が草におちて牛が食べてミルクにはいると
いふうに連鎖が単純だ。その過程で濃縮されていく。牛肉を食べたりミルク
を飲むと、空間線量にあった放射能よりも大量の放射能を取り込むことにな
ることがわかっている。

水の中では連鎖の段階が細かく分かれいる。プランクトン、小さい魚、中ぐ
らいの魚と連鎖が続き、最後に人間が食べる魚に辿り着く。水の中の汚染と、
最後に食べる魚の中の汚染とはかなり大きな開きができる可能性がある。
貝は水中から栄養素をとっている。放射能をどんどん取り込んでいく。今ま
での研究で、貝の中の放射能がどこから来たかを調べるとずいぶん遠くから
来ることが分かっている。今、東の沿岸からどんどん南に汚染が降りてきて
いる。それが太平洋全体に拡散するのにまだ数年かかるだろうが、さらに南
太平洋まで拡散していくだろう。

この場合、たとえ魚の中にある放射能の濃度が低くても、健康に与える影響
は過小評価できない。なぜか、たくさんの人が食べることで被害が拡大する
からだ。一人の人の健康被害はみえにくいが、1000万人の日本人がみんな少
しずつ食べると大きな問題が出てくる。


Q 「食べて応援」という考えはどう思うか

P 狂気の沙汰だ。日本の農水大臣が、キャンペンガールと一緒に東のものを
もって食べようと呼びかけている映像をみたが、議論の余地もないほどばか
ばかしいキャンペーンだ。そういうことを政府がやっているということ、そ
の事実をみるだけでも、みなさんが日々口にしている食料が汚染されていな
いはずがない。もっとばかげていると思ったのは、南相馬でマラソン大会を
したときいたときだ。もっとましなことはできないかのと思った。


Q 肥料もノーチェックで流通している。規制もない。土壌汚染も続いている。
これらをどう思うか。

P もちろんチェックしなければいけない。日々の日常の中で、まさか汚染さ
れていないと思うものが汚染されていることがある。日本で肥料がどのよう
に使用されているかを知らないが、ヨーロッパでは農業で使われてきた肥料
からウランが検出された。何十年も普通に使われていたものだ。最近になっ
てはじめて、土壌のウラン含有率が高くなり、地下水にまで浸透し、水道水
に出ていることに気づき、問題にするようになった。ウランは猛毒だ。飲料
水も注意しなくてはいけない。トリチウムなども含まれてくる。ヨーロッパ
ではようやく今になって、飲料水の含有率も食料とおなじぐらい重要だと分
かるようになった。それで水道局で働いている人たちも、被曝する環境にい
る作業員だとようやくわかってきた。

直接の事故の原因による被曝だけでなく、社会全体のすべての領域で被曝を
考えなくてはいけなくなっている。残念ながら私たちの健康を守るべき医学
の人たちが被曝を強制している面もある。CTをとったり、治療に放射性質を
使ったり。医師が放射線に関する知識の啓蒙をしないのは、医療で被曝させ
ていることを知っているからだ。これも議論に乗せなくてはいけない。


Q ドイツと比べてみて今の日本は?どちらのほうが深刻か?

P チェルノブイリのあとの私たちは何も知らない無知な状態だった。何年も
経ってから情報が届くようになった。今になって、チェルノブイリのあとに
どういうことが起こったかを大変心配しはじめている。はじめは西ヨーロッ
パでは健康被害はないといわれていた。今になって1000キロも離れている西
ヨーロッパで健康被害があることがわかった。死産、1歳以下での死亡、障
がい、ダウン障児の出生が増えて、甲状腺疾患を持つこども、大人が多くな
った。子どもの白血病も増えた。生まれてくる男の子たちと女の子たちの比
率がかわってきている。普通に生活をしているとわかりにくく、ぱっとわか
る数字ではないが、これらはがんになる確率よりも高くおこってきている。

男の子と女の子が生まれてくる確率の変化には、どんな影響があるのとしか
思わないかもしれないが、西ヨーロッパやチェルノブイリ全体をすべて足す
と、女の子たちが100万人ぐらい生まれなかったことがわかっている。どう
して女の子が生まれなくなったのかはきちんと議論されなければいけない問
題だ。生まれてこなかった子達はもっといる。その責任は原子力産業が負っ
ているという方向に、議論を持っていかなくてはいけない。

西ヨーロッパでも、比率のずれが起こったということから福島でも起こり始
めていると思う。チェルノブイリのあとにこういう状況がかなり早い時点で
はじまっていたと思う。事故のあとの数年間の間は、注意して観測しようと
した人がいなかっただけで、今になって直後から起こったことが分かってい
るから、日本でも調べたほうがよいと思う。


Q 福島で蝶の異変が増えている。今後、私たちの遺伝子にどう影響していく
のか。健康被害を調べるときに、どのようなデータを調べておくといいか

P ドイツの今の子どもの出生の話からいくと、子どものがんの統計の数字は
非常に大事。医師がそれを支援してくれてきちんと統計をとればそれでいろ
いろなことができる。生まれたときに障がいを持つ子どもの統計も必要。長
年にわたってコンスタントにする必要があり、それで変化がわかる。

しかしそういう統計をとっている国は多くない。政府が困るからだ。統計を
とらないことによって問題が発覚しないのが政府の意図だ。なので医師たち
の間で情報を交換できるシステムを作るといい。例としてカザフスタンの核
兵器のテストをしている地域と、チェルノブイリの二つの地域、両方の調査
をした。チェルノブイリで学校にいくと赤十字の車があり、どうしたのかと
聞いたら、緊急のことが起こったわけではないが、子どもたちがときどき止
めようがないぐらい鼻血を出すことがあるのでいてもらう、意識を失って倒
れる子どもがいて生命の危機になったらいけないのでといった。ドイツに帰
って、放射線の同僚にその話をすると、子どもが鼻血を出すのは普通だと笑
われた。

カザフでは、ちょうど核兵器についての議論がなされはじめたときだった。
それで実験が始まった最初の何年間かの資料が手に入った。50年代の初めの
ものだ。そこに書いてあったのは子どもの鼻血だった。ロシア人はそこで実
験をした。わざとそこでして、人々にどういう症状がでるかを観測して、記
録をとっていた。子どもの鼻血が一番最初の記録として書かれていた。扁桃
腺のはれも確認された。ドイツで放射線医学の同僚に話すとまた笑われた。

カザフの子どもとベラルーシの子どもと、医師ががんばって治療したがなか
なか治らない。視力の低下もおこった。放射線医学の教科書にはどこにも書
いていない。同じような症状が出ていることを日本でも聞いている。

鼻血では死なないかもしれないが、被曝している一つの証明でもある。なぜ
かというと、チェルノブイリとカザフと福島を結ぶのが核だからだ。医師は
笑い飛ばそうとする。本当だったら彼らはすぐに調査に乗り出して、住民た
ちを助ける行動にでなければいけなかった。

私は過去何ヶ月かで、日本で素晴らしい医師たちにあった。しかし彼らから
聞くと、学会の態度は非常に控えめで、あまり意見を出そうとしない。被曝
の診察を受けようとした人を家に押し返していると聞いた。山下教授のいっ
ていることは本当にひどい。福島の人の恐怖をおさえるために送り込まれた。
しかし理性的な医師たちは彼はとても信じられないと言っている。ドイツで
も同じことが起こった。こういう状況はなるべく早く改善しなければいけな
い。


Q この事故は日本の技術で収束させることができるのだろうか

P 日本では事故がまだ終わってないと議論されている。東電も政府もコント
ロールできない。お手上げ状態だ。一番の問題は、使用済み燃料が大量に残
っていて、廃墟となった原発の建物がみると、燃料プールはその高いところ
にある。もし大きな地震がまたおきて建物が崩壊すれば、水が漏れて、かっ
てに溶け出して、誰もコントロールできなくなる。チェルノブイリと比較に
ならないほどの放射能が拡散する。世界にとっても大きな危機になる。
東京は避難されなけばならないという報告ができているが、全部避難させる
ことなどできない。本当に大変なことだ。

燃料棒を取り出そうとしているが何年もかかるといわれている。長くかかり
すぎることを危惧している。なのでまだ収束していない。そして事故による
健康被害も年月がたつにつれてどんどん深刻になっていく。事故は収束して
いない。

燃料棒は冷やさないといけない。だから取り出さなければいけない。しかし
どうすればいいのかあまりわかっていない。クレーンでつまんで出すという
試みがあるが、使用済みでないものでテストがおこなわれている。映像をみ
たが、クレーンで取り出す練習をしていたが、最後に手で燃料棒を持たねば
ならなかった。使用済み燃料棒では即座に死んでしまう。どうやって取り出
すのかまだよく分かってないと思う。もし取り出す最中に壊れたら、誰も近
寄れないくらいの放射能の拡散が瞬時に起こる。どうやって、誰がやるかが
本当に問題だ。


Q 廃棄物をもってくることについてどう思うか

P これについてはぜひ意見をいいたい。放射能に汚染された廃棄物を拡散し
て燃やすということは、放射性防護の観点からしても人道上の観点からして
もありえないことだ。考えられないばかげた考えだ。それによって事故後に
ある程度汚染が低かった地域に、わざわざ汚染物質をもってきて拡散するこ
とになる。燃やすことによって、物質についていた放射能は拡散してしまう。
煙突からでたり灰に出たりする。大阪では海面に出たりする。そんなことは
してはいけない。がんばって抵抗して欲しい。

もしも放射能を扱う研究所で机の上にちょっとこぼれたりしたら、どうすれ
ばいいかみんなわかっていて、とりあえずこぼれたものをまとめて広がらな
いようにする。がれきでは反対のことをしている。放射能は希釈をしてもい
けない。それは研究所では絶対してはいけないといわれている。ところが汚
染されたものを、されてないものと混ぜて燃やすといっている。それによっ
て濃度を低くしようとしているが、それはいろいろな理由からやってはいけ
ないことだ。

ロンドン条約がある。それまで人々は有害な物質を船で運んで海に投棄して
いた。放射能を含む廃棄物も含まれていた。閉じた状態で投棄したはといえ、
今、潜ってみてみると容器のフタがあいて拡散しているのがわかる。60年代
にそれをやめるとなって日本もこの条約を批准もしている。

日本はにもかかわらず、海に放射能汚染水を流した。今度は灰を海に投棄す
る。60年代の前半に戻ったような行動だ。それに抗議してデモをするのは正
しい行動だ。質問ありがとう。

以上
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明日に向けて(535)小水力・... | トップ | 明日に向けて(537)今後の講... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
放影研の最新の見解 (みき)
2012-12-22 21:52:48
残留放射線量「誤差の範囲」放影研見解(山陽新聞、2012.12.8)
 放射線影響研究所は7日、原爆の核爆発から遅れて発生する「残留放射線」による被ばく線量は「誤差の範囲内」で、被爆によるリスク算出には影響しないとする見解を発表した。
 放影研は被爆者のがん発症リスクなどの計算で、爆発時に放出される「初期放射線」による被ばく線量のみを用いており、残留放射線量は用いていない。東京電力福島第1原発の事故後、残留放射線や内部被曝に対する関心が高まり、放影研の手法やデータを疑問視する報道なども相次いだことから「このままでは存在基盤を揺るがしかねない」として見解を出したと見られる。

この発表は衆院選前、自民優勢の気運に乗じてなされたとしか思えません。

プフルークバイル博士がお聞きになったら何と思われるでしょうか。

コメントを投稿

明日に向けて(501)~(600)」カテゴリの最新記事