明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(150)東北の位置づけ変え自立を(河北新報社説より)

2011年06月14日 22時00分00秒 | 明日に向けて6月1~30日
守田です。(20110614 22:00)

河北新報が611の社説に「東北の位置づけを変え自立を」という宣言を高々と掲げました。
また記事の中で、東北と沖縄の類似性を掲げ、次のようなことを述べています。

「仙台から南へ約1800キロ。在日米軍基地の75%が集中する沖縄で、こんな声を
聞いた。「今こそ沖縄から被災地支援を」
 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先として日米両政府が想定する名護市
辺野古地区。海上ヘリ基地建設に反対する人たちが5月初めから、「米軍への思い
やり予算を凍結し、被災地支援に充てよ」と、署名活動を始めた。」

「共同代表の安次富(あしとみ)浩さん(65)は「被災者が苦しんでいるこのタイミング
で思いやり予算をもらって、オバマ米大統領は恥ずかしくないのか。基地も原発も、
アメ(カネ)で地元をがんじがらめにするという点で根っこは同じ」と明快だ。既に
6千人以上の署名を集めた。

片や文字通り基地を提供することで日本の安全保障を支え、こなた電気や食糧、
人材を首都圏に供給する「基地」として。沖縄と東北が戦後、たどった道は酷似して
いる。

震災発生から3日後、沖縄の地元紙・琉球新報は河北新報の社説を引用しながら
「共助の精神は、独り東北地方だけのものではないはずだ」と訴えた。沖縄が東北の
窮状に共感するのは単なる偶然ではあるまい。」

記事は、その沖縄が歩んできたように自分たちも声を上げよう。
「物言わぬ東北から物言う東北へ。大震災からの復興を歴史の転換点としたい。」
と結んでいます。

・・・感動しました。

この沖縄の長年にわたる声に重なった河北新報の叫び、東北の声を、他のすべて
の地域、とくに電力をたくさん使っていて、なおかつ米軍基地からも遠い都市部に
生きる私たちが受け止めていく必要があると思います。


そもそも私たちの国は、明治維新以降、長きにわたって東北に過重な負担を
負わせながら、「近代化」や「高度経済成長」を実現してきました。
電力供給の実態を見てもしかり。福島第一原発など、東京電力管内の外に立地
しながら、主に東京に電気を送るために発電してきた。発電プラントの電源事態は
東北電力から供給されているという矛盾構造のもとにあります。

ようするに原発が危険だから、東京からうんと離して福島に作った。うんと離した
福島から、電力をたくさん送って、東京圏に煌々と明かりが灯ってきた。
それは関西電力でも同じことがいえる。危ないから大阪からうんと離して福井に
原発を作った。そこにこの国の矛盾が象徴的に現れています。


とくに東北に負担を負わせる政策は、明治維新以来、一貫したものです。
明治から昭和にかけての戦争の時代も、東北は常に過酷な戦場に、最も
多くの兵士を供給させられてきた。

河北新報の本拠地である仙台市にいくと、中心部から少し郊外にいったところに
青葉城址があります。伊達政宗の開いた仙台藩のお城があったところです。
ここはさまざまな木々が植わっていて美しいところです。とくに周辺にある東北大学
植物園は、おそらく日本の植物園の中でも最大級の規模を誇っている。

最も多い樹木はコナラで約5000本、続いて多いのは、この地域に自生している
モミの木で、これが確か2000本ぐらいある。植物園と言っても、実際には大きな
山で、これそのものが、城の裏手の守りになっていたところです。

ところが、その青葉城址を登っていって、仙台市を見降ろす伊達正宗公の
銅像を過ぎて行くと、そこに護国神社が鎮座している。
ちょうどこの城跡公園の真ん中に位置しているのです。

護国神社は、いうなれば靖国神社の支社です。靖国神社は明治維新後にできた
日本の伝統からは切り離された神社で、天皇のために死んだものだけを祀って
いることに特徴がある。それがいつ建てられたのかと言えば、まさに明治維新
以降の、この地域での闘いの後なのです。


明治維新を前にして、東北の多くの県は、徳川幕府の側につきました。筆頭
だったのは、会津藩です。会津藩侯は京都守護職として、幕末維新に荒れる
京都の警備隊長になった。その配下にあったのが新選組です。

公的テロリスト集団だった新選組は、長州の幕府転覆の野望を未然に防ごうと
京都の町を駆けた。そして京都に火を放って大火災を起こし、混乱に乗じて
天皇を長州まで拉致してしまおうという、長州テロリスト集団の陰謀を察知、
「池田屋」に切りこんで、事件を未然に防ぎます。

これに対して激怒した長州は、国元から軍団を京都に送り込み、御所前で
会津軍と激戦。こう着状態が続きますが、西郷隆盛率いる薩摩軍の加勢で
劣勢となり、敗れて撤退していきます。このとき京都は、御所以南がほとんど
火事で灰燼に帰してしまいました。


やがて幕府は、「長州征伐」に打って出ますが、土佐浪人坂本竜馬の活躍で
薩長の秘密同盟が成立し、反対に討幕ののろしがあがります。
時勢はいっきに逆転し、幕府は鳥羽伏見の闘いなどで、新式銃で武装した
薩長軍に敗北。以降、東へと壊走をはじめたのです。

やがて官軍となった薩長軍は、江戸城無血開城によって、江戸を占拠しますが、
長州は積年の恨みをはらずべく会津攻撃を主張。会津藩侯が蟄居しているにも
かかわらず、会津若松に殺到し、城を徹底攻撃します。

会津の人々は籠城を選んで一矢を報いようとしますが、武力の差から攻め落と
されてしまいます。このとき官軍は、「天皇に逆らった」ことを理由に、会津藩士の
遺体の片づけすら許しませんでした。


こうした流れの中で、奥羽の諸藩は、奥羽越列藩同盟を組み、会津を支援。
その中心を担ったのが、仙台藩でした。とくに新政府が会津討伐を掲げたことに
対し、会津の赦免を懇願。これが受け入れられないと知るや、会津とともに
反官軍ののろしをあげたのです。これは東北一体から北海道にまで拡大する
勢力となった。このためこれらの地域では、維新後の戊辰戦争を、「南北戦争」
と呼称する場合もあります。日本を二分する内戦だったのです。

ところが政府軍の武力に奥羽列藩同盟は敵わなかった。次々と戦に敗れ、
やがて降伏していきます。以降、薩長政府による東北支配が延々と続いて
きたのです。

青葉城址の真ん中にある護国神社も、このときの官軍の戦死者を弔った
もので、抵抗した会津藩士や、仙台藩士はもちろんそこから除外されている。
つまり会津や仙台を蹂躙した敵軍の兵士を祀る神社を、地域のアイデンティティ
の真ん中に建てざるを得なかったのがこの地域なのです。

そのため、それ以降の日本のアジア侵略では、天皇への忠誠を示すことが
過酷に求められた。かくしてつねに最も危ない戦場に東北の兵士たち
は送り込まれた。そのときはじめて東北の人々は「護国神社」に迎えられた。
そんな歴史が青葉城址にはこもっています。

僕はかつてこの地を訪れたとき、東北大学植物園をはじめとするこの城山の美しさ、
スケールの大きさに胸を打たれるとともに、その頂上から仙台市を見降ろす伊達
正宗公の銅像に込められた人々の思い、またその横に護国神社を建てた人々の
思いに心を馳せて、長いため息をつかざるを得ませんでした。
この国の、悲しい歴史の一端をそこにみた思いがしました。


ところが、仙台の人々、東北の人々は打ちひしがれていたばかりではありません
でした。その象徴が、それこそ河北新報の立ち上げなのでした。

明治維新後、薩長政府の要人は、東北を侮蔑し、「白河以北一山百文」(白河の関
(現・福島県白河市)より北は、山ひとつ100文の価値しか持たないの意)という
蔑みの言葉を残しました。これに対して、それまでこの地域で発刊されていた
「東北日報」が経営難に陥った時に、まさに東北の意地を見せるべく、「河北」と
改題して発刊されたのが、「河北新報」だったのでした。1897年(明治30年)1月17日
の創刊でした。


その河北新報に、311を経て、今再び、「東北の位置づけを変え自立を」という
一文が掲げられた。「物言わぬ東北から物言う東北へ」というスローガンが
掲げられた。僕はこれを全身で受け止めていきたいと思います。


みなさま。
原子力発電所は差別の塊です。
最も電力が必要なところに建てるのではなく、もっとも電力を必要としないところに
この発電所は建てられる。都会から離れた地域の方たちに、放射能漏れの
リスクが強要されているのです。

しかもその労働体系も、7次受けとか8次受けとか呼ばれるような、下請け・
孫請け体制によって成り立っており、原発ジプシーと呼ばれるような、権利を
著しく制限された大量の労働者の使い捨てによって成り立っている。
被ばく労働を前提としたプラントなのです。

それが社会の中に存在していることは、私たちが差別の中に否応なしに
立たされていることを意味しています、私たちは好むと好まざるとにかかわらず、
原発地域の人々、原発の中で働く下請けの人々の犠牲の上に、灯りを
享受せざるをえなくなっている。

そのようなことはもう本当にごめんです。

誰かの足を踏みつけているものは、自分の足を踏みつけられても、声を
あげることができないと僕は思う。

誰かが差別されていることを許すことは、結局、自分が差別されることも
許すことです。だから誰かを差別することは、自分で自分の尊厳を
踏みしだくことだと僕は思います。

こうした構造をひっくり返すことこそが、本当の脱原発の道ではないかと
僕は思います。だから私たちは、東北の人々の痛みをシェアし、東北の
人々を助け、なおかつ積年の東北への負担を減らし、東北に感謝し、
東北に謝罪し、歩んでいかなければならないと思います。


以下、河北新報社説をお読みください。

***********************

東日本大震災 被災3ヵ月/東北の位置付け変え自立を


河北新報 社説 2011年06月11日土曜日
 中心に居ると、周縁が見えない。国を治める者にとって地方は政策遂行のための
客体であり、地元の意向はしばしば無視される。
 中心の身勝手さの例としては、被災地の苦悩を顧みることなく繰り返される不毛な
政争を挙げるだけで十分だろう。

 大震災から3カ月、おぼろげながら見えてきたことがある。東北は国策に翻弄
(ほんろう)されている。過去も現在も望まない役割を背負わされ、日本を下支え
してきた。震災は国土構造のゆがみを白日の下にさらした。

 日本の中の東北の位置付けを変えずして、本格的な復旧・復興などあり得ない。
東北の自立を主張すべき時だ。

 仙台から南へ約1800キロ。在日米軍基地の75%が集中する沖縄で、こんな声を
聞いた。「今こそ沖縄から被災地支援を」

 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先として日米両政府が想定する名護市
辺野古地区。海上ヘリ基地建設に反対する人たちが5月初めから、「米軍への
思いやり予算を凍結し、被災地支援に充てよ」と、署名活動を始めた。

 米軍駐留経費の負担について今後、日本側が5年間にわたり現行水準(2010
年度1881億円)を維持するという協定案が成立したのは3月31日のこと。
同じ額を被災者支援に回せば、50万人に毎月5万円を3年間支給できると反対協
の人たちは訴える。

 共同代表の安次富(あしとみ)浩さん(65)は「被災者が苦しんでいるこの
タイミングで思いやり予算をもらって、オバマ米大統領は恥ずかしくないのか。
基地も原発も、アメ(カネ)で地元をがんじがらめにするという点で根っこは同じ」と
明快だ。既に6千人以上の署名を集めた。

 片や文字通り基地を提供することで日本の安全保障を支え、こなた電気や食糧、
人材を首都圏に供給する「基地」として。沖縄と東北が戦後、たどった道は
酷似している。

 震災発生から3日後、沖縄の地元紙・琉球新報は河北新報の社説を引用しながら
「共助の精神は、独り東北地方だけのものではないはずだ」と訴えた。沖縄が
東北の窮状に共感するのは単なる偶然ではあるまい。

 沖縄国際大の佐藤学教授(政治学)は「人ごとの論理が、基地問題も原発問題も
見えなくしてきた」と指摘する。本土にとって都合の悪い基地は、沖縄の民意が
どうあろうと押し込めておく。ネオンこうこうと輝く不夜城東京も、電源地帯に思いを
致すことなどしてこなかった。

 平和を望むが、基地は要らない。電気は欲しいが、原発は来てほしくない。
「人ごとの論理」とは自己中心と同義語である。地元にもたらされる公共事業と雇用、
わずかばかりの補助金がそうした矛盾を覆い隠し、都市と地方を分断してきた。

 一向に動かない基地問題にいら立ち、沖縄では「差別」と捉える見方が広がって
いる。地方を踏み台にした国の繁栄など私たちは望まない。物言わぬ東北から
物言う東北へ。大震災からの復興を歴史の転換点としたい。

http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2011/06/20110611s01.htm

******

なお記事で紹介されている署名用紙を以下からダウンロードできます。
http://shomei.cocolog-nifty.com/
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5 コメント

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ありがとうございました! (神瀬麻里子)
2011-07-09 01:09:05
河北新報のこの記事を探していて、こちらに参りました!
すばらしい記事ですよね。
日記に転載させてくださいね。
本当にありがとうございました。
コメントありがとうございます! (守田敏也)
2011-07-09 01:11:33
神瀬麻里子様
ありがとうございます!どうぞ日記にご転載ください。今後もよろしくお願いします。
さっそく (神瀬麻里子)
2011-07-09 01:17:58
さっそくご了承の返信をいただいて感激しています。

こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。
どうもです。 (守田敏也)
2011-07-09 01:21:10
神瀬様
もしよろしければ神瀬様の日記も拝見させてください。私のアドレスを記しておきます。URLなどお教えいただけるとありがたいです!
morita_sccrc@yahoo.co.jp
Unknown (渡部優)
2012-07-19 08:31:29
まったく同じ考えを福島県博物館長さんが言っておられたことを思い出しました。東北はずっと中央政府の発展の犠牲になってきており、その精神は東北蔑視であったと分析しておられました。かれもまた研究した結果で譲れない考えだと強く言っておられました。

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