明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1337)トルコへの手紙―日本での地震の頻発と原発の危険性について-1

2016年12月24日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20161224 23:30) 

ちょうど一月前、11月22日に福島県沖で大きな海底地震が起こり、福島第二原発3号機燃料プールの冷却システムがダウンしました。すぐさま記事を書いた事に対し、トルコの友人であるプナール・デミルジャンさんからトルコ人向けの解説記事を書いて欲しいという依頼が来ました。

申し訳ないことになかなか時間が取れなかったのですが、ようやく記事に着手したのですが、まずは先に熊本地震と川内原発のことを伝えたいと思い、とりあえずそこまでを記事にしました。

今後も続編を書いて、トルコへの原発輸出を食い止める活動に寄与していきたいと思います。

これは日本人としての責任においてやらなければならないこと。みなさんのご支援をお願いします!

*****

日本での地震の頻発と原発の危険性について

トルコのみなさん。これまで3回トルコを訪問した守田敏也です。いま日本で起こっていることをお伝えします。

今年になって日本では大きな地震が何回か起こりました。小さな地震は無数に起こっています。

一番、大きかったのは4月に起こった熊本県での地震でした。最初に地震がおこったのは4月14日、震度7、マグニュチュード6.5の地震が起こりました。震度とは日本の気象庁が定めている地震の揺れの大きさを階級で表す言い方で7が最高値です。

熊本県ではさらに4月16日に、震度7、マグニュチュード7.3の地震が起きました。二つの地震のエネルギー量の差はなんと16倍もあります。

しかも震度7という非常に大きな地震の直後にそれをはるかにうわまわるエネルギーの地震が起こるのは日本の地震観測史上初めてのことでした。前例のないことが起こったのです。 

このとき、日本中の人が原発の関係で強い不安を感じました。このとき全国で唯一、動いている原発が、大地震のあった熊本県の隣の鹿児島県にある川内原発だったからです。(1号機、2号機が稼働していました。)

日本のそれぞれの原発には「設計基準動」というものがあります。設計時に「これだけの揺れが来る可能性があるので、それでも壊れないように」と設定された数値ですが、川内原発の場合、これが620ガルなのです。このガル(Gal)というのも日本で使われている地震の揺れの加速度の単位ですが、この時の14日の地震の震源地の益城町の揺れはなんと1580ガルでした。川内原発の安全基準の2.5倍にもなる値でした。

もちろんこれは益城町での値で、このとき川内原発地震はそんなに大きく揺らされてはいません。しかし今回の地震は、かつて地震が起こった痕跡が残っている「断層」と言われる場で起こったのですが、その断層をたどっていくと川内原発の近くまでつながっており、今回もその方向に余震が次々と起こっていったのです。

このため川内原発も設計基準を大幅に超える地震に見舞われる可能性があります。そのとき、原発が動いているとどこまで被害が拡大するか分からないのです。

しかもこのとき、九州では多くのものが地震でストップしてしまいました。鹿児島から熊本を通って博多まで走っている新幹線も、地震で脱線して停まってしまったのですが、実は新幹線は川内原発が大きな事故を起こした時の主要な避難経路に指定されているのです。

九州全体を貫いている「九州自動車道」という高速道路も停まってしまいました。熊本では大きな橋が地震で落ちてしまったところもあり、各地で道路が寸断されていました。熊本空港も、激しい揺れによって安全点検が必要になったために、閉鎖されてしまいました。

このため万が一、さらに原発の事故があったら、とても人々が逃げ出せない状況に熊本県とその周辺がおかれていました 。

しかも熊本県の避難所には人が溢れていました。震度7の地震が2回も続いたことで多くの家屋が倒壊し、1回目の地震で7人、2回目の地震で30人の犠牲者が出ていました。地震ではこの他に土砂災害も発生して10人が犠牲になりました。2回の地震での死者は合計で50人にも上りました。

そんな状態で余震が頻発していたため、多くの人が家に帰られなくなってしまいました。日本では地震等があった場合、地域の学校や公共施設が避難所になりますが、どこもこんなにたくさんの人が押し寄せてくる事は考えておらず、中に人が入りきれなくて、周りにたくさんテントがはられ、さらにそれでも足りなくて、自家用車の中に寝泊まりしている人もいました。

車に停まった人の中には、地震があまりに激しく繰り返すため、避難所の建物の安全性も信頼できず、何かあった時にすぐに逃げられるようにと車を選んだ方もいたようでした。

しかし狭い車の中で寝泊まりしていると、「エコノミー症候群」と言われる症状が発生します。飛行機でエコノミークラスに乗っていて長いフライトをしたときに起こることがある症状で、足などの血管の中に血栓という血の固まりができてしまい、それが血管を通じて頭に入って脳梗塞を起こしたり、心臓に入って心臓を止めてしまったりする恐ろしい症状で、これが合計で51件も発生しました。

この症候群で命を落とした方も含め、地震の時には命を長らえたけれども、その後の辛い避難生活の中で亡くなった方の数は全部で102人に登りました。あわせて152人が亡くなったのでした。

一方で川内原発とは反対の方向にも断層に沿って揺れが続いていきました。日本列島は一番西に沖縄島などのたくさんの島を抱えていて、さらに九州、四国、本州、北海道から成り立っています。

熊本県は九州にありますが、そこで起こった地震が九州の南の鹿児島県側と、東の四国側に移っていったのでしたが、実は九州と四国の間ぐらいから、四国を貫き、本州の紀伊半島を貫いてのびている大きな断層帯があります。中央構造線と名付けられているのですが、そこにも原発が建てられています。

四国の愛媛県にある伊方原発で、今年の8月に3号機の再稼働が強行されました。

このためこの地震は原発の危険性をあらためて大きくクローズアップさせるものとなりました。熊本で起こった地震と同じ規模の地震が原発を直撃したら、少なくとも設計上はとてももたないのです。

しかも多くの人々が地震ですでに犠牲になっていたし、ものすごい数の人々が避難所に集まって、家に帰れないでいる。そんな状態でしたから、各地から「川内原発を停止せよ」という声が上がりました。もちろん僕もあげました。

何せ避難経路の中心の一つである新幹線も停まっていたのです。道路も激しく壊れていました。空港も一時期でしたが閉鎖されていました。

ところが日本政府と九州電力はこれらの声を無視して、川内原発を動かし続けました。鹿児島県の知事も原発の稼働を支持し続けました。この姿に全国で怒りが高まりました。

続く

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1 コメント

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Unknown (梅谷)
2017-01-08 13:53:46
記事の配信ありがとうございます。
本記事(「明日に向けて(1337)トルコへの手紙―日本での地震の頻発と原発の危険性について-1」)に誤記と思われる部分がありましたの

で、コメントを投稿させていただきました。

・「『設計時にこれだけの揺れが来る可能性があるので、」
 →「設計時に『これだけの揺れが来る可能性があるので、」
・「とても人々が逃げ出せない状況に熊本県はその周辺がおかれていました 。」
 →「とても人々が逃げ出せない状況に熊本県とその周辺はおかれていました 。」
・「50人にも登りました。」
 →「50人にも上りました。」
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