明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2088)長崎西山地区の人々は被爆されるままにまかされ観察され続けたーNHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー3

2021年09月01日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です(20210901 23:30)

NHKスペシャルの文字起こしの3回目をお届けします。なお小見出しは守田がつけました。

アメリカは西山地区で被爆による健康被害を克明に調べていた

NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-3回目
2021年8月9日放映 今回分は40分30秒から59分16秒=1本目の終わりまで。
https://onl.tw/eTHHq7B
https://onl.tw/dmhTqFb

ナレーション
調査によって高い放射線が計測された長崎西山地区です。
戦後、住民の体調不良や、突然亡くなるケースが相次いでいました。実はその背後でアメリカは、西山地区の人たちを長期にわたって調査し、観察し続けていたことが解りました。

原爆投下から5年後の1950に纏められた残留放射線の報告書です。詳しい聞き取りと共に、住民の写真も添付されていました。

報告書
「農家の中尾夫人は、原爆が投下された時にかぶっていた綿のほおかぶりを倉庫から持ってきてくれた。彼女は原爆の後にやってきた泥の雨が、このてぬぐいの上に降ったと語った。」

中尾恒久さん。86歳です。
「ははあ。これはここですねぇ。これはたぶんうちの母親でしょうね」

写真の女性は母親のたかさんでした。原爆が投下された時、10歳だった中尾さん。アメリカの調査団が家を訪れ、雨について調べていたことを覚えていました。

中尾さん
「原爆の落ちたときは暑かったとですもんね。雨降ってきたちゅうて外に出おったとですよ。雨っていうてもドロドロした、ちょっと油っこかった雨だったですよ。」

報告書では、残留放射線と雨との関係について分析していました。
「住民によると西山地区に降った雨は赤みがかった黒色で、異物が混じった大粒の雨だったと言われている。
配水管が詰まるほど濃い雨で、貯水池の水には苦みがあり、1週間ほど飲めなかったと語った。」

中尾さんの母親が8月9日に使っていた手拭いについても調べられていました。

「中尾夫人のほおかぶりをX線フィルムでサンドイッチ状態にした。そして横田基地のラボでそのフィルムを現像すると、おなじみの放射性物質の斑点が見られた。」

中尾さん
「もう相当、なご~飲んどっとですねえ」(言いながら白湯を飲みながら投薬を服用する中尾さん)
放射性物質を含む雨、いわゆる「黒い雨」にあたった中尾さん。その後、甲状腺の異常に悩まされ続けています。

NHK記者
「(残留放射線の)ちゃんと説明を受けたことはありますか?」

中尾さん
「いや、そりゃなか。放射能がそんなに残ってっていうとに知らせずに調査して。ほんとうに。事実ば教えてくれればとですねえ。」



西山地区は核爆発による放射性物質拡散のモデル地区にされていた

なぜ、アメリカは西山地区を調査し続けていたのか?私たちは、報告書を作成した人物の遺族を訪ねました。

マーグレット・レベンソールさんです。

今年父親の遺品を整理した時に、膨大な原爆の資料を発見しました。
「原爆に関する研究は重要性が高いと思ったので全部残しておきました。」

父親の名前は、リオン・レベンソール。



放射線を分析する装置を開発する会社、トレーサーラボ(Tacer lab)に務めていました。レベンソール残した手記には、西山地区を訪ねた理由が書かれていました。

「Tacer labは空軍と契約していて AFOAT-1(Air Force Office Atomic Energy1)と呼ばれる秘密組織が存在した.。
その目的はソビエトの核実験の爆発の際に出る放射性物質の検知であった。」

当時、ソビエトは初めての核実験を成功(1949年)。米ソの核開発競争が激しさを増していました。



レベンソールは大量の放射性物質が降り注いだ西山地区をモデルに、核爆発で放射性物質がどのように広まるのかをつかもうとしていたのです。

レベンソールの部下、ロドニー・メルガードさんです。西山地区には大量の放射性物質が残されており、格好の研究場所だったと言います。

NHK取材班スタッフ
「広島・長崎の原爆で、残留放射線は存在していましたか?」

ロドニー・メルガード
「はい、もちろん。原爆を開発した科学者たちは正確に把握していました。爆発直後、放射性物質の90%は空気中にあり、小さな粒子が風に乗って浮遊していたはずです。
風下であれば数㎞離れた場所でも、命を脅かすような放射線の影響が出ていたでしょう。」


西山地区の土をアメリカに持ち帰ったレベンソールは、人体への影響の手がかりも見つけていました。放射性物質の核種です。
核種とは原子核の種類のことで、陽子と中性子の数によって放射性物質の種類を特定できます。

リオン・レベンソール
「我々はバークレーに戻って土を分析したところ、放射性ルテニウム(Ru-106)とセリウム(Ce-144)が見つかった。これらは最初のプルトニウム原爆(長崎原爆)から出たものであることが確認された。」


私たちはレベンソールの資料を、残留放射線を長年研究する物理学者星正治教授と、放射線影響科学専門の大滝恵教授に見てもらいました。

広島大学星正治名誉教授
「こういう測定ができるというのは ものすごい量の放射能があります。僕の感覚から言うと。このルテニウムとセリウム。これはよく核実験の後で見つかる「核種」やから。
体にもし入ったとしたら、放射能によって体のどこにいくか、「プルトニウム」や「ストロンチウム」は骨にいくとか、「セシウム」は筋肉とか違うから だから核種の同定は必要ですよ。
広島・長崎の「核種」を同定(確定)した話はないと思うな。」


もし、核種の情報が日本に伝えられていたら、原因不明の死や、体調不良を訴える住民の為の研究が進んでいた可能性があります。

広島大学大瀧慈名誉教授
「なぜいままで隠されてきたか?公やけな、公的なね、報告がなされてきてなかったか?そちらこそ問題があると思うんです。」



「この結果、このデータに関連するようなですね、調査とか研究が行われていないとは、むしろ考えにくいんですよ。」



1950年にレベンソールが(米)国の原子力委員会で行った報告です。

レベンソール
「長崎と広島で低レベルの放射性物質が、広範囲にわたって点在し続けている証拠に多くの関心が寄せられた。
被爆地域の肥料に現地住民のし尿が用いられるため、除去された放射性物質はその地域に戻されるだけでなく、汚染されていない地域にも散布されることが考えられる。



残留放射線の影響は、アメリカが行っている被爆者の遺伝子研究にも重要な意味を持つ可能性がある。」


アメリカは日本が独立した後も、残留放射線の影響を継続しました。しかしその成果は、西山地区の住民達に伝えられることはありませんでした。


被爆するがままに任され観察され続けた西山地区の人々

西山地区に住んでいた義理の妹を亡くした松尾トミ子さんです。松尾さんは幸子さんの死に対して、今も割り切れない思いを抱いています。
今回、幸子さんの死因について1980年に長崎大学がまとめた報告書を入手しました。

長崎医学会報誌 43巻9号  809-813頁
所謂、「西山地区」より発生した慢性脊髄性白血病の一例(急性転化例)  長崎大学原研内科教室
富安孝則(とみやすたかのり)・岡部信和(おかべのぶかず)・松本吉弘(まつもとよしひろ)


飲み水を通して、体内に放射性物質が取り入れたれた可能性が指摘されていました。
「しかしこの一例のみでは、残留放射線との因果関係は断言できない」と結ばれていました。

NHKスタッフが松尾トミ子さんと面談し「長崎医学会報誌」を見せて説明
「こういう所にすごく高い残留放射線が測定されていた。だけど公表されていなかったということなんですよね。」

松尾トミ子さん
「ええ、ええ。」

私たちはアメリカが原爆投下の5年後には確証を特定し、人体への影響について研究を続けていたことを伝えました。

松尾トミ子さん
「いやあ、はっきり言って腹が立ちますよね。うん。これは人として見ていないみたいな感じが私はするんですよ。実験みたいにしてるなって。そういうふうにしか取れないですね。」


実は西山地区では、長年放射線の影響が噂されていました。しかし農業で生計を立てる住民が多く、誰もそれを自分から語ろうとしなかったといいます。

松尾トミ子さん
「父もお野菜作っていたんですよ。市場に持っていってたんですよ。それをして生計を立てているから、売らないといけない。だけどそれを言ったら、自分たちの生活が成り立たない。



「何か言ったら、みんなから変な目で見られる。村八分になる。そういう気持ちがあったんじゃないかなと思いますけどね。」

松尾幸子さんの死から10年後、西山地区で2例目の白血病を発症した住民が亡くなりました。しかし今も、残留放射線との因果関係は証明されていません。


「残留放射能」から目を背けたまま核開発が進み、ビキニ環礁、スリーマイル島、チェルノブイリと深刻な被爆(被曝を含む)が続いてきた

長年、西山地区の白血病について研究を行ってきた、長崎大学の朝長万左男(ともながまさお)名誉教授です。原爆との関係を証明するのは容易ではないとしています。


朝長教授
「普通の人からも10万人に1人か2人は慢性骨髄性白血病は出るんですよ。
「それと混同していませんか」と、言われると「いやいや、これははっきり原爆の放射線で起こっているんですよ」と言うにはどうですか。相当な根拠がないといかんですよ。そこですね。
(残留放射線は)累積していくわけだから、本当はそれが計算できないといけないけど、生活パターンが非情に、その時に福島でも同じような問題が起こっているのですけどね。外にどのくらい出ていて、家の中でどのくらい生活していたのか。
そうしたことを毎日記録している人なんていないでしょう。そういうところに壁があってね、福島でも正確な被爆線量を出すことは非常に難しいんですよね。」

アメリカが残留放射線を否定したことは、何をもたらしたのか?

朝長教授
「残留放射能の研究が進んでないでしょ。例えばプルトニウムが人体に入っててね、これも残留放射能でしょ、ある意味でね。それが、今頃分かってんのよ。
一生懸命にその当時にやっていれば、もっといろんなデータが出たはずでしょ。そういう事ですよね。そこに科学者でもない陸軍のトップがね、「無い」と判断するのは、もう、政治以外の何ものでもないですよね。」

その後、核兵器の開発を押し進めた世界は、残留放射能の存在から目を背け続けました。



1954年、アメリカはビキニ環礁で核実験を実施。

爆発の際に出た放射性物質が広範囲に降り注ぎ、日本の第五福竜丸が被爆しました。


更に、核の平和利用を掲げた原発で事故が発生。(スリーマイル島原発事故1979年)放射性物質が放出され、その影響が議論されます。



そして1986年、チェルノブイリ原発事故で、史上最悪の放射能汚染事故が起きます。


原子炉から出た大量の放射性物質が、外部に拡散。WHOでは「被爆による死者は9000人に上る可能性がある」と推定しています。


続く

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