STONEWALK HIROSHIMA

ストーンウォーク・ジャパン2005のその後をお知らせします。

8月5日のニュース23を見て感じたこと

2005年08月16日 | Weblog
録画してあったビデオを盆休みに見ました。
 この時期、ヒロシマ。ナガサキの被爆、敗戦記念日と続き、今年は戦後60周年という事もあってか、被爆体験、戦争の悲惨さ、靖国問題、憲法や平和を考える番組が、毎日流れていますが、この時期だけでなく、日常的にこのような問題を提起すれば国民の意識は随分変わるのではないかと感じました、ニュース23の中でわずか11分でしたがNBC制作のストーンウオークの影像は、ほんの少しですがにストーンウオークかかわったものとして印象深く観賞しました。
 私達の国は、戦後平和主義憲法のもと。平和主義を貫く特異な国として存在し続ける、と信じていましたが戦後60年たった今、戦争を知らない大人達が政治の表舞台に立ち偏狭なナショナリズムをむき出しにするような言動をちらつかせ、靖国神社参拝を繰り返し、アジアの国々との関係を悪化させ、戦争を体験した我々をハラハラさせている今日この頃ですが。ストンウオークで米国から碑石をひいてきた一行の行為は、私達を感動させ勇気を与えてくれたと思います。
 番組では、わずか11分という短い時間の間に、9,11でご主人を失った、アンドレアさんを中心によくまとめてありました、アンドレアさん一行は、アメリカがヒロシマ、ナガサキに原子爆弾を投下し多くの市民を犠牲にしたことを謝罪し、無名の戦争犠牲者を慰霊するため、悲しみを乗り越えて、痛めた脚をひきずり、命の重みを訴えておられる姿に感動しました。
 私達はヒロシマ、ナガサキの被害者ですが、同じような被害をアジアの人々に与えた加害者である、ことを忘れてはならないと思います,このことをアンドレアさん達ストンウオークの方々に教えられたと思います。
そして悲惨な加害行為は今でも中東で続いていますが、一日でも早くこの行為を終結させるよう働きかけ、二度と加害者にならない誓いを立てなければと思いました。
(赤司暸雄)



戸村良人さんの「行動の写真集」より(8/6朝、原爆ドーム前)

2005年08月16日 | Weblog

下記をクリックして頂くと、6日朝の原爆ドーム前の67枚の写真が出てきます。 http://simoiti1329.web.infoseek.co.jp/pead198/198-01.5.8.06genbakudo-mu001-010.htm
http://simoiti1329.web.infoseek.co.jp/pead198/198-02.5.8.06genbakudo-mu011-020.htm
http://simoiti1329.web.infoseek.co.jp/pead198/198-03.5.8.06genbakudo-mu021-030.htm
http://simoiti1329.web.infoseek.co.jp/pead198/198-04.5.8.06genbakudo-mu031-040.htm
http://simoiti1329.web.infoseek.co.jp/pead198/198-05.5.8.06genbakudo-mu041-050.htm
http://simoiti1329.web.infoseek.co.jp/pead198/198-06.5.8.06genbakudo-mu051-060.htm
http://simoiti1329.web.infoseek.co.jp/pead198/198-07.5.8.06genbakudo-mu061-067.htm
アドレスが長すぎ、開かない方は、下記「行動の写真集」の最後からも開けられます http://simoiti1329.web.infoseek.co.jp/index.html
戸村良人 E メ-ル simoiti1329@do.enjoy.ne.jp


http://ww3.enjoy.ne.jp/~simoiti1329


ストーンウォークと「被爆教会」

2005年08月16日 | Weblog

写真説明:最後の祈り(日本キリスト教団広島教会に到着した碑石を囲んで)

 暑い8・6が終わりました。一㌧の慰霊の碑石を台車に乗せて、長崎から曳いてきた米国人や日本人支援者と共に、私は原爆ドーム前でダイインをしました。60年前のこの日、地面にこうして横たわったまま亡くなった多くの無名の市民を思います。

 すべての宗教のための修道会であるピースアビー(米国マサチューセッツ州)は、1999年にアーリントン国立墓地へこの碑石を運び、受け入れを拒否されました。2000年にアイルランドのかつての紛争地域を、01年はイングランドを、04年には9・11遺族の会、「ピースフル・トウマロウズ」も加わり、ボストンからニューヨークまで行進をしてきました。彼らは愛する家族を失った悲しみの思いを、長崎と広島の被爆者と分かち合いたいと、今回のウォークに加わったのです。

  炎天下、600㌔、延べ1500人の行進。ウォーカーたちは多量の飲料水を消費しました。ピースアビーのダットさんは、朝の出発時に「この暑さの中、みなさんは水が欲しいでしょう。広島、長崎では多くの市民が被爆後に水を求めて、放射能を浴びた川の水を飲み、苦しんできたのです」と祈りました。

  この碑石を広島市に差し上げたいという彼らの申し出に対して、担当の緑化推進部は、市所有の緑地公園への設置を許可しないという決定をしました。石がすでに船に乗せられて日本に向かっている時だっただけに、途方にくれました。広島教会の皆様から、安置先が決まるまで教会に置いても良いというご承認をいただいた時には、胸をなでおろしたものでした。

  8月4日の午後5時、碑石の乗った台車は教会の皆様の出迎えを受けて到着しました。石とお別れをした「ピースフル・トウマロウズ」のアンドレア・ルブランさんの目は、涙でいっぱいでした。私はこの時、「大きな石は一人では動かせない。たくさんの人達が力をあわせて動かすのだ」と学びました。

 無名市民の戦争犠牲者を悼むこの碑石が「被爆教会」と言われる広島教会に届くのに60年もかかってしまいました。この碑石は動きます。日本人の手によって、アジアの国々へ慰霊の旅に出なければなりません。 教会員の皆様には、一円募金運動にもご協力いただきありがとうございます。大切に使わせていただきます。(ストーンウォーク・ヒロシマ 中村朋子)日本キリスト教団広島教会通信「シャローム」(ヘブライ語で平和があるようにという意味)No.295 2005.8.28発行に掲載