萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第30話 誓夜act.4―side story「陽はまた昇る」

2011-12-24 23:59:57 | 陽はまた昇るside story
ほしいものは、




第30話 誓夜act.4―side story「陽はまた昇る」

台所にくゆる湯気が温かい、ほっと安らぐ匂いが幸せで英二は微笑んだ。
微笑んで見つめる調理台の前には、いつもの紺色のエプロンをきちんとした周太が立っている。
その手元が手際よく動いていくのを、つい英二は飽きもせず見つめてしまう。
邪魔になるかなと思いながらも、つい英二は思ったままを話しかけた。

「ね、周太?それは何を作ってるところ?」
「ん、…鶏をね、クルミを混ぜた衣で焼く、よ?…だからクルミを炒って、香りをだしているところ」
「旨そうだね、周太。俺ね、クルミの衣って初めて食うよ。楽しみだな」

こんなふうに食事を作ってくれる姿、ほんとうに日常のありふれた風景。
けれど英二には本当に幸せで嬉しくて仕方がない。
幸せに英二は微笑んで、紺色のエプロンの肩越しに手元を覗きこんでいた。
こうすると周太に近くて良いなと見つめていると、遠慮がちに黒目がちの瞳が英二を見上げた。

「あの…料理中はね…そんなにちかいとあぶないから…ね、英二、少しはなれて?」
「許してよ、周太?だってさ、もう1ヶ月と5日もさ、俺は我慢してきたんだから」

そんなこと言われても離れたくないよ?周太の肩に顎を乗せて英二は微笑んだ。
そう覗き込む黒目がちの瞳が困ったなと考え込んでいる。それも可愛くて英二は周太に笑いかけた。

「じゃあさ、周太。なにか手伝わせてよ?でないと俺、離れられないから」
「あ、…じゃあね、クルミを砕いてくれる?…いま火から下ろして、すり鉢に移すから」
「うん。周太、お手本見せて?そしたら俺、出来ると思うから」

こんなふうに一緒に台所に立つ時間も良いな。うれしくて英二は教わりながら手伝った。
いつか一緒に暮らす時にも、こんなふうに周太を手伝って隣に立てたらいい。
その日を迎える為なら自分はどんなことでも出来る、だから最高峰に立つことすら自分は選んだ。
それは最高の危険地帯に立つ道、そこでのレスキューほど危険な仕事も無い。
その心配を周太に負わせることが辛い、けれどそれが周太を援けて幸せに出来る唯一の道だろう。

それでも、ごめんね周太?
俺にはこの道しか思いつけない、そしてこの方法しか出来ないんだ。
たくさん心配させる、泣かせるかもしれない。それでもこの道でしか周太を援けることが出来ない。
この警察機構の最暗部へと向かう周太。それでも救いだす為の道は自分には、きっとこれしか無いから。
そして今はもう、その道に立つことは自分の夢にもなり最高のパートナーすら掴んだ。

だから、すまない国村。
大切な友人のお前と夢ですら俺は、周太を援ける為に利用するんだ。
お前はそれを全部理解して、それでも自分を生涯のアイザイレンパートナーに選んでくれた。
だから俺は全力でお前をサポートする、その為にも最高のレスキューに俺はなるから。
そしていつか周太を救いだしたら。その暁には楽しむ為だけにお前と山に登りたいよ。

きっと「いつか」を自分は掴んでみせる。
そして愛する人も友人も守りぬいて、必ず幸せに笑ってみせる。
そんな想いに微笑んで、英二は周太へと話しかけながら手を動かしていた。

「周太、こんなで大丈夫かな?」
「ん、…上手に出来てるね、英二。ありがとう…あ、今の、門が開いた音?」

周太の言葉に澄ました英二の耳に、飛び石を踏む音が聞こえた。
軽やかな足取りはきっと彼女だろう、微笑んで英二は周太の顔を覗きこんだ。

「周太、お出迎えしてきていい?」
「…ん、ありがとう。きっとね、喜ぶ」

うれしそうに黒目がちの瞳が微笑んでくれる。
ほら、笑ってくれた。その笑顔がうれしくて英二は周太の頬にキスをした。

「…っ、」

不意打ちに黒めがちの瞳が大きくなる、そのまま紅潮が首筋きれいに昇りはじめた。
この顔かわいくて好きだな、幸せで英二は微笑んだ。

「かわいい、周太」
「…あの、だからりょうりちゅうはあぶないからって…うれしい、んだけど…あ、母の出迎え、おねがい」
「お願いしてくれるんだ、周太?うれしいよ、周太の『おねだり』はさ」

きれいに周太に笑いかけて英二は、あわい紅の花束を提げて玄関に向かった。
落着いた端正な玄関口に立つと、ちょうどオーク材の扉が開いていく。
そして明るい黒目がちの瞳が、玄関に佇んだ英二を見つめてくれた。
タイミング良かったな、きれいに笑って英二は出迎えた。

「おかえりなさい、お母さん」

英二は初めての呼び方で彼女に呼びかけた。
そんなふうに迎えた黒目がちの瞳が明るくきれいに笑ってくれる、楽しげに周太の母は応えた。

「ただいま、英二くん」

初めて名前で呼んでくれたな、うれしくて英二は笑った。
笑いかけながら彼女から鞄を受け取ると、あわい紅に白と銀緑の花束を手渡した。

「はい、クリスマスの花束です。お好みに合いますか?」
「ええ。うれしいわ、どの花も好きよ?バラの実がね、クリスマスぽくて素敵」

きれいに笑ってくれる彼女は、どこか年を忘れたように透明でいる。
周太も年齢より幼げで透明な雰囲気を感じさせる、やはり周太は母似が多いのだろう。
このひとが自分の大切な人を生み育ててくれた、そして自分も受け留めてくれる。
もし彼女がいなかったら周太に会えず、きっと自分は今頃も人形のように生きていた。
そして少しずつ壊れていっただろう。
だから彼女も自分は大切にしたい、英二は微笑んだ。

「ご無沙汰して、すみませんでした」
「とても頑張っているのでしょう?ほら、見ただけで解かるわ」
「どこか変わりましたか、俺?」
「ええ。また大人になったな、て思ったわ。一生懸命に仕事をしている背中ね?あ、コート脱いでくるわ」

話しながら階段へ足を向けた彼女と、鞄を持った英二も一緒に2階へ上がった。
彼女の自室の前で鞄を渡すと、ふっと黒目がちの瞳が微笑んだ。

「とても意志の強い目になったね?」

なにか決意をしたのでしょう?そんなふうに瞳が微笑んでくれる。
そのとおり英二は1つの決意をした。それを彼女には話しておきたくて英二は一緒に2階へ上がった。
彼女にも受け留めてほしい、英二は静かに口を開いた。

「最高峰を登るために生まれた男とね、友達になったんです。
 それで言われました、生涯のアイザイレンパートナーとして一緒に最高峰を登ろうと」

すこしだけ黒目がちの瞳が大きくなる。その瞳は周太と似て、けれどまた違う強さを持っていた。
そんな瞳で微笑んで彼女は、静かに英二に訊いてくれた。

「彼は周太のことを、知っているの?」
「13年前から事件を知っていたそうです、それで周太が誰か解かっていたと言われました。
 そして俺と周太のことも全部を解かった上で、俺をアイザイレンパートナーだと言ってくれます」

国村は全部を理解している、そのうえでアイザイレンパートナーを組むと言っている。
それは国村も一緒に周太を守ろうと言ってくれていること、そのことが彼女には解かる。
きっとそれは彼女には嬉しく、そして悲しい。
黒目がちの瞳を揺らしながら、それでも穏やかに彼女は微笑んだ。

「彼と2人で、もう、決めてしまったのでしょう?」
「はい、決めました。あいつはね、最高のクライマーなんです。
 だから俺はね。最高のレスキューとして、あいつを支えて登りたいんです」

きれいに微笑んで英二は彼女の瞳を真直ぐに見つめた。
どうか心配しないで?俺たちは大丈夫だから。そんな想いで見つめる黒目がちの瞳が、ふっと笑ってくれた。

「最高のレスキューとして、最高峰へ?」
「きっと、それが周太を援ける方法に繋がると思うんです。
 だから俺、最高峰に立ちにいきます。それに俺、最高峰に登ってみたいって思っていたから」

英二の言葉に黒目がちの瞳が微笑んでくれる。その瞳にはまた1つ想いが深くなっていた。

「やっぱり山ヤさんとしては、最高峰に登ってみたい?」

訊いてくれる瞳は寂しげで悲しげで、けれど明るい想いが深く笑ってくれる。
どうか悲しまないでほしいな、きれいに英二は微笑んだ。

「もちろんです。でもきっと俺、自分だけなら本気では目指せませんでした。
けれど、あいつが誘ってくれたから登れます。だから俺はね、本気で夢を叶えたいと思っています」
「どんな夢?」

またすこし明るくなった瞳が、微笑んで英二に訊いてくれる。
ほんとうに自分は幸せだからね?そう目で言いながら英二は言った。

「世界一の最高峰で、世界一に周太を愛してるって想いたい。それはね、最高に幸せだって思いませんか?」

最高峰から最愛の人を想うこと、それは山ヤにとって最高に幸せなことだろう。
こんな生き方と夢を春には少しも想像できなかった。けれど今この冬には全てが現実のことになっている。
それが不思議で、けれど本当に楽しい。そんなふうに笑いかけた英二に、彼女の笑顔が明るく咲いた。

「ええ。きっと最高に幸せね。だから無事に登って、必ず周太のとこへ帰ってきて?」

もちろんだ。
きれいに笑って英二はうなずいた。

「はい、必ず帰って周太に、ただいまって言います。これはね、絶対の約束です」


14時半になって、周太の母は軽やかに出かけて行った。
帰りは明日遅くなるからと微笑んだ彼女は、鞄を渡す英二にそっと耳打ちしてくれた。

「少しでも多く2人の時間を過ごして?そして、あの子を幸せに笑わせてね」
「はい、笑わせます」

2人の時間を作るために彼女は明日遅く帰るのだろう。
そんな彼女の気遣いにも周太の日々の寂しさが想われた。
ほんとうに毎日を一緒にいたい、けれど今それは出来ないことだった。
だからせめて今日と明日は幸せに包んでしまいたい。
出かけた彼女を見送って英二は、周太を振り向いて微笑んだ。

「ね、周太。周太の『雪山』を見せてよ」
「ん、…花がね、11月より、多くなった、かな?」

雪の庭へ入ると午後の陽に白銀が明るく輝いていた。
さくり音を踏んで木の前に立つと英二は、常緑の梢を見上げて微笑んだ。

「ほんとだね、周太?たくさん咲いて、きれいだ」

山茶花『雪山』は雪の寒さにも凛と咲いていた。
雪残る梢に真白な花々は咲いて、花を抱く常緑の葉は冬の陽光に映えて輝いている。
周太の誕生花として周太の父が植えた花木だった。

「御岳山の『雪山』もね、周太。たくさん花が咲いているよ。でも、これよりは少ないかな」
「ん、…ここのほうが陽当りが良いから、かな?」

花を見上げながら周太は、うれしそうに笑っている。
こんな笑顔をたくさん見つめたいな、雪の庭で英二は左掌と周太の右掌を繋いだ。

「すこし手が冷たいね、周太?家に入ろう」

やわらかく繋いだ掌の温もりが幸せで、英二は黒目がちの瞳に笑いかけた。
繋がれた掌に気恥ずかしげな瞳を伏せて、それでも周太は微笑んだ。

「ん、…あ、ココア飲む?」
「うれしいな、周太のココアは初めてだね。きっと甘いんだろな。ね、周太?」
「…なんかはずかしくなるんだけどなぜか…」

そっと繋いだ掌を惹きながら英二は周太と台所へ戻った。
台所に立つと周太はココアを作りながら、夕飯の支度も進めていく。
ほんとうに手際が良いなと見つめていると、周太が振り向いて微笑んでくれた。

「ね、英二。カップを出してくれる?…英二のと俺と、あと…その紺色のカップ」
「これかな、周太?」

紺色のカップには使いこまれた温もりが感じられた。
きっとそうだろう、英二は微笑んで周太に訊いた。

「周太、これが周太の父さんのカップ?」
「ん、そう…ね、英二。父の書斎にね、置いてあげてくれる?」

微笑んで答えながら紺色のカップを受け取ると、周太はココアを注いだ。
ゆるやかな甘い香の湯気をくゆらせながら、カップが満たされていく。
注ぎ終わると周太は、そっと英二に手渡してくれた。

「周太?俺、すこし周太の父さんと話してきていいかな」
「…ん。英二の話はね、きっと父もよろこぶと思う」

そう微笑んで周太は頷いてくれた。
なんの話なのか察しているだろう、そっと英二は周太の額にキスをして微笑んだ。

「すぐ戻ってくるから」

おだやかな陽射ふる廊下を歩いて、英二は書斎の扉を開いた。
書斎には窓からの陽光が、明るくさしこんで温かな空気がゆるやかでいる。
その空気に香を感じて視線をめぐらすと、あわい紅のバラが重厚なデスクで静かに香っていた。
バラは書斎の主の写真と佇んでいる、きっと周太の母が供えてくれたのだろう。
そんな気遣いがうれしい。そっと微笑んでカップを写真の傍に置くと英二は口を開いた。

「さっき俺、お母さんにも話しました。最高峰へ登ること」

見つめる写真に、周太の父は誠実な笑顔で佇んでいる。
どんな想いで自分の決断を見てくれるのだろう?見つめながら英二は言葉をつづけた。

「山ヤとしての夢も友達の夢も。なにより周太を幸せに笑わせたい。
 全部を叶える為に、俺、最高峰に立ちたいんです…見守ってくれますか?」

妻と息子を連れて山で過ごしていた、そして息子と植物の採集帳を作っていた。
自分の父親や息子や妻のために、手作りで家具を作っていた。
息子の誕生を寿いで誕生花を庭へと植え慈しんでいた。
そんな穏やかで家庭的な周太の父。その姿に思ったままを、ふっと英二は口にした。

「…なぜ、警察官になったのですか?」

周太の父が作った家具はどれも、頑丈だけれど繊細なフォルムが美しい。
周太の父が記したラテン語は、流麗な筆跡で書き馴れている。
山を愛し植物の造詣が深く、花言葉に寄せて息子の誕生花を植えた。
穏やかで博学で繊細な人柄が周太の父。そんな男が警察官になったことに、違和感が感じられてならない。

― 父はね、英文学科だったらしい。それでね、ラテン語とか得意だったみたい

周太が言っていたことを想いながら、英二は書棚へと向き合った。
書棚に並ぶ背表紙の記載はフランス語が並んでいる、それが英二には不思議だった。
なぜ英文学科出身でラテン語が得意な男の蔵書が、フランス文学ばかりなのだろう?
あれほどラテン語が流暢ならイタリア文学も親しむはず、そして英文学科なら英文学の原書が多いのが自然だ。
けれど英文原書は周太の部屋にある『Worthworse』とこの書棚の隅に納められた2,3冊くらい。
どうしてなのだろう?そう眺める書棚の1冊に英二の目がとまった。

『Le Fantome de l'Opera』

初めて周太と新宿で過ごした警察学校時代の外泊日。あの日に周太が買った本と同じ本だった。
紺青色の表装にも見覚えがある、けれどこの書棚に並ぶ背表紙は少し古びていた。
きっと元からある蔵書なのだろう、ではなぜ周太は蔵書と同じ本を買ったのだろう?
その本を長い指で抜き取ると、その重みに違和感を英二は感じた ― 軽すぎる。
そんな感触と開いた本に、英二の眼が少し大きくなった。

「…ページが無い、」

本は大部分が抜き取られ、最初の数ページと最後の数ページしか綴じられていなかった。
英二は窓辺に立ち綴じの部分を確かめた。よく見ると刃が逸れたような切傷も残されている。
わざと切り外した痕跡に英二の違和感が大きくなった。なぜこの本はページを切り取られたのだろう?
壊された本を持ったまま英二は書斎机の前に立った。
見つめる写真から周太の父が微笑んでいる、そっと英二は問いかけた。

「…なぜ、この本を壊してまで、手元に置いたのですか?」

周太の父の蔵書はどれも端正に保管され、きれいなままでいる。きっと本を愛する人だった。
本を大切に扱っていた周太の父、もし読まなくなった本なら古本屋に売るなり譲るなりするだろう。
なぜ本を壊し無残な姿にしてまでも、蔵書に置く必要があるのだろうか?

紺青色の表装『Le Fantome de l'Opera』と佇んだ英二に、階段を上がる微かな軋み音が届いた。
クライマーウォッチを見るといくらか時間を過ごしている。英二は元の場所に本をしまうと書斎の扉を開いた。

「…あ、英二?」

開いた扉のむこうに丁度、トレイを持った周太が通るところだった。
大好きな黒目がちの瞳が驚いたよう大きくなっている、可愛いなと英二は微笑んだ。

「周太、部屋でココア飲むの?トレイ持ってくよ」
「あ、ん…ありがとう、英二。あのね、屋根裏部屋は、陽当り良くて気持ちいいから、」
「そういうのいいね、周太。あと、遅くなったかな俺?ごめんね、周太」
「いや…ゆっくり父とね、話してくれたなら、うれしい…よ?」

そんなふうに話しながら英二は周太と屋根裏部屋に上がった。
上がった部屋は太陽が穏やかな温もりに満たし、白い壁と無垢材の床も明るんでいる。
サイドテーブルにココアのトレイを置くと、英二は書棚を覗き込んだ。

「周太。この本はみんな、周太の本?」
「あ、ん。そうだけど…あ、『Worthworse』はね、父の本…それから百科事典は祖父の、らしい」
「植物図鑑もあるんだね、周太?」
「ん、それはね、父が買ってくれたんだ…挿絵がきれいなんだ、あとラテン語でね、学術名が載ってる」

そう言いながら周太は図鑑を出してくれた。
受け取ってページを開いてみる、そこには繊細なタッチと鮮明な色彩の草木が描かれていた。
きれいでやさしい印象の、絵本のような植物図鑑。
周太らしい好みの本がなんだかうれしい、眺めながら英二は微笑んだ。
そうして立ったままページを繰っていると、なにか引きずる音がして英二は顔をあげた。
見ると梯子から周太がマットレスを上げようとしている、そっと本を閉じて木箱に置くと英二は笑いかけた。

「周太、そんなの俺がやるよ?ちゃんと頼ってよ」
「ん、ありがとう英二…でも大丈夫だよ、俺も力けっこうあるし…この押入れからね、上げただけだし」

一緒に運びあげて敷きのべると、真っ白なカバーが陽だまりにまぶしい。
ココアのトレイを傍に置くと並んでマットに座り込んだ。
天窓からふる陽射と青空が気持ちいい、温かいココアを飲みながら周太が微笑んで教えてくれた。

「あの椅子に座るかね…このマットレスで昼寝しながら、本を読むのがね…好きなんだ」
「周太の定位置なんだね。夜だと天窓から星が見える?」
「ん、見えるよ…月がね、ちょうど天窓に入ると、ほんとうにきれいだ」

他愛ない話をしながら繰る植物図鑑のページに、ふと英二の目がとまった。
ページには落葉松の林が描かれている、雲取山の野陣尾根と似た黄金の木洩陽がうつくしい森の姿だった。
きれいだなと眺めてページを押さえようと長い指を置くと、同時に周太が急いでページを繰ろうとした。
どうしたのかと見た周太の首筋に紅潮が昇り始めている。すこし驚きながら英二は隣を覗き込んだ。

「どうした、周太?なんでページ捲るんだ?」
「…あ、あの、…なんでもないんだきにしないで…」

見つめる周太の顔が赤くなっていく。
いったいどうしたのだろう?解からなくて英二は周太の顔を覗き込んだ。

「ね、周太?落葉松の林が何かいけなかったか?」
「…ん、あの、…いや、」

言い淀んで周太はマグカップに唇をつけて、黙ってココアを飲み始めてしまった。
こんな周太は今日2度目だ、昼間は「周太の欲しいもの」を訊いた時もこうだった。
恥ずかしがるのは周太らしい含羞が可愛い。けれど、言いたい事を言ってもらえないのは悲しい。
逢えない時間の所為か、それとも周太は俺が話し難いのかな。そんな寂しさに英二はため息を吐いた。

「周太、俺ってさ、周太には話し難い相手にね、…なっちゃったのかな」
「え、?」

黒目がちの瞳が大きくなる、この顔はやっぱり可愛い。
けれど今は寂しい気持ちが強いまま英二は口を開いた。

「だって周太?欲しいものもね、言ってくれないだろ?今も理由、教えてくれない。
 やっぱり逢えない時間が長くて、さ…俺のこと信用できなくなっちゃったのかな、て」

言っている端から英二の目の底が微かに熱い。
それでも英二はすこし微笑みながら周太を見つめた。

「ね、周太?俺のこと想ってくれるなら、話してほしいよ?周太が想うこと俺、全部を知りたいし聴きたい」

だから話してほしいな?そう見つめた英二の目から、ひとすじ涙が零れおちた。
泣いている?そんな自分に少し驚きながら、長い指で英二は涙を払って微笑んだ。
そう微笑みかけた黒目がちの瞳がそっと英二に近づいた、そして周太の唇がかすかに動いてくれた。

「…英二、ごめん…違うんだ」
「周太、」

静かに周太の唇が英二の唇にふれた。
やさしい周太からのキス、静かに英二は瞳をとじながら周太を抱きこんだ。
ふれるだけ。けれど温かで穏やかで幸せが寄り添ってくれる周太のキス。
この逢えなかった1カ月と5日の間、なんども想いだした優しい感触に英二は嬉しかった。
そっと離れると、黒目がちの瞳が真直ぐ英二を見つめてくれる。そして周太は恥ずかしそうに告げてくれた。

「…あの、ね、英二。…その落葉松の林の、絵がね、雲取山に似ていて…
 英二を想いだすんだ、それで俺…帰ってくるたびに見てた、から恥ずかしくなって…驚かせて、ごめん」

そんなのうれしい。
やっぱり自分の片想いじゃなくて、周太も想ってくれている。うれしくて英二は微笑んだ。

「周太も、俺を想いだしてくれたんだ?」
「ん、…いつもね、想ってる…新宿でも、そう。街のあちこちで、…英二の気配をね、探してしまうんだ」
「そういうのはね、周太?俺、すごいうれしい」

ほんとうにうれしい、うれしくて英二は周太の頬にキスをした。
とたんにまた頬を赤くして、それでも周太は言ってくれた。

「あのね、英二?…ちょっと一緒に来て?」

そう言って立ちあがると、周太は梯子を降りて行った。
英二も立って梯子を降りていくと、気恥ずかしい顔の周太が窓辺に佇んでいる。
雪の庭が見える窓へと英二も並んで立つと、困ったような顔で周太が1つの箱を差し出した。

「…あのね、クリスマスだから…これ、その…受け取ってほしいんだけど」

きれいな落着いたトーンの包装がされた箱が、周太の両掌にくるまれている。
自分へのプレゼント?うれしくて英二は周太に笑いかけた。

「周太から、俺にくれるの?」
「ん、…もし、好みとか違っていたら、ごめんね?…こういうのって、俺、…初めてで、解からなくて」

こういうこと慣れてない、気恥ずかしくて困り果てた顔で周太が立っている。
そんな様子もうれしくて英二は、そっと箱を受け取った。

「ほんとうれしいよ、周太。これも『初めて』だね、それも嬉しい。ね、開けていい?」
「ん、…開けてみて?」

ベッドに腰掛けると英二は膝の上で深紅のリボンを解いた、何を周太はくれたんだろう?
そして、そっと箱を開いた英二の目が大きくなった。

「…周太、これ…?」

アナログとデジタルの複合式クライマーウォッチが、おさめた箱の中で光っていた。
ブラックベースにフレームへとブルーの細いライン、英二にはよく見覚えがある。
それは英二が本当に欲しかったモデルのクライマーウォッチだった。

英二は山岳救助隊への進路希望を決めたときに、クライマーウォッチを買っている。
ほんとうはアナログ複合式がほしかった、けれどデジタル式の倍以上の値段で自分には贅沢だと諦めた。
そして今している濃い紺青色のフレームのデジタル式を、外泊日に周太と買いに行った。
けれどその時にも英二は、周太に複合式の話はしていない。

「どうして周太、これが欲しいって解ったの?」

不思議で訊いた英二に、周太が困ったようにすこし口ごもった。
そしてひとつ息を吐くと、気恥ずかしげに周太は唇を開いてくれた。

「あの…最初にね、青梅署に行った時…英二の部屋でカタログを見て…それで…ほしいのかな、って思って」
「あ、デスクの上に置いてあったやつかな、周太?」

デスクの隅に英二は、カタログを置いたままにしてある。
クライマーウォッチに搭載された機能を使い慣れるのに、最初の頃に何度もカタログを読み返していた。
それでそのまま置いてあった、最近はもう慣れて読むことも減ったけれど。
それでも時折に複合式のページを眺めて、いつか欲しいなと考えていた。

「ん、…あの、勝手に見て、ごめんなさい…あの、その時計、…違った、のかな?」

すっかり困った顔で周太は真っ赤になっている。
初めてプレゼントした事とカタログの事が恥ずかしいのだろう。
そんな様子もうれしくて、英二は笑いかけた。

「俺ね、周太?このクライマーウォッチ、ほんとは欲しかったんだ。
 でも俺は山の初心者だからさ、まだ贅沢だなって思って諦めたんだ。
 それをね、俺が頑張ってるの見てくれる周太から貰えるなんてさ、俺、うれしいよ?」

「…そう?…英二、喜んでくれる?」

こんな高いものを悪いよ。ほんとうはそう言いそうになった。
けれど周太は「初めて」を一生懸命に考えてくれた、その気持ちを壊したくなくて言わなかった。
ただ喜んで受けとることが一番に周太にはうれしいだろう。
それに「腕時計」を周太に貰えたことがうれしい、きれいに笑って英二は言った。

「うん。だってね、周太?腕時計をさ、周太から貰えるだなんて幸せだよ?俺、一生大切にする」
「…ん、そんなに喜んでもらえて、うれしいな」

うれしそうに微笑んでいる周太に、そっと英二はキスをした。
笑って英二は恥ずかしげな周太を見ながら、今までのクライマーウォッチを外して周太からの贈り物を嵌めた。
フィット感や重さがやはりいい、うれしくて英二は微笑みながら改めて周太に訊いた。

「ね、周太?こんなに良いものを俺、貰ったんだからね。
 周太の欲しいもの教えてよ?そして俺からも贈らせてほしいな」

今朝ダッフルコートをクリスマスギフトに周太に贈った。あと着てほしいなと思ったニット3点。
それと元々から「周太の欲しいもの」をあげるつもりでいる。
いつも遠慮がちな周太だから、周太が欲しいものを訊いて英二は贈りたかった。
こんどこそ教えてくれるといいな、英二は覗き込んだ周太の瞳に微笑んだ。
その周太の瞳がそっと英二の元の時計を見、英二の目を見つめてきいた。

「あの、英二?…元の腕時計は、どうするの?」
「うん。もう5カ月になるかな、この時計は俺と一緒に歩いてくれた。だから大事にしたいけど、」

言いかけて英二は、周太の瞳を覗き込んだ。
もしかしてそういうことなのかな?微笑んで英二は周太に訊いてみた。

「周太の欲しいものって、俺のクライマーウォッチ?」

訊いた黒目がちの瞳が、心底気恥ずかしげに伏せられた。きっと当たりだ、うれしくて英二は微笑んだ。
周太が自分の腕時計をもらってくれるなら、うれしくて幸せだろう。けれど気になることを英二は訊いた。

「周太、俺のクライマーウォッチをね、周太はどうするの?」
「ん、…いつもね、腕にしておきたいなって、…思って。
 英二がずっとしていた腕時計だから…俺、ほしいんだ。一緒にいれるみたいで、いいなって…思って」

もうほんとうに恥ずかしい、そんなふうに真っ赤になりながらも周太は言ってくれた。
「一緒にいれるみたい」っていいな、うれしくて幸せに微笑みながらも、英二は確かめた。

「そうしたら周太?お父さんの腕時計は、どうするの?」

周太は父の遺品の時計をずっとしている。
そうして時折その時計に触っているのを、警察学校時代に英二はよく見ていた。
最近はもう時計に触らなくなっている、けれど大切な時計には変わりないだろう。
そう見つめる英二に、ゆっくり瞬いて周太は微笑んだ。

「ん。父の時計はね、…宝箱にしまっておこうと、想うんだ」
「さっきの、お祖父さんのトランク?」

静かに訊いた英二に周太は頷いた。そして穏やかに周太は話してくれた。

「俺はね、英二…ずっと父の殉職に縛られてきた。
 本当は、…父の記憶から目を背けてきた。13年間ずっと。
 そして今はね、父の記憶と素直に向き合える。
 だからあの部屋も13年ぶりに開けられた。だからこそ俺はね、父の姿と想いを最後まで見届けたい」

逢えなかった1か月と5日。その間に英二は決意を重ねていった。
そして周太も決意を重ねてくれている、その周太の想いに英二は寄り添っていた。

「父の生きた跡を辿ること、…それが警察の社会では危険なことだって、解っている。
 それでも、きちんと父の全てを知りたい、そして父のほんとうの想いを見つめたい。
 …13年前に父は、誰にも想いを言えないまま死んでしまった…
 そんな父の孤独も、悲しみも想いも、俺が知って受け留めてあげたい。
 …父の息子は、俺だけしかいない。だから、俺が父の想いの全てを知ってあげたい。」

周太の父の想いを全て知ること。きっとそれを超えなくては周太は自分の人生を歩めない。
それくらい周太は全てを賭けて父の想いを辿っている。
純粋で一途すぎる不器用な周太、そんな性質は警察官になど向いていない。
けれど周太は繊細で優しすぎて、父の想いを投げ出すことなんか出来やしない。
それを英二は解っている知っている。そしてそんな周太が英二は好きになって全てが始まった。
真直ぐ見つめる英二に、周太は微笑んで言った。

「父の想いを全て受け取れたら…
 そうしたら俺は心からね、ほんとうの自分の生き方を、見つけられると思う。
 本当は怖い、父の想いを辿ること。でも俺は後悔したくない、そして自分の生き方を見つけたい。
 それで英二…これは俺の酷いわがままだって思うんだけど…英二、ほんとうに一緒に父を見つめるの?」

「当然だろ、周太?俺はね、ずっと周太の隣にいたい。そのためなら何でも出来るよ」

そう英二が返事して微笑むと、幸せそうに周太が笑ってくれた。
そして周太は英二に教えてくれた。

「英二、…俺もずっと英二の隣にいたい。だから俺は、これからはね、英二だけの俺でいたい…
 だから父の時計を外して、英二の時計をしたい。そして英二に一緒に、父の想いを抱き留めてほしいんだ。
 これはほんとうに、わがままだって想う…だって俺は英二を巻き込むんだ。でも、それでも俺、…離れたくない。
 だって、…ずっと英二の笑顔を、見ていたいんだ…わがままだけど、…危険なのに、でも…」

微笑んだ黒目がちの瞳から、涙がひとすじほほを伝っていく。
こんなに自分を求めてくれる、その想いが幸せで英二は微笑んで答えた。

「わがまま、うれしいよ、周太?だって俺、周太のことだけは、本当に欲しいんだ」

本当に今うれしい、そんなふうに求めてもらえるなら。
もっとわがまま言ってよ?そんな想いで見つめる真ん中で、周太は英二を見つめて訊いた。

「俺のこと、本当に欲しいの?…愛して、る?」
「本当に欲しい、周太だけだよ?そしてね、心底、愛している。そのために俺、山岳救助隊にだってなったんだ」

ほんとうだよ?きれいに微笑んで英二は周太を見つめた。
見つめた黒目がちの瞳が笑って、そして周太は言った。

「だったら…お願い英二、わがままを聴いて?俺と一緒にいて?
 だから俺、英二のその腕時計がほしい、だって英二、俺のために山岳救助隊の道を選んだんでしょ…
 その毎日を刻んだのは、そのクライマーウォッチなんでしょ?…だからこそ俺、その時計がほしい。
 英二の大切な時間を刻んだ時計だから、俺、ほしい。わがままだけど本音…そしてね、英二?」

またひとすじ微笑んだ瞳から涙がこぼれた。
こんなふうに本音をずっと言って欲しかった、もっと聴かせてよ?英二は目で周太を促した。
促されて微笑んで、周太は続けてくれた。

「これから英二は、最高峰へも登る…その時にも俺の贈った時計は、一緒に英二と最高峰に行けるね?…
 そうして最高峰でもどこの山でも、その時計を見れば、俺のこと想い出してくれる…
 そう想って俺…そのクライマーウォッチを英二に、贈りたかったんだ。だから本当にね、わがままだけど…」

その我儘こそ、自分は聴かせて欲しい。
その我儘はきっと自分が望んでいること、きれいに笑って英二は言った。

「言って?周太、わがままも全部を話して?」
「…ん、聴いて?俺のね、わがままを、叶えて」

黒目がちの瞳が真直ぐに英二を見つめてくれる。
そして微笑んで周太は、涙ひとすじこぼして言った。

「その英二の腕時計を、俺にください。
 そして英二は、俺の贈った時計を、ずっと嵌めていて?
 そうして英二のこれからの時間も、…全部を、俺にください。そして一緒にいさせて?」

ほらやっぱり、自分が望んだことだった。
きれいに笑って英二は周太の左腕をとると、周太の瞳を覗き込んだ。

「周太、お父さんの腕時計を外すよ?」
「…ん、」

英二は長い指で、周太の左腕から周太の父の腕時計を外す。
そして自分の元のクライマーウォッチを、周太の左腕に嵌めた。
このクライマーウォッチは本当に自分にとって、大切な時間を刻んでいる。
山岳レスキューの夢に立ち、努力し卒業配置先を掴んで山に生き、山ヤと男の誇りを刻んだ時計。
そんな時間の全ては英二にとって、この愛する隣のための時間でいる。
だからきっと周太が嵌めることは相応しい、そっと英二は微笑みながら時計のフレームを撫でた。
そうして嵌めてもらった英二の時計を見つめて、右掌でふれながら周太は幸せそうに微笑んだ。

「ありがとう、英二…大切にするね」
「うん、俺もね、一生大切にするから。周太のことも時計も」

ほんとうに一生だよ?思いながら英二は、周太に訊いてみた。

「ね、周太?腕時計の意味を知っていたの?」
「意味?」

やっぱり知らないで思いついたのかな。
そんなところもなんだか可愛くて、英二は微笑んだ。

「あのな、腕時計はね、婚約の贈り物にもするんだよ」

婚約。そう聞いた周太が真っ赤になった。
きっと知らないでしてしまったことに困って、途惑っている。
そんな様子が可愛くて幸せで、英二は周太を抱き寄せた。

「ね、周太?お互いに時計を贈り合おうって言ったのはさ、周太だね。
 俺、周太にプロポーズされちゃったんだ。ほんとに幸せだよ、ね?周太、うれしいな俺」

「…あの、俺、しらなくて…でもじかんがほしいとかいうのって…あの、同じことになっちゃうのかな」

これからの時間全部、そして一緒に。
そんなの本当にプロポーズだ、うれしくて幸せで英二は笑いかけた。

「うん、同じだよ?」

きれいに笑って英二は、周太にキスをした。




(to be continued)


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