goo blog サービス終了のお知らせ 

萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第4話 誰彼時、夕映 ― side story「陽はまた昇る」

2011-09-03 01:24:32 | 陽はまた昇るside story
床に伸びる影の向こう、夕陽に映える顔を見た時から



誰彼時、夕映 ― side story「陽はまた昇る」

教場の前廊下に、朱色の光が長く射している。
それに気がついて英二は、怪訝に首を傾げた。

「扉、閉め忘れたのか」

独り呟いて教場へ足を向けると、扉はやはり開いていた。
扉を閉めようと取手に手を伸ばしかけた時、ふっと人の気配に英二の顔が上がる。
まだ誰かが教場にいるのかな。そう思った視線の先に、朱に染まる窓辺に姿勢のきれいな影が佇んでいた。
あのきれいな姿勢は、たぶん自分の隣人。ふっと顔和ませて英二は取手から手を離した。

「湯原、」

英二の声に振り向いた顔は、逆光で見えにくい。
けれど驚く気配にきっと、あの黒目がちの瞳は揺れている。それはなんとなく、英二には解る気がした。
ほら?あの黒目がちの瞳が、声の主を確かめようと目を細めている。

「…あ、宮田」

ほら、気がついてくれた。こちらに視線が向いている。
その視線に微笑みかえして英二は歩み寄った。その影が長く朱に染まる床に揺れる。
もうこんなに陽射が傾いたんだな、思いながら英二は湯原の隣に立った。

「なに、たそがれちゃってんの?湯原」

言いながら窓枠に腕組んで凭れて、英二は隣の顔を見上げた。
見上げた視線の先で、ふっと目を伏せた湯原の唇が微かに動く。

「…ん、考え事」
「うん?なんの考え事だよ、湯原」

さらっと英二は訊いた。
この隣は何を考えているのだろう?
いつもこんなふうに、教えてくれたらいいなと思ってしまう。それがなぜか、自分でもよく解らないけれど。
そう思いながら見つめた、湯原の伏せた目があげられる。そのまま黒目がちの瞳に、英二の目は見つめられた。

「なぜ、宮田は内山のこと、庇ったのかな…て」
「あー…」

内山の言った事、話しても良いんだろうか?そんな逡巡が英二を掠めた。
けれど、それを見とったように湯原が目を伏せた。

「…あ、いや。話し難い事、あるだろうから」

別に聴かなくてもいい。
そんなふうに。ぼそり言うと湯原は、そのまま窓外へ視線を投げてしまった。

―もしかして、俺の事、信じてくれてるんだ
 いや、別に
 嬉しいよ、一人でも信じてくれるなんて
 違うって。知りたいだけ。真実の先に、何があるのか
 
そんなふうに言いながら湯原は、ほんとうは英二を信じてくれていた。
そして女子寮侵入は冤罪だと、証明する手を貸してくれたのは湯原だけだった。

― 知りたいだけ。真実の先に、何があるのか

そう、信じてくれた。
そして湯原の言う「真実の先」それは自分だけでは少し、難題にすぎる。
だから聴いてほしい、そして湯原の答えを聴かせて欲しい。
そんな想いに英二は、背を伸ばし立ち上がった。

「湯原、」
「…なに?」

そんな短い返事をしながら、黒目がちの瞳が僅かに動いてくれる。
こちらに向けてくれた視線を、英二は真直ぐ見返すと口を開いた。

「内山、汚点はもう、辛かったんだと」
「…ん、」

そう短く答えると、湯原の視線は再び窓外へと向けられた。
その横顔を見つめながら、英二は話し始める。

なぜ内山は女子寮に行ったのか。
なぜ内山が事実を申し出れなかったのか。
そしてあの後で内山が、英二に心から謝ってくれたこと。

それらを英二は、ゆっくり言葉に噛み締めていく。
その隣で湯原は、窓外を見遣ったまま聴いてくれる。そんな実直な横顔を、夕暮が茜射し頬を染めていた。
その横顔を見つめて話す英二の、心裡にことりと呟きが零れ落ちた。

…睫毛、長いんだな

見つめる隣は茜色の頬に、睫毛の翳が青く見える。
その青い翳に英二の目は惹きつけられたまま、それでも英二の唇は話題を整然と紡いでいった。

内山の挫折、警官を選んだ動機、女子寮に侵入した理由。
けれど話すに従って、英二の裡が重く垂れこめる。

さっき教場で皆の前で。内山の事実を暴いた事、正しかったのだろうか?

そんなふうに心に疑念が湧いていく。
それでも隣の横顔から視線逸らす事は、英二には何故かできなかった。
どうしてこんなにも自分は、この隣を見つめているのだろう?
そんな想いと並行しながら語り終えると、睫毛をゆっくり瞬いて湯原は呟いた。

「内山、すっきりした顔していたから」

湯原の睫毛の翳が微かに揺れる。
そうして黒目がちの瞳は、英二の瞳へ向けて見開かれた。
そのまま英二を見つめながら、そっと湯原が微笑んだ。

「…宮田、間違っていないと思う」

そっと告げてくれる、低い呟くような声が耳朶を温める。
それは短い言葉、けれど穏やかで曇りが無い声。
この声を俺は、聴きたかったのかな?そんな想いが英二の眦に、熱をふっと浮かべた。

「ん。…さんきゅ、湯原」

そんなふうに言いながら英二は、窓枠に凭れて組んだ腕の中に顎を埋めた。
なぜだか眦の熱が頬を伝っていく。その熱が顎から零れるのを感じながら、英二は外へ目を向けた。
向けた視線の先では、薄暮に沈む街が広がっている。
その向こうの空と雲を、朱色に輝かせながら太陽がゆっくり地平へ横たわっていく。

…あ、夕陽でけぇな

こんなふうに。夕陽をきちんと見たのは、いつだっただろう?
そんな想いと組んだ腕に顔を沈みこませ、英二は夕陽を見つめていた。
見つめる視界の端がじわり滲み、頬を熱が伝って落ちていく。

なんで涙が出るんだろう?
そんな疑問にも滴は熱く溢れ、頬を零れ落ちていく。
こんな風に泣いた事、ここに来る前はいつだっただろう?

そうして濡れていく頬を、ついと温かな感触が撫でた。
その温もりに英二が目を動かすと、自分の頬に指が当てられている。
その指の持ち主に、呟くように英二は声を掛けた。

「…湯原?」

呟いて見上げた英二の顔を、黒目がちの瞳が思いの外に近く覗き込んでいた。
その長い睫毛には、夕陽のかけらが烟っている。
きれいだな。そんなふうに素直に思ったまま、英二は隣を見詰めていた。

「…ん、」

見つめる英二の視線に、湯原の視線が微かに揺れた。
それでも隣の指は、静かに英二の頬の滴を拭ってくれる。
どこか途惑っている様な、湯原の目許が気になってしまう。なんだか目が離せない?
そんなふうに見つめたまま、英二は唇の端を上げた。

「なに湯原、慰めてくれんの?」
「あ、…どう、なのかな」

ゆっくり湯原の小首が傾げられた。
そんな湯原の戸惑いが指先から伝わる、だって英二の頬を拭う指は微かに震えている。
いつも聡明で冷静な男が、戸惑う姿は悪くないな。なんだか嬉しくて、英二は笑った。

「優しいじゃん、湯原?」

そんな英二の言葉に、すこしまた頬触れる指が途惑う。
なんでそんなに途惑うのかな?
そう考える英二の視線の真ん中で、ゆっくり湯原の瞳が瞬いた。その頬にまた、睫毛の翳が落ちる。
あ、睫毛きれいだな。思ったままに英二は口を開いた。

「やっぱり睫毛長いな、湯原」
「え、」

少し眉顰めた湯原を、見つめたまま英二は呟いた。

「…お前さ、目許きれいだな。湯原」

そんなふうに見つめる英二を、眉顰めたまま湯原も見つめてくれる。
そんな絡んだ視線の先で、湯原の目許に朱が滲み染まり始めた。
あ、目許の色きれいだな。そう素直に思っている自分が、英二は自分で不思議だった。

そう不思議だ。
こんなに至近距離で、誰かの目許を見つめること。きっと今まで無かっただろう。
そしてこんなふうに、きれいな目許だと見惚れた事も無かった。
なんでこんなに見惚れてしまうのかな?
そう考えていると、ふいに頬の指は引込められて目の前の顔が離れた。

あ、離れてしまう。
そんな寂しさが英二に翳した。けれど隣は低く呟いた。

「…部屋に、戻る」

そんな呟きを残して、姿勢きれいな影は廊下へ消えていった。
その影を見送りながら、ぼんやり英二は考え込んだ。

なぜいま自分は、湯原が離れてしまうことが寂しかった?

自分は確かに寂しがりやだ。
けれど。こんなふうに誰かが離れることが寂しいと、ふっと無意識に感じたことは無い。
なんだか最近よく自分が解らないな。ゆっくり立ち上り英二は窓へ凭れた。
そうして凭れながら、湯原が去っていった廊下を眺めてみる。
そう眺める視界を、夕映が染める朱色に満ちていく。その朱色はどこか、さっき見た目許の色に似ていた。

なんでこんなに自分は、湯原のことを考えるのかな。
よく解らない。けれど自分が、この後でしたいことは解る。

この後は夕飯で風呂の時間。
それからいつものように、消灯前の点呼がある。
そうしてその後で自分は、鑑識のテキストを持って自室の扉を開けるだろう。

そうしてきっと自分はノックする、自分の部屋の隣の扉を。
その扉の向こうは湯原の部屋、そこではきっと湯原は待っている。

なぜか解らない、けれど。きっとそうだと、自分には解る。







人気ブログランキングへ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 坂道、晩夏の追憶 | トップ | 第0話 風巻 ― side story ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

陽はまた昇るside story」カテゴリの最新記事