萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 暮春 act.33-side story「陽はまた昇る」

2017-08-25 14:00:40 | 陽はまた昇るside story
it dyes red souls to white.
英二24歳3月下旬


第85話 暮春 act.33-side story「陽はまた昇る」

銀色の静謐、君の音だけ温かい。

さくり、さくっ、

雪やわらかな足音ついてくる、規則正しい登山靴の声。
この音が幸せだった去年の冬、こうして雪山ふたり歩いた時間。

さくり、さくっ、

歩幅リズム規則正しい、几帳面な登山靴の雪。
たしかに君の足音で、でも小さな違和感どこか疼きだす。
こんなふうに幸せだった時間もう遠くて、けれど背中くゆらす香が甘い。

―はちみつオレンジのど飴だ、周太の、

さわやかに甘く柑橘が匂う、君との時間の香。
あの時間ただ幸せだった、ただ懐かしい香に英二は微笑んだ。

「周太は一人で雪山って初めてだろ、よくトレースして来られたな?」

前を見て脚止めないで、それでも香の貌なんだか分かる。
きっと黒目がちの瞳すこしはにかんで、あの唇すこし微笑む。

「ん、足跡ちゃんと見えたし…ぼくなりいっしょうけんめいで、」
「なんか嬉しいな、そういうの、」

振りかえらず笑いかけて、背中くゆらす香どこか甘い。
この香いつも隣にいた夜があった、春から夏、けれど二年も経っていない。
あのころより時間いくつも共にして、それなのに背後どこか遠くて、遠い分だけ甘い香に立ち止まった。

「…どうしたの英二?」

背中すぐ呼んでくれる、君の声。
けれど振りむく勇気ないまま笑いかけた。

「このペースで周太、大丈夫かなって思ってさ?雪のなか歩くの大変だろ、」
「ん…ありがとう英二、」

応えてくれる声、見なくても貌が解る。
穏やかだけど不思議そうなトーン、その気配に訊いた。

「もしかして周太、右脚ちょっと辛い?」

雪ふむ音、さっきから違和感がある。
気になっていた背後の香、かすかに身じろいだ。

「ケガしてるんだろ、周太?」

問いかけて返事はない、でも解る。
息白く笑って雪の上、片膝ついた。

「無理するなよ周太、おいで?」

背負わせてほしい、ゆるされるなら。
想い差しだした背中、そっと体温もたれた。

「…ありがと、」

ぼそり、つぶやくよう言ってくれる。
ぶっきらぼうなトーン懐かしくて、記憶と背負い笑った。

「周太、最初におんぶした時のこと憶えてる?」

あの時は夏だった、今はもう唇に息白い。

「ん…山岳訓練のときだね、警察学校で…」

答える息白く目の端かすめる、君は今こんなに近い。
また少し近づいた温もり嬉しくて、ただ幸せに笑いかけた。

「あのころより周太、すこし軽くなったな?」
「そう、かな…」

応えてくれる吐息が白い、かすめるオレンジの香ただ幸せになる。
幸せで、それでも気懸かり問いかけた。

「周太?どうして右足、ケガしたんだ?」

あの雪崩にも怪我は無かった、なのになぜ?

「長野の病院でか?駐車場で岩田に狙われたんだろ、」

問いかけて背中の温もり動く、君が身じろぐ。
きっと訊かれるだろうな?予想して問われた。

「…英二、伊達さんに会ったんだね?」
「怖い男だよな、あいつ、」

さっきと同じ回答して背中の温度、すこし熱くなる。
ちょっと怒らせたろうか?ちいさな心配くるんで問い重ねた。

「それとも観碕が仕掛けたのか?」

あの男が、また君を狙ったなら?

「周太、観碕に何された?」

そうしたら自分は今度こそ踏み外す、もう傷つけられたくない。
君を護りたいと願う、そして、同じくらい「あの男」追いつめたくて止められない。
これ以上もし髪ひとすじでも傷つけるなら、どんなことしても自分はあの男を、きっと、

「違うよ英二…僕が転んだだけ、」

穏やかな声が耳ふれる、白い吐息しずかにオレンジ甘い。
声に香に君がいて、そのまま君が微笑んだ。

「僕ね、長野から葉山のお家にきてから眠ってばかりで…熱にうなされてベッドでようとして転んで、捻挫したんだ…ほとんど治ってる、」

だから大丈夫だよ?

そんな温もり背中くるんでくれる、ウェア透かして伝ってしまう。
こんなふうに君は優しくて気づかされる、結局いつも支えられてきたのは自分だ、この今も。

「そっか、…」

そんな君を今も雪中、無理させてしまった。
こんな自分に揺らぐ、こんな自分が君といて幸せにできるだろうか?
疑問になって、それでも離せない温もりの背中に声やさしく響く。

「英二、もうじき登山口に着くよね?僕もう自分で歩けるよ、」

君はやさしい、こんなになっても。
だから離せなくなる、ただ想い背中に微笑んだ。

「背負わせてよ周太、今だけでもさ?」

今だけでも、どうか今この時だけでも温まらせて?
君の温もり背中くるんでほしい、そうしたら体温ずっと憶えている。

その記憶だけでも今どうか贈って?

「今だけって…英二?」

耳もと君の声が訊く、温かい白い吐息ゆるやかにとける。
オレンジの香やわらかに返事を待って、あまくて、呼吸ひとつ登山口に着いた。

「やーっとオカエリだねえ、エロ別嬪さん?」

懐かしい声が跳んで、ばちり額を弾かれる。
じわり痛覚に瞬いた視界、雪のまんなか青い登山ウェアが笑った。

「周太ちっとも帰ってこないから救助出動するトコだったね、退職したバッカリなのにさ?超過勤務の請求しちまおうかねえ、み・や・た?」

今ちょっと会いたくない相手だ?
そのくせ肩ふっと軽くなって、そんなアンザイレンパートナーに笑った。

「ごめんな光一、俺が周太と話しこんでたんだ。温かいもの周太に飲ませてくれる?」
「もう支度してくれてるよ、ほら?」

雪白の笑顔からり指さしてくれる。
その先たたずむ黒髪に唇そっと噛んだ。

―もっと見たくない顔だな?

黒髪ゆらす頬、薔薇色やわらかに雪を映える。
白銀の森ふもと、翡翠色あざやかな登山ウェア姿は笑った。

「よかった周太くん、ちゃんとつかまえたのね?」

今、なんて呼んだ?

(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】

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