萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 花残 act.11 side story「陽はまた昇る」

2020-02-08 07:54:00 | 陽はまた昇るside story
探れる道程に、
英二24歳3月末


第86話 花残 act.11 side story「陽はまた昇る」

深夜の風、月から降りて髪なぶる。
アルコール消えて想い、山へ。

がたん、

後ろ手に扉が閉じる、素肌の指先から金属が涼む。
なぶられる髪からアルコールほどく、ほろ甘い饐えた気怠い香。
宴会の気配ほどかれてゆく、ほどかれる匂い風が冴える、冷気ふれて頬から額から脳髄が醒める。

「うん…気持ちいいな、」

ひとり微笑んで唇が冴える、冷えゆく大気にジャージはためく。
肌から醒める意識に月が雲が星が呼ぶ。
記憶の空、山の夜だ。

―ああ…そうだ、穂高の夜だ。

穂高連峰、銀嶺きらめく零下の夜。
青に藍に深い空はるか、星は銀砂ちりばめ輝いた。
降りつもる星明りに稜線は白く響く、静謐が天空はるか自分をくるむ。
ナイフリッジの鋭鋒は月に聳えて輝いて、峻厳まばゆい夜ただ眩しかった。

「登りたいな…」

記憶こぼれて吐息が白い、月光ひるがえる呼吸が笑う。
三月の夜に凍れる吐息の彼方、コンクリートの屋上から天空の鉾が記憶に聳える。
冷厳きらめく標高3,000mの夜、あの高度感と鋭鋒が懐かしい、あの世界で笑う声が蘇る。

『友達とマッターホルンに登るんだ。俺の生涯のアンザイレンパートナーで、一番の友達だよ、』

銀嶺の夜に笑ってくれた声、ビール片手「ゴキゲン」だった笑顔。
底抜けに明るい眼きらきら細めて笑った、あの笑顔は今もう遠い。

「今ごろ受験勉強だよな…光一?」

底抜けに明るい眼をした山ヤ、あの男は本気で人生を掴みに行ってしまった。

『俺は医者になるね、』

ホントはガキのころから考えてたからね?

そう告げて笑った瞳は透明なほど明るくて、きれいだった。
そうしてザイルパートナーは山の警察官を辞めて、あるべき道へ行ってしまった。

「良い医者になれるよ、光一なら…がんばれ、」

ザイルパートナーを呼んで月が煙る。
雲あわく月光きらめかす、暗くなる空、それだけ星明り強くなる。

「そっか…月みたいだな、」

あのザイルパートナーは自分の月かもしれない?
そんな納得ひとり零れる、それくらい自分は根が暗い。

―光一がいなかったら俺、こんなに山で生きてないな…復讐だけ考えてた、

夜空も照らす月光に足もとは見える、そんな明るい眼をした山ヤ。
あの男に出会えなかったら今の自分は無い。

“山岳救助隊員になりたい、”

そう思えたのは光一の背中だった。

青いウィンドブレーカーはためく雪の尾根、救助ヘリコプターが吹くホバリングの風。
あの風に空に真直ぐな背中は美しかった、あの真直ぐな背中に憧れて自分は山岳救助隊員を目指した。
あの背中が自分に備わったなら何か掴める、そんなふうに想えて、生まれて初めて努力しようと思えた。
そうして今、ここにいる。

「…第七機動隊、山岳レンジャー…か、」

今いる場所を声にする、山、銀嶺はるかな空、あの世界にあるから自分は踏み止まる。
この想い無ければ「復讐」あの50年の連鎖にとらわれ何も見えない。
そして周太をもっと傷つけた。

「今だって傷つけてるよな、俺…」

想い零れる吐息が凍る、夜はるかな南へ君を想う。
こういう自分だ、もうとっくに傷つけてしまった、それでも気がつけば考えている。

逢いたいよ、周太?

「あ、」

ポケットの振動にジャージ探る。
取りだした携帯電話を開いて、電子文字に苦笑した。

「関根かよ?」

ひさしぶりの名前に笑って、着信電話つなげる。
一呼吸ふっと白くゆらせて、電波の先へ笑った。

「こんな時間にどうした、関根?」
「あ、マジ遅い時間だったな?」

電話の向こう、明朗な声が笑いだす。
あいかわらずな同期につい笑ってしまった。

「マジ遅い時間だよ、こんな時間にどうした?」
「どうした?じゃねえよ宮田、」

返答すぐ声かすかに荒だつ。
何かあったのだろうか?首傾げた耳に言われた。

「湯原が退職だって聞いたぞ、国村さんも辞めたんだって?何があったんだよ、」

そうか、心配してくれたんだ?
思い至って笑ってしまった。

「心配してくれるんだ、関根?」
「おい、茶化してんじゃねえぞ?」

低い声が電波を這う。
これは怒っているな?そんな正直な声に微笑んだ。

「ごめん、あまり言えないんだ、」

これだけ言えば解る、同じ警察官であるなら。
こんな信頼に溜息が届いた。

「そっか…しかたねえな、」

解った。
そう告げてくれる溜息に、そっと肯いた。

「うん、ごめんな?」
「しかたねえよ、」

低い声がくすぶる、それでも「しかたない」それだけ。
それだけが喉奥そっと絞めて、英二は微笑んだ。

「関根、そろそろ飲みたいな?」

会っても話せない、それでも会わないよりずっといい。
そんな想い微笑んだ先、明朗な声が笑った。

「おう、春の交通安全週間が終わったら行けんぞ?」

非番の日程でたらメールするな。

そう告げて通話が終わり、眺めた携帯電話の画面ひらく。
昏い屋上に電子文字が光る、ふれる指先かすかな熱を追う。
けれどメール更新しても新着はない、着信履歴にも無い番号にそっと笑った。

「俺たちも逢えるかな…周太?」

もう心が呼ぶ、逢いたい。
あいたい、会いたい逢いたい、けれど正しいのか解らなくなる。
こんな堂々巡りすらザイルパートナーは寄り添ってくれた、その不在に宴席のアルコールが解かれる。

「そういう意味じゃ、飲み会も悪くないんだよな…まぎれる?」

ひとりごと白く凍えて月が冴える。
もう三月が終わる夜、それでも冷たい風に呼吸が心地いい。
まだ山は雪の時間、その風に焦がれるまま酒の熱に甘えたくなる。

―思ったより楽しかったよな、歓迎会?

歓迎会、そんなものを楽しめる自分になっている。
しかも歓迎できるか解らない相手なのに?

ー佐伯啓次郎、か、

佐伯啓次郎、芦峅寺出身の生粋の山ヤ。
ザイルパートナーが辞めた替りに配属された男。
替りになるだけの実力がある山ヤで、けれど、それだけなら今も考え込まない。

『佐伯くんは山ヤのサラブレッドだよ、』

宴席の前に言われたこと、言った声も山に生きる男。
山ヤに認められる山ヤ、サラブレッドと言われるだけ素質も実力もある。
そんな佐伯がなぜここまで自分を敵視する?
なぜ「ザイルは跳ねた」のだろう?

「嫉ましいのは俺のほうだろが…なんなんだよアイツ?」

ひとりごと零れて笑いたくなる。
だって「そんな佐伯」が自分のザイルを揺らした。
その動機ゆらした感情は敵意、けれど、なぜ「敵視」の必要がある?

「佐伯啓次郎、か…」

名前が声になる、知りたいから。
佐伯啓次郎、山のサラブレッド、あのザイルパートナーの代打にと嘱望される男。
その肚底を見てみたい?そんな願望を叶える足音が近づいて、がたり扉が開いて呼ばれた。

「宮田くん?」

前は嫌いだった声、でも今はそうでもない?
こんな変化もなんだか可笑しくて、笑いながら振り向いた。

「ほんと酒強いですね、浦部さん?」

笑いかけた先、月明りに白皙の笑顔ほころぶ。
靴音かすかに近づいて、穏やかな眼が笑った。

「そんなに強くもないよ、足ちょっとふらついてるしね?」
「あれだけ飲んで屋上まで登ってくるなら、充分に強いですよ、」

応えながら見た隣、笑う目もと微かに赤い。
酔いが火照る質なのだろうか、そんな笑顔は言った。

「宮田くんがビール飲んでくれなかったら今頃は俺、へべれけってヤツだよ?俺より二人のほうが強いんじゃないかな、」

宮田くんが、二人のほうが。
こんなふう相手をさらり持ち上げる、この先輩の「巧さ」だ。

―だから敵がいないんだろな、浦部はさ?

穏やか、人当たりが良い。
それ以上に実力も実績もある男に笑いかけた。

「日本酒あれだけ飲める人はそういませんよ。佐伯さんを部屋まで連れて行ったんですか?」
「谷口さんも一緒に来てくれたよ。佐伯くん、あのガタイだからね?」

笑って応える口もと、月に息が白い。
向けてくる瞳も月明り爽やかで、呆れ半分に訊いてみた。

「浦部さんは合コンで、かなりモテるでしょう?」

あれだけ飲んでも、この笑顔だ?
そんな呆れるほどの好青年は英二に笑った。

「なんで宮田くん、そんなふうに思うわけ?」
「陽気な楽しい酒ですし、酔っ払いの介抱もしてくれますから。ありがたいですよ?」

答えながら認めざるを得ない、この男は「いいやつ」だ。
こんな展開に呆れながらも可笑しくて、朱い目元も涼しい男に笑った。

「それに浦部さん、酔うと目元が赤くなって色っぽいですよ?女の子から誘われるんじゃありませんか、」

いいやつ、そして色気がある。
こういう男は視線も心も惹きつけるだろう?

―昔の俺なら合コン仲間に誘ってるだろな、エサに丁度いいかなってさ。

そういう自分だった。
もう遠くなった時間かすかな屋上の風、先輩が笑った。

「宮田くんこそ青梅署の伝説だろ、」
「伝説?」

意外な言葉に訊き返して、口元を風かすめる。
冴えた夜かすかに香って、隣の笑顔が言った。

「去年のバレンタイン、青梅署が甘い匂いになったらしいね?」

そういえばあったな、そんな話?
もう一年以上前の過去に可笑しくて笑った、

「あれは俺というより、警視庁の広告塔効果ですよ?」
「広告塔に選ばれるのも、注目されるだけの個性と実績があるからだろ?モテる才能を見込まれたんだよ、」

穏やかな声ほがらかに透る。
その言葉は肯定だけ指す、こういう男だから嫉妬した。

「浦部さんの家、家族みんな仲良いでしょう?」

たぶんそうだろう、自分と真逆だから。
だからこそ嫉妬した相手は素直に笑った。

「冬は問答無用に仲良くなるかな、」
「冬?」

訊き返しながら記憶の抽斗ひらく、浦部の故郷はどこだった?
手繰るデータと月あわい屋上、切長の眼が朗らかに笑った。

「炬燵は嫌でもくっつきあうだろ?俺の実家は古くて寒いんだよ、」

さわやかな声が夜空に笑う、白い息が舞う。
冷えこむ大気、けれど春どこか淡い風に笑いかけた。

「松本の冬は寒そうですね、」
「あれ、俺の地元よく知ってるな?」

すこし驚いた。
そんな視線に近い記憶と微笑んだ。

「立て籠もりの時、穂高は浦部さんの庭だと聴いたので、」

長野の雪山、立て籠もり事件。
まだ近い過去の面影を映しながら、先輩が笑った。

「宮田くんは東京だろ?」
「浦部さんもよく憶えてますね、」

なにげなく応えながらジャージのポケットふれる。
指さき透ける生地ごし硬い、ふれる携帯電話は動かない。
それとも逃しているだろうか?待ちわびる想いに言われた。

「宮田くんは東京だなあって感じだよ、それが佐伯くんをイラつかせるのかもな、」

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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