gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

秋風にすすきもゆれる夢農園

2011-10-31 14:36:52 | インポート

夢農園(野菜作り)

白菜

Img_4781  Img_4840白菜は、8月12日に種蒔きをしました。余り多く芽が出ていませんでしたが、少しずつ大きくなって来て、間引きも二回ほどして、植え替えが出来る位の大きさになってきたら、別の所に、植え替えて間隔を空けて植え付けていきました。出来るだけ毎日薄めの水肥料をまきます。去年も白菜を13日に植え付けをしていました。中々白菜が巻いてこなく心配していましたが、今年は、後から種蒔きをしたのが、多く芽を出し、前に植えていたのが、カタツムリに食べられたり、根きりむしに根からばっさりと、切られていたりしました。後から植え替えたのも、ドンドン巻いて来ています。 しっかりと今年は土作りをしています。ビックリす るくらい巻いています。

大根、丸大根

Img_4614 Img_4779 大根と白菜は 土地に合った種でなかったら育たないと言うことで、畑の近くの苗やさんで種を買いました。大根は、芽が沢山出たのですが、白菜は芽の出が悪かったです。大根は今、平均して、30㌢位まで伸びてきています。一週間に一回位肥料をまいて、何回か間引きをしました。間引いた菜を漬け物にしました。細かく切っ てご飯にのせて食べたら美味しかったです。

Img_4831Img_4847丸大根は、8月12日に、大根と同じ日に種蒔きをしました。間引きもして、今は、大根と同じ位大きくなってきています。丸大根は育てるのが難しくて、丸く育つか心配しています。葉は立派に育っています。今は、大きくなるのを待つばかりです。

キャベツ、ゴボウ

Img_4633 Img_4836_2 キャベツは、8月12日に種蒔きをしました。芽が沢山出て30本以上植えています。まだ大きくはなって来ていないのですが、小さくても巻いて来ています。天候の加減か、どうかわからないのですが、野菜が巻くという事は不思議なことです。

ゴボウは、5月の19日に種蒔きをしました。ゴボウの場合は、土をふか、ふかにしないといけないので深くほって種蒔きをしました。成長の過程で石とか堅い物があったら伸びないので、取り除いているのですが、中々長く伸びていきません。収獲するために抜くのも大変ですが、食べたら良い香りがして美味しいです。

瓢箪ナンキン

Img_4617_2  Img_4851瓢箪ナンキンは、クリナンキンと同じ時期に(4月15日)に種蒔きをしました。クリナンキンは9月の15日に収獲は、終わりました。瓢箪ナンキンは、10月5日から収獲出来る様になってきます。今、まだ小さい瓢箪ナンキンがなって来ています。収獲したナンキンで一番大きいのは56㌢ありました。味もくりナンキンとは違って、みがやわらかく又、変わった風味で美味しいです。

栗、収穫物

Img_4787_2 Img_4396_2 栗は、今年初めて実を付けました。初めのうちは実が付いているのを知らなくて、近所の人が見て、栗がなっているよと教えられました。上のほうに3個ぐらいなっているので葉っぱに隠れて解らなかったのです。草を引くために栗のところに行って初めて栗が落ちているのを見つけました。3年たったのですね。ビックリしました。   ピーマンは、今年は沢山採れました。毎回20個以上採れていました。焼きピーマンにしたり、肉詰めにして何回も戴きました。毎回農園のお隣さんにも食べてもらって好評で、喜んでたべてもらいました。

春日大社

Img_4765Img_4761春日大社(かすがたいしゃ)は、奈良県奈良市の奈良公園内にある神社です。旧称春日大社。式内社(明神大 社)、二十二社で、旧社格は官弊大社。全国にある春日大社の総本社です。

  藤原Img_4762師の守護神Img_4769であるである武甕槌命と経律主命、祖神です。天児屋根命と比売神を祀る。四神もって藤原氏の氏神とされ、春日神と総称される。神紋は下がり藤。武甕槌名が白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使いとされる。

歴史

  奈良・平城京遷都された710年(和銅3年)、藤原不比等が藤原氏の氏神です鹿島神(武甕槌命Img_4771)を春日の御蓋山「みかさやま)に遷して祀り、春日陣と称したのに始まる。社殿では、768年Img_4774_3(神護景雲2年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経律主命と、牧岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている。ただし、近年の境内の発 掘調査により、神護景雲以前よりこの地で祭祀が行われていた。可能性も出てきている。

藤原師Img_4772の隆盛ととImg_4759もに当社も隆盛した。平安時代初期には管祭がおこなわれるようになった。当社の例祭である 春日祭は 、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭の一つとされる。850年(嘉祥3年)には武甕槌命・経津主命が、940年(天慶3年)には、朝廷から天児屋根命が最高位である正一位の新階を授かった。『延喜式神名帳』には「大和国添上郡春日祭神四座」と記載され、明神大社に列し、月次・新  嘗の弊帛に預ると記されている。藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、813年(弘仁4年)藤原嗣が興福寺南円堂を建立した際、その本尊の不空絹索観音が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。神仏習合が進むに連れ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていった。11世紀末から興福寺衆徒らによる強訴がたびたび行われるようになったが、その手段として、春日大社の神霊を移した榊の木(神木)を奉じて上洛する「神木動座)があった。

本殿

Img_4689Img_4688春日造の本殿が四殿並んで建っており、第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神が祀られている。拝殿はなく、一般の参拝者は弊殿のまえにて、初穂料を納めて特別拝観を申し込んだ場合は本殿前の中門から参拝することになります。

摂末社

広大な境内にはImg_4694多数の摂末社がImg_4753ある。本殿の東側には比売神の御子神として天神雲根命を祀る摂社若宮神社があり、 、若宮神宮、夫婦大国社を始めとする本殿東側の十二社は、「福の神十二社めぐり」として古来より崇敬を集めている。

  本殿回廊の西南隅には、摂社・榎本神社(式内小社)がある。榎本神社の祭神は当地の地主神であり、元々この地で祀られていた神であるとされる。現在Img_4733Img_4701の祭神は猿田彦大神でありますが、中世まぜは巨勢姫明神とされていました。

  二之鳥居横には瀬織津姫を祀る祓戸神社があり、参拝者はここでまず身を清めてから参拝するのが習わしとなっている『南 安曇郡誌』の記述などから、本殿第四殿に祀られている比売神とは、もともとは瀬織津姫のことであったとする説もあります。

鹿の角きり行事

角はオス鹿の象徴Img_4741ですが、角によって公 園の樹木を傷つけたり、Img_4705発情期のオス鹿同士が争いで互いに傷ついたり、また、人にとって危険ですのでこれを防ぐために毎 年10月中の日曜、祝日の五日間、角キリ行事を行い角を切り取っています。この行事は300年もつづいている勇壮な奈良の伝統行事です。

10月10日に、鹿の角きり行事を見に行きました。まだ暑い日でした。春日大社に着いて鹿苑角きり場についたら多くの人が並んで待っておられました。私たちもその列に並びました一時間以上並んでやImg_4734っと券を買って中に入っていきまImg_4707した。中で写真の撮れる場所を見つけてその場所で始まるのを待ちました。神殿でお祓いが行われました。鹿の行事にたずさわる人たちも並んでお祓いをうけられました。その後、鹿の角きりが始まりました。はちまきにはっぴ姿の勢子たちが、角鹿の角きり3~4頭を場内に追い込み「十字」(割竹を組んで縄を巻き付けた捕Img_4748獲具)や、「だんImg_4744び」(竹を輪に組、縄を編んだんだ捕獲具)などを使って、荒々しく走り回る鹿の角に縄をかけ、これをたぐりよせ、暴れる鹿を捕り抑えます。鳥帽子、直垂姿の神宮が、捕りおさえられた鹿の気を静めるため、水差しで口に水を含ませた後、のこぎりで角を切り落とし、神前に供えます。見ていて鹿を捕まえるときに怪我をして可愛そうでしたが、角きり行事を最後まで見せて貰いました。

夢農園(小屋造り

少しずつ進んで、ドアを制作しています。一から造っているので細かく製図を作って、計算をして何日もかかって板を削るところから始めてきました。毎日根気よく制作して立派なドアが出来上がって取り付けまでできました。部屋もドアを付けたことによって暖かくなり、冬に備えています。

Img_4178Img_4184 Img_4197

Img_4262_3


最新の画像もっと見る

コメントを投稿