近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

沖縄の歴史・文化 “琉球諸島”の地理・地形

2007年12月03日 | 歴史
沖縄県は南西諸島のうち、奄美諸島を除く琉球諸島を占める。



写真は、奄美諸島を含む、沖縄・石垣島までの琉球諸島地図。
沖縄諸島は、大小49の有人島と120余の無人島からなるが、最東端から最西端まで約1,000km、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ。

県庁所在地の那覇市から1,500km圏内には、大阪をはじめ、上海他中国大陸・台北・ソウル・マニラ・香港等が入り、東アジア・東南アジアと日本との接点とも云える位置にある。

沖縄本島の中部・南部は、那覇市・沖縄市を中心として都市化・人口集中が進み、全面積の約5分の1に110万人以上が住居している。

湿潤な亜熱帯地域という生物に好適な気候に恵まれたこともあり、島々の中で独自の進化を遂げた動植物の固有種が多く見られ、叉沖縄本島北部には森林が広がり、貴重な天然記念生物が生息している。





写真は、西表島のエキゾチックな夕日及び“西表島国立公園”の光景。
西表島一帯が“西表島国立公園”に指定されており、マングローブ林が広がるほか、“イリオモテヤマネコ”等の貴重な生物が生息している。

というように、琉球諸島には多様な生物・緑豊かな森林・広大な海洋が広がり、独特な文化が形成されてきた。

しかし現実の生活面では離島が多いこともあり、離島の医療は人材的・経済的理由から不足気味であり、病院がなく診療所のみという島も多い。

そのため離島で治療できない急患患者が出た場合、沖縄本島への空輸を自衛隊・海上保安庁に依存するなど、実生活面では不自由・不便なハンディを持つ。


沖縄の歴史・文化 “はじめに”

2007年12月02日 | 歴史
本日から主題の通り、沖縄諸島を取上げる。
北海道から一足飛びに沖縄へ、地理的・気候的にも両極端に位置するが、縄文人から見れば、キット親近感を覚えるに違いない。

以前、弊ブログ「縄文人の謎・ロマン」や「アイヌ民族・文化」で触れたことだが、琉球人と縄文人・アイヌ人との類似性・共通性を思い知らされ、それぞれが“原日本人”を代表・継承しているように思える。

それぞれの類似性・共通性に関しては、骨格・風貌・生活文化スタイル・自然観・宗教観などをはじめ、形質人類学・解剖人類学の観点からも、琉球人・アイヌ人は“Y染色体遺伝子”が縄文人に類似し、叉“ミトコンドリアDNA”の血統調査でも、縄文人との類似性・共通性が指摘されている。



写真は、沖縄民謡を歌う、琉球系人と見られる沖縄女性。

沖縄諸島を舞台とした琉球人と北海道・東北を生活圏としたアイヌ人は、それぞれが日本本土から距離を置いたことで、弥生時代以降、“渡来系弥生人”との混血が進まなかったこともあり、琉球・アイヌの民族・文化の独自性を維持・存続して、縄文人的特徴を今日まで温存する結果となったと云える。

そこで「縄文人の謎・ロマン」・「アイヌ民族・文化」の延長として「沖縄の歴史・文化」を取上げ、琉球人の起源、民族・文化の歴史、文化の伝承・特徴などを吟味・考察する中で、今まで見てきた縄文人・アイヌ人との比較・対照をして見るのも、新たな発見に繫がるかもしれない。

アイヌ民族・文化 “おわりに”

2007年12月01日 | 歴史
アイヌ民族・文化の特徴は、一言で云えば“自然崇拝”に帰結するだけに、この思想・考えを正しく理解することが、即アイヌ民族・文化への理解を深めることに通じる。

今回の“アイヌ民族・文化”を締めくくるに当り、アイヌのアミニズム信仰について、もう一度振返ってみたい。

アイヌ民族は自然を崇拝し、自然のバイオサイクルで生活していたことにある。
自然界を“カムイ”として謙虚に祈り、自然の恵みに感謝し、自然を改造・破壊・汚染することなく生活してきた民族と云える。

アミニズム信仰は他の多くの神教とは異なり、自然と共生する理想の社会を築き上げることを目指した。

カムイには、ヒグマをはじめいろいろな動物、丸木舟・臼・食器・家などの物、川・山・海・火・風・地震・津波・雷などの自然等々がある。



写真は、再びアイヌならではの“イヨマンテ”・クマの霊送り儀式。
アイヌ儀礼は、“物神の霊送り”により旅立つカムイに、再び食糧・用具として人間社会を訪れ・役立って欲しいと願う。

このような儀礼・考えは、日々の食糧を自然に求めた“漁狩猟採集民”としてアイヌの人たちの世界観を如実に物語っている。カムイは“カムイモシリ”と呼ばれる神の国で、人と同じ姿で暮らしていると信じられていた。

アイヌのアミニズム信仰は、縄文時代から引継いだ“自然崇拝”を体系化し、より分かりやすく、行動しやすく、日常生活の祈り儀礼に結びつけたと云える。

縄文時代の自然崇拝、「大地に感謝し自然と共生する」信仰は、農耕社会になった弥生時代以降も、“神道”の自然崇拝思想に引継がれていった。

そこには、深い森林に覆われた山並みに、心の安らぎ・神秘を感じ、森の奥に“カミ”が鎮座し、岩や石に“カミ”が宿っているという自然信仰に通じる。
このようなアミニズム信仰こそ、世界を破壊から救い、平和を招来する“道しるべ”であることを示唆している。

今回も長い間、お付き合い頂き、有難うございました。
チョット心残りではありますが、取りあえず第一幕は引きます。

明日からスタートする「沖縄の歴史・文化」にも、引続きご支援・ご愛顧のほど、宜しくお願いいたします。