近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

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八尾市の久宝寺1号墳とは!

2008年12月07日 | 歴史
八尾市の久宝寺1号墳は、都市基盤整備公団によるJR八尾駅前再開発事業に伴う発掘調査の一環として、平成13年2月から調査が実施された結果発見された。

久宝寺古墳を含む久宝寺遺跡はJR八尾駅南側約1.6kmという広い範囲に広がり、縄文時代から中近世に至る複合遺跡。

今回注目されたのは、全国的にも珍しい割竹形木棺が完存した状態で見つかり、古墳時代前期の日本最古の例として貴重な資料と云われる。

現地は湿地帯だったため完全な形のまま残された。







写真は上から、久宝寺1号墳発掘調査現場(2枚)及び割竹形木棺。

墳丘の平面は方墳で、その規模は東西辺約12.5m・南北辺約10.5mで、その周囲には幅0.7~4.0m・深さ約0.5mの周溝が巡っている。

墳頂部に南北約4.5m・東西約1.8mの墓壙を掘り、割竹形木棺を据えている。
木棺の規模は長さ約3.2m・幅約0.4mで、樹種はコウヤマキと見られる。

木棺は内部が刳り抜かれ、北側と南側に約1.7mの間隔を空けて円形の仕切板
が立てられ、土砂の流入が妨げられ、埋葬区画は中空に保たれていた。

埋葬区画内の棺底からは両仕切板付近で歯牙が検出され、二体の遺骸が頭位を違えて埋葬されたと見られる。

歯牙付近には朱の痕跡が認められたが、副葬品は検出されていないと云う。





出土した布留式土師器。
壷は墳頂部の四隅に1個ずつ配置されており、墳頂部を区画する役目を担ったと見られる。

周溝内からは有段口縁鉢・小形丸底土器・庄内式甕などが出土している。
埋葬者に対する祭祀土器群と見られる。

出土土器から当古墳の築造時期は3世紀末と考えられ、調査区周辺からも3世紀を中心とする多数の墳墓が検出されている。

弥生から古墳時代への移行期に当たり、卑弥呼没後半世紀ほどが経過、被葬
者と大和政権との関係が偲ばれる。

はたして倭の実権が三輪王朝から河内王朝に移ったのか?河内に誕生した新しい王権が倭王権を呑み込んだのか?倭王権の河内進出と見るか?はたまた中国・朝鮮半島から直接移民してきた部族かも知れない。深いい謎!

物部氏は河内を本拠とした古代の豪族であり、古くから大和朝廷に仕え、蘇我氏と並んで権勢を誇っていただけに、物部氏の可能性もある。

他に墳丘東側の周溝底から木棺墓1基・土壙墓2基・土器棺墓2基が検出され、被葬者に関係する人物の墓が集中して築かれていた。

又祭祀土器群に近接して柵状木製品が出土しており、割竹形木棺と考え合わ
せ、被葬者は地元豪族として君臨していたと考えられる。
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