近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

京都府与謝郡岩滝町の大風呂南墳墓群とは!そのⅠ

2009年09月08日 | 歴史
ここからは、京都府の日本海に及ぶ古墳群を巡る。

平成10年9月に、弥生時代後期から末期の岩滝町・大風呂南墳墓群から鉄剣12本やガラス製の釧など大量の副葬品が発掘された。

「邪馬台国の女王卑弥呼誕生直前の丹後地方に強大な武力と鉄資源を持った王が君臨したいたと考えられる」と報じられた。



写真は、岩滝町天橋立に近い丘陵地にある2基の墳墓で、計5基の埋葬施設を確認。この地方一帯が畿内・北九州と並んで古代史上重要な位置を占める。

→発掘された遺物には、全国的にも大変珍しいとか、全国初とかいう代物が多数混じっており、丹後地方が畿内・九州に並んで重要な位置を占めていたのではないかという意味で古代史上画期的な発見であり、今後更なる遺跡調査・研究が待たれる。

以下大発見の出土遺物について概観する。
1、ガラス釧(ガラスの腕輪)



写真のように、ほぼ円形で直径9.8・内径5.8・厚さ1.8cm、深い青色で中に気泡が見える。被葬者が左腕にはめていたが、日本で3例目、今回が初の完壁例。

完全な形で、製作当初に近い色調が残る状態での発掘は今回が初めてとのこと。
ガラス釧には水銀朱と見られる朱が一部に付着していたらしい。

2、貝輪系銅釧(貝の腕輪を意識して作った銅の腕輪)



写真のように、元々貝輪の形が銅でも作られた。九州から関東まで70点くらいが出土、しかし京都府内で13点という発掘数は、佐賀県に次いで全国2番目に多いとのこと。

弥生時代に北九州の有力者が、奄美大島や沖縄方面の珊瑚礁の海で採れた大型巻き貝で作った腕輪をつけて、その身分を表現したのが始まりで、弥生時代中期以降は銅でも作られるようになったらしい。

出土位置は、死者の頭付近に纏めて置かれていた。

3、鉄剣



写真のような鉄剣が、一つの墓穴から11本発掘、元々は北九州から瀬戸内地方に多く、近年丹後・但馬地域の出土例が急増。

鉄製武器・工具は畿内地方よりずっと多く発見されている

弥生時代後期には、鉄器が日本列島に広く普及、丹後・但馬地方からも多く出土しており、且つ畿内地方よりも多く発見されていることは当時の権力の象徴である鉄武器であるだけに、この地方に有力な権力者が存在していたことは間違いなさそう。

→1,800~2,000年前の弥生時代後期は、邪馬台国女王卑弥呼が活躍した時期に一部重なるか、より以前と考えられるが、そのような倭国大乱の頃、広く海を舞台に九州から大陸まで交易して鉄製武器をはじめ、各種の物資を安定供給していた一大勢力が丹後地方に存在したことは、古代史のページに新たな投石をしたことになる。