本丸から南尾根へ
南尾根堀切イ
曲輪6
堀切ア
曲輪7
説明のつかない斜面、右側は土塁のようでもあり、左は抉れていて曲輪のようでもある場所。一応曲輪10(仮に)
曲輪10の下に堀切と土橋があり、上の写真は曲輪として判断してよいと思います。宮坂氏は縄張り図に入れていません。
東筑摩郡誌には竹場砦跡、「青柳頼長の要害にして、その臣竹場源之亟定友これを守りしが、本城と同時に陥落せり。」とある。この落城は天正15年9月青柳伊勢守頼長が小笠原貞慶により松本城内で誘殺され青柳城が落城した時のことを言っている。小笠原勢に急襲され、主のいなくなった青柳城は混乱の内に落城し、至近の竹場城も落城したのであろう。「信濃の山城と館」4巻 城郭一覧は東筑摩郡の項に青柳城があります。
次回 矢倉城 麻績村
南尾根堀切イ
曲輪6
堀切ア
曲輪7
説明のつかない斜面、右側は土塁のようでもあり、左は抉れていて曲輪のようでもある場所。一応曲輪10(仮に)
曲輪10の下に堀切と土橋があり、上の写真は曲輪として判断してよいと思います。宮坂氏は縄張り図に入れていません。
東筑摩郡誌には竹場砦跡、「青柳頼長の要害にして、その臣竹場源之亟定友これを守りしが、本城と同時に陥落せり。」とある。この落城は天正15年9月青柳伊勢守頼長が小笠原貞慶により松本城内で誘殺され青柳城が落城した時のことを言っている。小笠原勢に急襲され、主のいなくなった青柳城は混乱の内に落城し、至近の竹場城も落城したのであろう。「信濃の山城と館」4巻 城郭一覧は東筑摩郡の項に青柳城があります。
次回 矢倉城 麻績村