6月6日から10日の4泊5日で岡山県社会福祉協議会の主催で東日本大震災の被災地に2人でボランテアに参加してきました。バスで15時間。とても乗り応えがありました。第1回から第4回まであり、私達は第3回目に参加しました。初回は20人で打ち切ったのですが、参加希望者が多い為、2回目からは約40人(座席で1人掛けできる人数)の募集がありました。どの回も9時開始数分で満員になったらしいです。
東北には2回ほど行ったことがありますが、松島辺りははじめてです。磐梯山インターで撮ったはじめて見る磐梯山。
私たちが行ったのは宮城県多賀城市です。岡山には鬼ノ城という城址があり、名が似ているということで多賀城市に行くことになったそうです。
被災状況
ここにあった建物が土台だけを残し、1回転して前の場所に移動している
私たちは、明月地区の溝さらえを3日間しました。ほとんど1階部分が流されているので色々な台所用品と海岸の砂で側溝は埋まっていました。おもに男性が埋まった砂をスコップでかき上げ女性は土のう袋を持つ役割をしました。悪臭の中、すごいチームワークのよさで、見る見るうちにきれいになっていきました。
明月地区の区長さん。ご自分の体験を新聞に投稿された記事です。
奥さんとおばあちゃん
お茶や昼食時には漬物類を毎日ボランテアの我々に出してくださりました。
お別れのときに始めて涙をみせられ、私たちもいっしょに涙しました。
区長さんは我々が乗るバス道まで出てきていつまでも手を振っておられました。
多賀城市役所の敷地内には中国のテントが。横の空き地には沖縄の自衛隊のお風呂を提供する基地がありました。
私たちが宿泊所としていたホテルには、各地方から色々なボランテアや仕事をする人達が宿泊していて、東日本大震災の復興を願っていることでしょう。
何年か後には又、この地を訪れ、復興した東北をこの目で確かめようと思っています。
東北には2回ほど行ったことがありますが、松島辺りははじめてです。磐梯山インターで撮ったはじめて見る磐梯山。
私たちが行ったのは宮城県多賀城市です。岡山には鬼ノ城という城址があり、名が似ているということで多賀城市に行くことになったそうです。
被災状況
ここにあった建物が土台だけを残し、1回転して前の場所に移動している
私たちは、明月地区の溝さらえを3日間しました。ほとんど1階部分が流されているので色々な台所用品と海岸の砂で側溝は埋まっていました。おもに男性が埋まった砂をスコップでかき上げ女性は土のう袋を持つ役割をしました。悪臭の中、すごいチームワークのよさで、見る見るうちにきれいになっていきました。
明月地区の区長さん。ご自分の体験を新聞に投稿された記事です。
奥さんとおばあちゃん
お茶や昼食時には漬物類を毎日ボランテアの我々に出してくださりました。
お別れのときに始めて涙をみせられ、私たちもいっしょに涙しました。
区長さんは我々が乗るバス道まで出てきていつまでも手を振っておられました。
多賀城市役所の敷地内には中国のテントが。横の空き地には沖縄の自衛隊のお風呂を提供する基地がありました。
私たちが宿泊所としていたホテルには、各地方から色々なボランテアや仕事をする人達が宿泊していて、東日本大震災の復興を願っていることでしょう。
何年か後には又、この地を訪れ、復興した東北をこの目で確かめようと思っています。