ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

一日遅れました。

2016-08-10 01:09:58 | つれづれ

 

昨日は「長崎の日」。

高校野球とリオ五輪で、なんとなく忘れられている雰囲気ですが、

忘れてはいけません、この日もまた「空から死が降りてきた日」です。

 

長崎は一度行きました。横浜とはまた違って異国情緒の素敵な町でしたが、

どれだけの人のどれだけの苦労で、今も人が住む町にもどしたか…。

第一目的地は「小倉」であったと聞きます。たまたま曇っていたから…

悲運というのは、それが人の手になるものであればあるほど、なぜ…と思います。

もちろん小倉だったらよかったのに、ではありません。

なんであんなものを落としたのか…そこからちゃんと考えねばならないし、

ずっと考えていかなければいけないことだと思っています。

 

昔々、小学校の3年生くらいでしたか、担任の先生が誘ってくださって、

夏休みに「相模川」の花火大会に行きました。同じクラスの子、5人くらいだったかな。

先生のおうちは大きな農家でした。相模川から歩いても5分とかからないところ。

昔のこととて、大きな花火大会と言っても、いまのように場所取りもなければ規制線もありません。

「暗くなる前に早めの夕ご飯」と、出していただいたのがカレーライスであったことまで

ちゃんと覚えてる…あ、食べ物のことだから?

暗くなってから川原で見た花火、頭の上で大きな音を立てて、見事に広がる…。

50数年前ですから、今の花火に比べたら地味であったとは思いますが、

首がかったるくなるほど上を向いてみていたことは、うっすら覚えています。初めての花火体験でした。

 

毎年、夏休みに何度かは、家の庭で花火をしていました。

当時はおもちゃ屋さんの店先で、花火をバラ売りしていましたから、

買い物に行く母について行っては、ねぇ花火買ってぇ…とねだり、

何度かに一度は買ってもらっていました。

「これと…これと…」と選び、最後に必ず「線香花火」を一束。

その晩は、浴衣で庭先に出て、両親と一緒にやりました。時には近所の子も一緒に。

 

あの相模川の花火から、何年後だったか定かではないのですが、

一緒に花火大会に行った男の子の一人が亡くなりました。

元々心臓病ではあったのですが…今の時代であれば、助かる病であったやもしれません。

学校でそれを聞いて、母にそれを言うと「次に花火するときはは手ぇ合わせや」と言いました。

次に花火を買ってもらった夜、母は「もともと花火やらお線香やらは、あの世の人にも

見てもらうもんや、きっとM君も見てはるやろ」と言いました。

あの日からでしょうか、線香花火の光がどうしても物悲しく見えるようになったのは…。

 

隅田川の花火も、もともとは「両国の川開き」てはありますが、さらに由来をたどれば、

それ以前に起きた大飢饉による死者の御霊を弔うため…と言われています。

母がそれを知っていたかどうかはわかりませんが、

大人になって「火は業火にも浄化にもなる」と、そんな話をしたことがあります。

長崎でも広島でも、またそのほかの地でも「精霊流し」が行われます。

原爆で亡くなった人たちにとって、また戦災で焼死なさった人たちにとって、

「火」は、恨むべきもの、憎むべきものではあるのでしょうが、同時に「浄化の火」となる炎というものも、

同時に存在するのだと、そんなことを思います。

 

関東は7月にお盆をすませますが、母が関西でしたので、私は8月も遺影の前で、

おろうそくを例の「好物ろうそく・かき氷の宇治金時」に替え、お花もちょっと豪華に飾ります。

主人のことをつい忘れる…一緒に写真は並んでいるというのに…で、

今年は金魚好きだった主人のために、こんなのを買いました。

 

               

 

きちんと葬儀をだし、法要もでき、こうして穏やかな気持ちで故人をしのぶことができる…

それもまた、平和であるからの幸せ。

遺骨さえない人も、いて当たり前だったあの時代、二度と骨のかけらを探すことなどないように、と祈ります。

人の命の営みがごく普通に行える世界は、とても大切だと、リオで戦う若人の姿を見ながら思っています。


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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-08-10 05:24:32
>もちろん小倉だったらよかったのに、ではありません。

そうなんです。。
あの時の第一目標地点がもし、小倉だったとしたら、
その小倉がダメになったんだったら。。なぜ辞めることを選択肢の一つに?って。。
そんなにまでして落とさなきゃならなかったものなのか?
広島に落としたものとは違うものだったから?

平和ボケと言われようと何と言われようと、
平和であるということの有難さを感じながら。。
今月末の引き落とし??を心配して?
もとい。。来月があることを信じて。。生きていきたいですね。。。(溜息)
あした。。一週間後。。一年後。。ということがあると信じられるって有難い幸せなんです。
明日でもよいことは、明日やろう~←イイノカソレデ( ゚Д゚)

長崎。。去年の秋に行きました。。
カステラ三昧だったんですけれど。。。
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Unknown (サザエ)
2016-08-10 05:25:18
ごめんなさい。上↑のコメ。。私です(;'∀')
返信する
Unknown (とんぼ)
2016-08-11 20:32:42
サザエ様

平和ボケ…しらないうちになっていると思います。
なにもないということは、とても安心な毎日ですが、
ついつい「何かがあるかもむということを忘れがちです。
毎年8月は、そういう意味でも、ちょっと気を引き締めて、
心を過去に向けたり、考えたりするための時間として
過ごすことも大切かと思います。
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