トップ写真は、むりやりこじつけで昔の小袖、しかも「再出」です。
昔の着物で困ること、汚れや傷みは別として、着られるものなのに「小さい」「短い」「裄が足りない」…。
なんたって、ここ数十年で、日本人の平均身長も体重も、体型さえも、欧米に近づきつつありますからねぇ。
単純に背が高くなった…では済まされません。腰の位置も高くなり、手足も長くなりました。
反物の長さは、着尺で12メートル以上あります。私などは、最近はありったけ「揚げ」に入れられてしまいますが、
昔は、通常の揚げ程度にして、残布をもらってました。それで前掛けにしたり、バッグやぞうりを作りましたっけ。
今の人は背が高いですけれど、残布を残さなければ、丈はなんとかなることが多いです。
それでも困るのが「裄」ですね。幅はなかなか取れません。だから最近は40センチ、なんていう反物もあります。
ただ、今のかたは、どうしても洋服感覚で考えるんですね。洋服は、袖が下に向けてついていますから、
これはだらんと手を下にさげたときの「クビの真後ろから手首まで」…の丈です。
着物の裄を計るるときは手を水平にします。この状態でクビの真後ろから手首まで。
だから着物の方が短くなるのは当たり前なんです。
着物は直線でできていますから、着て手を下ろすと、当然手首に当たる部分が引っ張られて上に上がります。
そのかわり布が多いですから、手首にまとわらず袖は下がります。これは短いわけではないのですね。
だから着物を着て、手を水平にして、それでも手首がにょっきり出るのを「裄が足りない」というわけです。
私の友人にも、腕の長い人と短い人がいます。
長い友人は、どの古着を着てもほかは合うのに、裄だけはいつも全然足りない…だし、
短い友人は、どの服を着てもみんな袖口から指しか出ない…。いろいろ苦労があるものです。
「並」でよかったアタシ。
ちと脱線しました。
では、反物の幅ってずーっとこれだったのでしょうか。
実はこれも一定ではないんです。 あの十二単の場合、時代によって多少違いはあるようですが、
だいたい40~50センチくらいの布幅だそうです。
着物の作り方がとても単純(今よりもっと)なので、とりあえず布幅いっぱいのパーツをつなぎ合わせると、
あのぶかぶかの装束になる、とまぁずいぶん乱暴な言い方ですが。
元々、着物の形は、変化した部分がたくさんあります。特に身幅は時代を追うごとに細くなっていきました。
大雑把な絵ですが…
左のように見幅が広く、衿も長く、袖は小さかったものが、少しずつ身幅がせばまり、袖付けがさがり、
最終的に今の形になったわけです。あくまで特徴的なところを強調して描いたものです。
トップ写真の着物は真ん中くらいの時代です。
だんだん身幅が狭くなってきて、帯を上に結ぶ傾向になり、帯幅も広くなってくると、
着物に直接全部袖がくっついているスタイルは、身幅に余裕がない分、手が上に行きにくい。
そこで袖付けの下をちょっと空ける(真ん中の絵)。そうすると帯が上まで来るので、手もラクだし、帯幅も広くできる。
これが進んで「袖付けの下がのばせるよね」になって、振袖ができる。こんな感じです。
どうしてこうなったかは、そのときの社会情勢とか、暮らし方とか、細かいことがいろいろ関わってきます。
ここでは省略しますが、たとえば「政権」というものが固定されてきたりすると「お達し」として、
幅や長さを決められた、というような状況もあったわけです。
色柄まで指定された江戸時代が終わると、今度は「自分たちで着易いように」が始まり、
暮らし方に合わせたり、帯の締め方や作り方から、おはしょりを先に作る着方が始まり、
アタマに大きな髷を作らなくなって、衿の抜き方や半衿の出し方などもかわってきたわけです。
昔は職業身分なども、決まりごとがありましたから、それによっての形、というものもありました。
自由になって、オシャレも進み「~~でなければならない」の数を、だんだん減らしてきたわけです。
「見た目」というのはやはり、その時代ならではのものがあるわけで、この形は、いまの時代でどうだろな、です。
桃山くらいですと裄は短いし、袖口も小さいです。でも今、裄が短いと「あっ、つんつるてんだ」と思いますよね。
並幅は、今は36センチですが、現状に合わせれば、例えば「並広幅」みたいな40センチなんてのを、
もっと作れたらいいのにと思います。
昔だって手の長い人はいたでしょうに…はい、いました。そういう時は「ついだ」んです。
かなり以前、柄が細かくてかなりハデな総柄の振袖を入手したことがあります。
ぱっと広げたら異様に大きい…肩に掛けてみたら、まるで十二単を掛けたみたいです。
寸法を測ったら、もう身幅もいっぱいまで出してあります。
背は私より少し高いくらいの感じでしたが、おそらくかなり「肥満体」の女性だったのだと思います。
当然「裄」が足りなかったわけで、どうなっていたかといいますと、
よーく見てみましたら、袖付けのところに「Ⅴ字型」に、布がはめ込んでありました。
だから柄のつなぎ目がわからない、ゴチャゴチャした柄を選んだのですね。
先人たちが、その暮らし方や社会情勢の変化の中で、そのつどいろいろ考えて変えてきた着物文化です。
「着物を着なくなったのだから、その行く先も、現代の洋服の扱いと同じ始末でいい」というのは、もったいないですね。
着物には着物の「始末の文化」があります。まず、知ってほしいです「繰り回し」という文化のことを。
平安貴族の衣装など、本当にざっくり長方形♪ですものね。今のように縫い合わせてもいませんし、糊付けしているし。それが今のような着物になるまでには、紆余曲折あるんですね。
布幅。私が娘の頃には、本当に苦労しました。
やっぱり裄がどうしても足りなくて、袖も肩もいっぱいにして、見ごろは細めに作る。Yの字ですよね。
長さも、袖丈必要なだけ取ったら、あとは身ごろにまわす。162cmですら、当時は苦労しました(--)
ですから、どんなに気に入ったものでも、昔の母のものは着られません。まさにつんつるてんなんですもの。
今は幅広があるので、私より背が高い娘も何とかなりました。
継ぐのは、やっぱり柄ゆきが限られますものね。それをうまくアレンジした着物を見たこともありますが、やはりおしゃれ着にしかなりませんし。もっと幅広を作ってほしいです。
帯の長さも幅も、だいぶ変わっていますよね(^^)
着物の歴史はほんとに長いですから、
時代ごとの様相も、興味がつきません。
今の時代には、確かに不向きな要素の多い着物ですが、
もっと着てほしいなぁと思っています。
大きさってほんと、苦労しますね。
私は着物はチビなので問題がないんですが、
逆に靴は足が小さくて、昔はサイズがなくて困ったし、
がりがりにやせていたころは、いいなとおもっても、
7号とかSサイズとかがなくて、好きなものが着られませんでした。
いまや太め過ぎてサイズが合わない…。
洋服も和服も「サイズは豊富」でいってもらいたいですー。
着物の袖口は洋服と違って動きますから、裄が長いと袖口がすぐ擦れたり汚れたりするんですよねぇ。
でも、最近は洋服感覚なのか?アンティークの流行で「裄が短いのはみっともない!」に神経質になり過ぎているのか?
私などは、腕を下ろして手の甲あたりまで来ているのを見ると「借り着みたいだなぁ」と感じてしまうのですが・・・・
だんだんそれが普通になってきているようです。
図に描いてくださった変遷が良くわかって有り難いです!
長く続いてきたものと変化していくもの、それぞれに理由があるのですよね。
古着を見ていると着物の寸法も結構色々だと感じるようになりました。
男並みと言って作って貰っていたようですが
それでも 裄は短かったです。
今は 反物幅も広いのが出来たので
少しは体にあう状態になりましたが
肉が付き出して 裄が幾分短めに感じる様になりました。
着尺も川越で買った唐残は 袖分が足りないとお店の人に言われ
袖分を買い足しました。
縦横とも大きいと 大変です
でも 横は努力で減るはずですが
うちの連れ合いはサイズがビックですので以前は着物を仕立てる時はかなり苦労しました。
最近はかなり巾広のものも出回ってきましたので楽になってきましたね。
裄については私もよく悩みます。
昔作った着物に比べると最近のものはかなり長め。
長すぎやしない?と思うのですがどのあたりが一番いいのかよく判りません。
やたらほんとにつんつるてん…の人も多いですが、
摘み上げたくなるほど長い人、いますね。
洋服のほうの流行も影響するのでしょうか、あのやたら長い袖。
手甲してるのかと思っちゃいます。
すぎれば「だらしなくみえる」ものだと思うのですがねぇ。
服のサイズも困りますが、和服のサイズは、横は結構融通きくのに、
縦と裄はねぇ、困りますよね。
私も「変えられるはずの、横幅」、ギクっとしています。
男の方は特に近年大きいですから、タイヘンですよね。
裄は、着物着て水平に手を上げて、
袖口の端が手のくるぶしまであるように。
くるぶしの真上とか手前とか、くるぶしが隠れるとか、
その辺はお好みです。
毎日着物で動く方ような方は少し短めのほうが、仕事しやすいですしね。