年々”お正月感”がなくなっているのは温暖化のせいか私自身が色んなことに鈍感になってきてるせいか・・よくわからない。でもひたすら時は刻まれ年があけてからもうそろそろ一週間がたとうとしている。
医療に携わっている息子が元日にやってきた。二日からもう仕事だと言って慌ただしく帰って行った。母親としては何とも寂しいけれど口に出たのは”病気を持つ身には休みがないからなぁ・・”だった。息子は苦笑しながら復唱していた。
と、いうわけで”新しい朝”といってもいつものごとくオンとオフの狭間で暮らしていくだけだ。
でも今回の長引くトンネルの中で一つ確信したことがある。
”私は、病人。そのための障害もあり助けてもらうことも多々あり、支えなくして生きてはいけない。でもその前に1人の人間でありたい。”ということ。
罹患して早20年近くなる。これからもっと曲がり角も山もでてくるかと思うと正直ゾッとする。でも何が普通かと聞かれても答えられないけど、私のせいで回りのものが不幸になるのはやだなって思う。そのためにはどうしたらいいか?いつもそう考えていこうと思う。
今年はどんな一年になるのかなぁ?まぁ、考えてもなるようにしかならんか・・
ただ一つだけ忘れずにいたいことがある。
何があってもどんなことも絶対に人やもののせいにはしない、ということ。全部、自己責任。平たく言えば”身から出た錆び”ということ。
とは言っても認知症になったあかつきには”ボケたもん勝ち”ということになると思うけど・・
そんなことを思った元日の朝でした。