Ommo's

古い曲が気になる

勝新は、杵屋勝丸ともいった

2010-07-03 | 日記・エッセイ・コラム

                   

三菱自動車東京工場で、インドネシアの研修生たちに溶接を教えたが、かれらが、日本の映画スターで「Shintarou」がすごい、とよく言っていた。最初、シンタロウとは誰だ? まさか、石原慎太郎か? と思ったが、座頭市なのだ。インドネシアでは、座頭市が大ヒットして、勝新太郎が、スーパースターだったのだ。日本での「燃えよドラゴン」ブルース・リーのような人気だったようだ。

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勝新太郎は、波乱の晩年だったが、昭和を代表する名優のひとりであるのはたしかだ。そして、歌もうまい。とうぜんなのだ。何十代もつづいている長唄、杵屋家の人だ。いわばミュージシャンの一家から役者になったわけだ。勝新は、杵屋勝丸ともいうが、十代のときからお弟子さんに三味線の稽古をつけていたという。

     座頭市の居合い http://www.youtube.com/watch?v=J1C-_aJyoKI
   勝新太郎の制作、監督、出演作品 http://www.jmdb.ne.jp/person/p0170060.htm


Born To Be Wild

2010-07-02 | 日記・エッセイ・コラム

イージー・ライダー<リマスター・エディション> イージー・ライダー<リマスター・エディション>
                               

デニス・ホッパーが、5月29日、74才で亡くなった。

ひさしぶりに『イージー・ライダー』をみたいと思うのだが、近所のビデオ屋では、この一ヶ月いつも貸出中だ。わたしとおなじ思いの人がいる、ということかな。

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『イージー・ライダー』は、デニス・ホッパーの制作、脚本、監督、主演の映画だ。1969年(昭和44年)の大ヒット作だ。帯広では、オリオン座で上映された。

この年、わたしは、北海道・帯広駅前で開店したレコード屋の店長になった。『イージー・ライダー』は、サウンドトラック盤がよく売れたから、わたしには、映画の衝撃的な新しさもあるが、直接商売でも思い出深い作品なのだ。開店したばかりでまるで売上のないときの、貴重な商品だった。

ステッペンウルフの Born To Be Wild を聴くと、いまも心がさわぎ、そして、涙ぐむ。

   ステッペンウルフ Born To Be Wild http://www.youtube.com/watch?v=rMbATaj7Il8

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デニス・ホッパーは、『イージー・ライダー』で映像作家として世界で注目される存在になるが、役者のキャリアは長い。1955年(昭和30年)のジェームス・ディーンのデビュー作の『理由なき反抗』で、ジェームス・ディーンをいじめる不良のなかにデニス・ホッパーがいる。

中年になって、サイコで、いかれた犯罪者を演じると、神がかって恐ろしく、みごとだった。生涯5回結婚している。ママス&パパスの、美女のママ、ミッシェル・フィリップスと夫婦のときもあった。

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   ステッペンウルフ Born To Be Wild http://www.youtube.com/watch?v=5UWRypqz5-o&feature=related

しかし、この曲は、ジョン・ケイのような強烈にワイルドなボーカルがいて、クレージーでアナーキーなオルガン・プレーヤーがいないと成立しない。もし、わたしのようなチビの醜男が歌ったのなら、Born To Be Wild  でもなんでもない。

   ステッペンウルフ  2006  Born To Be Wild http://www.youtube.com/watch?v=YwLmmXGEEps&feature=related


ホーム、ドラゴン、そして、立ち食いそば

2010-07-01 | 日記・エッセイ・コラム

                                 

北海道・帯広のそば屋のことを書いていると、なぜか、“ホーム”のタンシチュウが食べたくなった。わたしが帯広に住んでいるころ、ホームは、西2条南10丁目の西仲通りにあった。キロコ電気の並びだ。(いまチャボさんの店が、このあたりなんだろうか)。ホームはいま、六花亭本店のなかにあるようだが、ここには行ったことがない。

ホームのご主人は、ドラゴンでシェフをやられていたはずだ。ドラゴンは、西2条南9丁目東仲通りにあった老舗の洋食屋だ。並びにジャズ喫茶のエースがあった。小学生のころ、このドラゴンで父に洋食コース料理のマナーを教わったものだ。フィンガー・ボールで指先を洗う。スープは音をたてて飲むな。とか、フォークとナイフは、外側のやつから使う。フォークとナイフをそろえて皿に置くと、その料理は食べ終わった、皿をさげていい、という合図だ、とか。そんなことだ。ことあるごとに父にドラゴンでコース料理を食べさせてもらった。だが、父が期待したように、外国要人と晩餐をするような人生にはならなかった。父と母には、申しわけないと思う。

                    

ドラゴンの牡蠣グラタンも、うまいメニューだった。牡蠣グラタンとトーストが、ドラゴンでは安くてうまいランチ・メニューだった。

長いあいだ、帯広駅前が職場だったから、一日2食は、あの周辺、当時の帯広の中心街で食べた。コストはあまりかけられない。毎食予算なしで、うまいものを追求できるなら、幅広く食いまくり、帯広のグルメをきどるのだが、小さいレコード屋の店長だ。立ち食いそばを、愛用した。

立ち食いそば屋は、町内というものじゃない、4軒隣だ。レコード屋を開店してから何年か、つらい時代、たったひとりの店員の子が休みの日には、ずっと飯にもトイレにもいけず、お客さんの高校生や中学生、長谷くんや宮坂くんに、店番をたのんで、走っていって、立ち食いそばを食べたものだ。いまでも立ち食いそば屋をみると、心がさわいで、入ってしまう。

  レストラン・ホーム http://www.tokachi-gurume.jp/home.html

  六花亭 http://www.rokkatei.co.jp/

                   

戸張さんの写真の、十勝の海の美しさには、いつも驚く。http://www.y-tobari.jp/topics/?ct=1 壮絶で、寒い、太平洋だ。十勝の太平洋に立つと、海を見ているじぶんの無力感、孤独、死の自覚に、悄然とする。十勝の海の情景は、そんなふうに悲劇的だ。重い鉛色の海だ。

でも、北の海のなかは、豊穣の海だ。その寒く、悲しい美しさが、戸張さんの硬質な海の写真にある。わたしは、いつも感動する。じつに美しい。