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アイランド・レコード、50周年

2009-12-13 | 日記・エッセイ・コラム

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これは個人の住宅。年末になると、イルミネーションの家が、そこらにじゅうに出現する。

ジミー・クリフが主演した映画「ハーダー・ゼイ・カム」は、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアで大ヒットした(日本では一般封切りにならなかった。いくつかの都市で自主上映されただけだった)。きっと、この映画が、ジャマイカの状況と音楽を映像でみせたはじめてのメジャー映画だった。スカ、そしてレゲエは、まだ一般的ではなかった。

映画「ハーダー・ゼイ・カム」のエグゼクティブ・プロデューサーが、クリス・ブラックウエルなのだ。アイランド・レコードの創設者だ。ボブ・マーリーを世界に売り出し、レゲエという音楽を世界に知らしめた大プロデューサーだ。それだけじゃない。

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70年代にレゲエを紹介する、その前、60年代には、ブリティッシュ・ロックを世界に売り出した。アイランド・レコードからデビューして、ヒットしたバンドは、スペンサー・デイビス・グループ、トラフィック、フリー、ジェスロ・タル、キング・クリムゾン、ロバート・パーマー、キャット・スティーヴンス、エマーソン・レイク&パーマーなどがある。

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クリス・ブラックウエルは、1937年、ロンドンで生まれた。父はアイルランド人、母親はコスタリカ生まれのユダヤ人。子供時代はジャマイカで育ち、イギリスの名門ハロウ校を卒業して、またジャマイカにもどった。1959年にジャマイカで、アイランド・レコードを設立した。

ジャマイカで、2枚のLP、26枚のシングル盤を制作したあと、クリス・ブラックウエルは、ロンドンに移って、アイランド・レコードを法人化した。イギリスでは、独創的なグループがゾクゾクと登場して、ロック・シーンがおもしろくなっていたのだ。

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In the Court of the Crimson King
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1971年10月30日、ジャマイカのボブ・マーリーが、アイランド・レコード・ロンドン本社のクリス・ブラックウエルのオフィスを訪ねた。レゲエという音楽が、世界デビューするきっかけになった歴史的な日だ。

ボブ・マーリーがメンバーのザ・ウェイラーズは、10年まえからジャマイカでレコードを発売して、何枚もヒットを出していた。だが、ジャマイカだけのローカル・スターだった。クリス・ブラックウエルの力で、アイランド・レコードから世界デビューをしたいと、訪ねたのだ。クリス・ブラックウエルは、すでにジャマイカ出身のジミー・クリフを主演にして、映画「ハーダー・ゼイ・カム」を制作していた。

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こうしてアイランド・レコードでボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバムが制作される。しかし、すぐに売れたわけじゃない。1974年、エリック・クラプトンが、ボブ・マーリーの曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をカバーして、No.1ヒットにした。このビッグヒットで、ボブ・マーリーの名前が世界で知られることになる。

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U2のライブに出かけたときのクリス・ブラックウエル。アイルランドのローカル・バンドだったU2を世界デビューさせたのも、クリス・ブラックウエルなのだ。

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アイランド・レコード50周年、なかなかハンサムだったクリス・ブラックウエルも、72歳。それなり老人だ。ひとのことは言えない。わたしの頭に、もう髪の毛は、無い。

           アイランド・レコード50周年 オフィシャルサイト http://www.island50.com/

    ボブ・マーリー I Shot The  Sheriff http://www.youtube.com/watch?v=nrnZSLwfzVs


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