テレビのニュースでは緊張感をもって報じないから、たいがいの人は、知らない。わずかの間に日米関係は、ここまで悪化している。国際政治は、一刻も止まらない。「ちょっと待ってね、みんなで相談するから」、「ぼく、ママに聞いてくるから、待っててね」と、鳩山が言っているあいだに、世界はどんどん動いていく。アメリカ・オバマ政府も、じぶんたちの議会対策があるから、早急に沖縄基地問題に結論を出さなきゃならん。同盟国なんだ。相手の政権のことも考えてやらんといかんだろう。
なにやら、昭和初期の日米開戦前夜の雰囲気がしてきた。鳩山と民主党のれんちゅうは、ことの深刻さを認識できないのだろうね。首相・党首が、「太陽をパクパク食べてる」友愛のぼくちゃんだからな。
日本は、アメリカとの同盟関係なくして、世界の経済大国としてやっていけるのだろうかね?
普天間基地移転問題に関して、鳩山由紀夫の決断力の欠如が、オーストラリアとの関係にも影響がでている。http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20091207AT3S0600806122009.html
きょう12月8日は、日米開戦、真珠湾攻撃の日でもあるが、1980年、ジョン・レノンが射殺された日だ。
ダブル・ファンタジー(紙ジャケット仕様) |
「ダブル・ファンタジー」、ジャケット写真は、篠山紀信。
ジョン・レノンの最後のアルバム「ダブル・ファンタジー」は、ゲフィン・レコードから発売された。ゲフィン・レコードは、デビッド・ゲフィンが設立した会社だ。デビッド・ゲーフィンは、70年代にはアサイラム・レコードをつくった名プロデューサー、名マネージャーだ。いまは映画の製作者でもある。
デビッド・ゲフィン
クリントンとデビッド・ゲフィン
スティーヴン・スピルバーグとデビッド・ゲフィン
1944年生まれのデビッド・ゲフィンは、ローラ・ニーロを発掘し、マネージャーになって、彼女をデビューさせる。これが、デビッド・ゲフィンのいわば音楽業界での初仕事だ。ローラ・ニーロ、19才。デビッド・ゲフィン、22才だ。
More Than a New Discovery |
1966年録音のローラ・ニーロのファースト・アルバム。このとき、ローラ・ニーロは、まだ19才。すごい才能だ。このローラ・ニーロを発見して、デビューさせたデビッド・ゲフィンもすごい。スリー・ドッグ・ナイトやフィフス・ディメンションズにローラ・ニーロの曲をカバーさせてヒットさせたのも、デビッド・ゲフィンの才覚だ。
ジョイ・トゥ・ザ・ワールド ~ベスト・オブ・スリー・ドッグ・ナイト |
The Age of Aquarius |
1971年、デビッド・ゲフィンはアサイラム・レコードを設立した。ここからは、リンダ・ロンシュタット、イーグルス、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーを売り出した。
Hasten Down the Wind |
Desperado |
ジャクソン・ブラウン・ファースト |
ボーダー・タウン~ヴェリー・ベスト・オブ J. D. サウザー |
J.D.サウザーの2枚のアルバムが、アサイラムではなく、エレクトラ・レコードから発売になっているのは、1973年にアサイラムとエレクトラが合併して、デビッド・ゲフィンが社長になったからだ。
テキサス出身のJ.D.サウザーとデトロイト出身のグレン・フライは、ロサンゼルスのアパートで同居してデュオのグループ Longbranch Pennywhistle を組んでいた。アパートの隣に住んでいたのが、ジャクソン・ブラウンだった。
J.D.サウザーとグレン・フライのデュオは、一枚のアルバムを録音して解消する。グレン・フライは、イーグルスを結成して、リンダ・ロンシュタットのバック・バンドになる。J.D.サウザーは、デビッド・ゲフィンの勧めでソロデビューをする。
1972年発売の、イーグルス・ファースト・アルバムのA面1曲目で、最初のビッグ・ヒット「テイク・イット・イージー」は、グレン・フライとジャクソン・ブラウンの共作だ。
イーグルス、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット Take It Easy http://www.youtube.com/watch?v=9kTAT4vj_hI&feature=related
J.D.サウザーは、シンガー・ソングライターとしての高い評価のわりに、エレクトラ/アサイラムではそれほど売れなかった。だが、コロンビア(CBS)に移籍して発売したアルバム「ユア・オンリー・ロンリー You're Only Lonely」が大ヒットする。1979年のことだ。
Blu-spec CD ユア・オンリー・ロンリー |