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古い曲が気になる

芽室町大火

2016-12-24 | 日記・エッセイ・コラム

 天皇誕生日の祭日、クリスマス、大晦日、正月を前に、大火の被害に遭われた新潟県糸魚川市の人々に、心からお見舞い申し上げます。

 

 火元は、ラーメン屋店主の鍋の空焚き、という。あの強烈な南風のなか、飛び火で延焼していく凄まじい映像を見ていて、古い記憶が鮮明によみがえった。

 

 帯広市の隣町、芽室町の大火だ。それは1964年の3月22日のこと。

 中学3年のわたしは、帯広市西4条南4丁目に両親、祖母と住んでいた。当時、町内に帯広市消防署があった。わたしの部屋から、火の見櫓の上を巡回する消防士と手を振りあって挨拶ができる距離だ。(当時、帯広消防署にはビルの5階くらいの塔があって、双眼鏡を持った署員が24時間街を監視していた。街も狭く、高い建物がなかったから、火事の煙をいち早く発見できたのだろう。背の高い建物が建ちはじめると、その火の見櫓の上を回る消防士をわたしの部屋からは見なくなったが‥‥‥)

 夜、何時ごろか? わが町内の帯広消防署のサイレンが鳴りだして、なかなか鳴りやまない。サイレンを鳴らした消防車がドンドン出て行く。それでも消防本署のサイレンが鳴りやまない。

 「何だ? 何だ? 帯広市街の大火事か?」

 母といっしょに外に出ると、火事は、帯広市街ではない。夜の闇のなか、西の方、日高山脈方向の地平線が真っ赤に燃えている。その炎はあまりに大きく激しく、帯広競馬場か柏林台団地が燃えているように近く感じる。

 サイレンが鳴りやんで、帯広消防署のラウンドスピーカーから、「火災は芽室町」というアナウンスがあった。「あんなに離れた町なのに、ここで熱風を感じるようだ」、はるか遠くから眺めていたのだが、あの夜の、芽室大火の凶暴な夜空は忘れられない。

 

 1964年(昭和39年)の芽室大火は、89世帯403人被災と記録にある。重軽傷者はいたが死者はいない。

 1964年とは、ビートルズの日本デビュー曲『プリーズ・プリーズ・ミー』のシングル盤が東芝音楽工業から発売された年かな。むかし、むかし、大昔だね。