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古い曲が気になる

『ビルボード・ナンバー1・ヒット』1971~1985

2015-12-09 | 日記・エッセイ・コラム

 

 嬉しいことに九州の森本裕二くんから、『ビルボード・ナンバー1・ヒット 1971~1985』(フレッド・ブロンソン著 1988年 音楽之友社) を送っていただいた。福岡で見つけた本で長い間大事にしていたそうだが、わたしの、憂鬱な老老介護の冬を慰問するにふさわしいだろう、と送ってくれたのだ。

 この本にある、1971年~1985年は、まさにわたしの店、サウンドコーナーの黄金期だった。1971年は、帯広駅前で小さいレコード店を開店して3年目。開店以来わたしは、毎月のように喫茶店を借りてロックの新譜の試聴会をやったり、フイルム・コンサートをやってみたり、洋楽の販売促進をいろいろ試みて、やっとその成果が出はじめた時だった。そして同時に、アメリカ、イギリスのロック、ポップスが最高に面白い時代になった。

 他の地方のことは知らないが、当時、北海道・帯広で洋楽が聴けるラジオ番組は少なく、例えば、ピンクフロイドの”新譜”『原子心母 Atom Heart Mother 』(1970年10月)を、お客さんが発売前に聴きたいと思ってもかなわないことだった。情報は、音ではなく、音楽雑誌など紙媒体の記事だけだ。そこでわたしは、”ロック・レコード・コンサート”と称して、発売前のLPのテスト盤、発売したばかりの新譜LPをデカイ音で聴かせる会を毎月開いた。そのころオーディオブームだったせいか、ジャズ喫茶はもちろんだが、そうじゃないお店にも、立派な真空管のプリ・メインアンプと、高級なスピーカー、高性能なレコードプレイヤーをそろえていた。わたしは、そういうお店を借りて、音圧でグラスが共鳴するようなボリュームでロックの新譜を聴かせた。

 最初は数人というお客さんだったが、『レッド・ツェッペリン』ファーストアルバムをフルボリュームで聴いた中学生、高校生たちは、きっと心が震えたのじゃないかな。


 この本で最初に紹介する1971年1月23日リリース、3週間ナンバー1だったのは、ドーンの「ノックは3回 Knock Three Times 」。

 そして、この本の最後の曲、1985年4月13日発売、4週間ナンバー1は、「ウィ・アー・ザ・ワールド We Are the World 」


    ドーン  Knock Three Times   https://www.youtube.com/watch?v=k7Jvsbcxunc

    USA for Africa  We Are the World  https://www.youtube.com/watch?v=M9BNoNFKCBI


 おもしろいね。ドーンのメイン・ボーカル、トニー・オーランドは、ニューヨーク・マンハッタンの人。13歳のときには、キャロル・キングとグループを組んだりしている。アイドル歌手で1961年エピック・レコードからデビューするがあまり売れず、CBS系の音楽出版社で仕事をすることになる。ローラ・ニーロやジェームス・テイラーなどのレコーディング現場のディレクターだったりするのだが、なぜか、たまたま頼まれてこの曲のボーカルをやる。バックコーラスの女性、テルマ&ジョイスはカルフォルニアの人で、コーラスのレコーディングはロスアンゼルスでやっていた。つまり、ドーンの「ノックは3回」が全米ナンバー1になったとき、ドーンというグループは、まだこの世に無い。

 世界で大ヒットしているとき、ボーカルのトニー・オーランドとコーラスのテルマ&ジョイスは、出会ったことがない、まったく面識がないミュージシャンだという。

 つまり、この大ヒット曲は、バックコーラスとインストはカリフォルニアで録音され、メインのボーカルはニューヨークでいれている、という。カルフォルニアの女性ボーカルの二人は、この”ドーン”というグループでツアーをすることをひどく嫌った、と、この本にある。