帯広競馬場の西に隣接する公園。
図書館まで徒歩片道、1時間半くらいだが、途中、迂回して公園のなかを歩く。ここも懐かしいところなのだ。
わたしが中学生のとき、この西に新興の住宅街ができた。柏林台だ。父がこの分譲住宅を買い、引っ越した。中学2年のときだ。だから、わたしは、帯広第一中学で1年生、転校して五中で2年生、祖父が死んで祖母と暮らすため、また帯広市内にもどり、またまた第一中学に転校した。高校のとき、学内に友人・知人がたくさんいたのは、両方の中学校の同期生たちや先輩たちがいたからだ。
わたしが柏林台に引っ越したとき、その団地から西に、住宅はまったく無かった。芽室までずっと、田圃だ。いまでは信じられないことだろうが、帯広市を囲む田園地帯は、稲作だったのだ。米だ。かって十勝では盛んに米を作っていたんだよ。米をつくれない土地で、豆を植え、亜麻を栽培し、蕎麦を収穫して、羊を飼い、牛を飼っていた。(開拓のはじめは、まず、米を作ろうと試みる。この、日本人の心意気が好きだな)。
柏林台に住宅街ができたとき、この公園は、ヤチだ。湿地だ。野兎が走り、カルガモやマガモが子を育て、わたしは、フクロウを見るために、よく、このヤチに来た。やぶ蚊の群れが、真っ黒な蚊柱のようになって、中学生のわたしに付きまとってきたものだ。
十代のとき、夏も冬も、わたしは、このヤチのなかを歩きまわった。目にする、植物も動物も、昆虫も、おもしろい。