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古い曲が気になる

バタヤン、逝く

2013-04-25 | 日記・エッセイ・コラム

田端義夫 12CD-1084A

 

 田端義夫さんが亡くなった。94歳という。天寿をまっとうした大往生といえるだろう。

 http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130425-OYT1T00732.htm

 エレキ・ギターを弾きながら歌うスタイルの、日本での先駆者であろう。田端さんのヒット曲、『かえり船』。悲しい歌だ。聴くたびに心揺さぶられる。

 終戦になって、戦場で戦った日本の将兵が、帰還船で帰ってくる。船は、日本本土に近づき、遠く、波のむこうに島かげがみえる。「ああ、日本だ! 帰ってきた‥‥‥」という、船上の兵士の心境を歌った歌だ。

 生きて帰国する喜び、敗戦の屈辱、死んでいった戦友への思い。焦土と化した故国、ゼロからはじまる生活への不安。出征のとき、港で見送ってくれた恋人は、『いまも、俺を待ってくれているのか? 戦死したと思って、違うだれかと結婚してしまったか?』。それらの複雑な心境がこの歌にはこめられていて、心おだやかに聴けない。

 『かえり船』の発売は、昭和21年。長い、つらい、戦争の日々を生きぬいた、日本人の男も女も、だれもが、この曲に共感したことだろう。

    田端義夫  かえり船 http://www.youtube.com/watch?v=myDgvXaGsGs

 

 

 国会議員の靖国神社参拝が、なにかと話題になっているが、マスコミが騒ぐこと自体、バカげたことだ。わたしは、昨年6月に北海道にもどるまで、20年いじょう、毎週のように靖国神社にお参りしていた。国策に殉じた人たちに、感謝と尊敬の気持ちで、冥福を祈るのは、人として当然のことだろ。

 

 靖国神社に祀られているのは、男たちだけじゃない。前線の野戦病院で、傷病兵の看護をして戦死した、数多くの看護婦たち(ひめゆり隊の少女たちもいる)、そして、ソ連兵が接近するなか、逃げずに、最後の最後まで業務を放棄せず、電話回線を守って自決した、樺太・真岡郵便電信局の、交換手の女性たち。戦場で、任務をまっとうして死んだ日本女性は、2万人をこえるといわれている。その女性たちも、英霊として靖国神社に祀られている。その多くの女性たちは、強制されて戦場にいったわけじゃない。志願して国に殉じたのだ。

 

 誤解があるようだが、靖国神社に遺骨や位牌があるわけじゃないのだ。国家・国民のために殉じた人たちの霊魂を、神として奉じ、鎮魂するところだ。その戦争の、善悪など関係ない。だいたい、善き戦争など、ありえないだろ。