浦安市中央図書館の書庫で(この図書館の書庫は大部分解放されている)、本をさがしていると、『林不忘探偵小説選』(論創社 2007年)が目にはいった。おお、こんな本が出てるんだ、と40年ぶりに釘抜藤吉の捕物話を読みふけった。
林不忘は、本名、長谷川海太郎。林不忘、谷譲次、牧逸馬と3つのペンネームで大衆小説を書きなぐり、文壇のモンスターといわれた才人だ。だが、絶頂期、35歳の若さで急死した。だから、意外と作品は少ない。しかし、だれでも丹下左膳は知っているだろう。
林不忘は、時代物を書くときのペンネームで、丹下左膳は、林不忘がつくった最も有名なキャラクターではないだろうか。
作家デビューは、江戸きっての眼明かしの親分、釘抜藤吉が活躍する捕物、つまり探偵物だった。丹下左膳は、片眼、片腕の浪人。釘抜藤吉は、片足が釘ぬきのように曲がった身障者だ。きっと、いまの時代では、こういうキャラクターが活躍するのはむずかしいだろう。あしたのジョーの酒好きのコーチ、丹下段平さんの“丹下”は、もちろん丹下左膳からいただいたのだろう。
林不忘こと、長谷川海太郎は、明治33年(1900年)新潟で生まれ、函館で育った。父・長谷川清が、函館の新聞社『北海新聞』の主筆として招聘されたのだ。東京の明治大学に入学するが、すぐにアメリカに渡った。アメリカでも大学をやめて、さまざまの仕事をしながら放浪する。このアメリカ時代のことは、谷譲次の名前で書いた、めりけんジャップ物に反映されている。このシリーズも、じつにおもしろおかしい。
船員になって上海で上陸して、陸路朝鮮半島まで旅して、日本に帰国した。そして、東京と実家の函館をぶらぶらしながら、探偵小説、つまり江戸時代の捕物ばなしを書きはじめたわけだ。
もちろん江戸の探偵物、岡っ引き・眼明かしが事件を解決する小説は、岡本綺堂の半七捕物帳がある。林不忘の釘抜藤吉捕物覚書の新しさは、アメリカのペーパーバックを読み飛ばす英語力で、ハードボイルドを知っていたのが大きいのじゃないかな。