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古い曲が気になる

Ain't No Sunshine は、ビル・ウィザースの曲

2011-06-14 | 日記・エッセイ・コラム

                           

 映画『ノッティングヒルの恋人 Notting Hill 』のサントラにつかわれた、ビル・ウィザースの Ain't No Sunshine は、1971年(昭和46年)のヒット曲だ。邦題は、『消えゆく太陽』。

     『ノッティングヒルの恋人』サントラ   ビル・ウィザース Ain't No Sunshine http://www.youtube.com/watch?v=tlP89pMc3UM

ジャスト・アズ・アイ・アム(紙ジャケット仕様)

 1971年、このデビュー・アルバムを発売したとき、31歳になっていたビル・ウィザースは、音楽では食べていけず、工員をやっていた。(フォード・モーターズで組立工をやっていたとも、ボーイング747のトイレの便器を組み立てていた、ともいうが……。ともかく)、自主制作のデモ盤をつくったときにアレンジをしてくれた、ワッツ・103rd・ストリート・バンドのレイ・ジャクソンの紹介で、Sussex レコードからこのファースト・アルバムを発売することができた。そしてこのアルバムで、世界に知られるシンガー・ソングライターになったのだ。プロデュースは、ブッカー・T・ジョーンズだ。

 このアルバムからシングル・カットされた Ain't No Sunshine は、最初、Harlem のB面だった。だが、ラジオのDJたちは、B面のほうが気に入り、ビルボード誌のR&Bチャートの3位にまで上昇する大ヒットになった。そうして、Ain't No Sunshine は、1972年のグラミー賞・ベストR&Bソングに選ばれたのだ。

     ビル・ウィザース Ain't No Sunshine http://www.youtube.com/watch?v=tIdIqbv7SPo&feature=related

 

 Ain't No Sunshine は、1971年の発売いらい世界じゅうのミュージシャンにカバーされている。150ちかいアーティストにカバーされ、レコーディングされているというが、そんな数ですむのだろうか。ドイツ語版だけで、ユーチューブに二つの異なった歌詞の映像があった。フランス語やスペイン語やポルトガル語やロシア語など世界じゅうの言語のカバーを探すと、すさまじい数になるのではないだろうか?

                           

     マイケル・ジャクソン Ain't No Sunshine http://www.youtube.com/watch?v=bJTNUIuassY&feature=related

     ホセ・フェリシアーノ Ain't No Sunshine http://www.youtube.com/watch?v=d-lUBlbJkrQ&feature=related

             スティング&デイヴィッド・サンボーン Ain't No Sunshine http://www.youtube.com/watch?v=zNB4rvHPjPg&feature=related

      エヴァ・キャシディ Ain't No SunShine http://www.youtube.com/watch?v=iyYYSSuNmog

      フレディ・キング Ain't No Sunshine http://www.youtube.com/watch?v=16AnGcB7MHA&feature=related

      バディ・ガイ&トレーシー・チャップマン Ain't No Sunshine http://www.youtube.com/watch?v=neFzQ-vBXm0&feature=related


帯広・カーディナルのチャーさん、逝く

2011-06-14 | 日記・エッセイ・コラム

                         

 「今朝、カーディナルのチャーさんが亡くなりました」と、北海道・帯広のヤスオさんから連絡をいただいた。先週金曜日に「チャーさんが入院しています」と、Azuさんから聞いたばかりなのだが……。

 チャーさんは、帯広のパブ・カーディナルのマスター。元ソウル・パワーのベーシストだ。ソウル・パワーは、旭川出身のバンドだ。安全地帯の先輩バンドになる。ディスコ全盛の70年代前半、札幌・ススキノで人気のトップバンドだった。マウンテンのレスリー・ウエストのような体型のギタリスト、大塚さんがリーダーだった。

 チャーさんは、ソウル・パワーのボーカルの沢ちんと結婚して、帯広・西4条南10丁目にパブ・カーディナルを開店した。音楽好きの若者が集まる、たのしい店で繁盛した。その後、チャーさんと沢ちんは、ライブが楽しめる店を西1条10丁目に開いた。ここも大繁盛した。