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今日の筆洗

2020年07月16日 | Weblog

 バスケの八村塁(はちむらるい)選手が所属するのはワシントン・ウィザーズだが、もともとのチーム名はブレッツ。一九九七年に名称を改めた。銃犯罪や銃社会を想起させるブレッツ(弾丸)の名をやめようという判断でウィザーズ(魔法使い)と少々かわいらしくなった▼同じワシントンが本拠地のアメフトの名門レッドスキンズが一九三三年から使っているチーム名を改めると発表した。日本でいえば野球のジャイアンツが名を変えるぐらいの出来事だろう▼高校、大学、プロを問わず、米国のスポーツチームには先住民(ネーティブアメリカン)に由来する名が多い。勇猛果敢、命知らず。かつての先住民のステレオタイプなイメージをチームの強さとして売りたかったか。だが先住民には不愉快で差別的と映る▼レッドスキンズ(赤い肌)への風当たりは以前から強かったが、先住民への敬意と無視し続けてきた。今回の変更は五月、黒人男性が警官に殺害された事件に端を発した反差別運動のうねりの結果でチームスポンサーの大企業の意向もあり、ようやく変更を決めた▼傷つく人がいる以上、どんなに由緒ある名でもやはり使いたくない。今後、野球のインディアンスやブレーブス(先住民の勇者)も問題になるか▼忘れてはならないのは名を変えただけでは社会は変わらぬことだろう。米国で、「ブレッツ」が消えていないように。


今日の筆洗

2020年07月15日 | Weblog
 小学校や中学校の教室に鉛筆削り器が置かれるようになったのは一九六〇年のある事件がきっかけらしい。当時社会党委員長の浅沼稲次郎刺殺事件。犯人は十七歳の少年だった▼少年の刃物による事件という衝撃から刃物追放運動が起こる。鉛筆を削るのに当時の子どもは「肥後守」のような小型ナイフを学校に持ってきていたが、これが心配の種となった。で、教室の鉛筆削り器である▼当時の親は安心したかもしれぬが、本当に良かったのかという意見もある。刃物は使い方を間違えれば危険なもの。取り上げるのは簡単だが、刃物のこわさを子どもが身をもって学ぶ機会が失われたのではないか。そういう考え方である▼文部科学省は中学生が学校に携帯電話を持ち込むことを容認する方針だそうだ。原則禁止だったが、災害時の緊急連絡手段になると方針を変えた。校内での使用は引き続き禁止されるそうだが、中学生は「やったー」か▼SNSによるいじめの心配や学校側の管理負担を思えば慎重論もあるだろう。中学生の約六割がスマホを持つ時代だそうだが、持たない生徒への配慮も必要になる▼持ち込みを認めるのなら、正しい使い方をきちんと手ほどきするしかない。便利だが、使い方次第では、刃物以上に自分や誰かを傷つける危険な道具であることをよく教えたい。ついでに誰がその料金を支払っているかも。

 


今日の筆洗

2020年07月14日 | Weblog

 少年が学校から帰り、自分の部屋をガラッと開けると、見知らぬ老人が布団を敷いて昼寝をしていた。不条理芝居の滑り出しみたいだが、実話である。少年の部屋で寝ていたのは歌人の斎藤茂吉。父親が茂吉の結社「アララギ」の会員だった関係から家に寄ったのだろう▼「おお君の部屋を借りたよ」。そう声を掛けられた少年はやがて歌人となり、戦後の短歌界をけん引する。歌人の岡井隆さんが亡くなった。九十二歳。名古屋出身。あの少年である▼大戦後、短歌は危機にあった。敗戦のショックが大きかったのだろう。短歌ではなく別の方向に進まなければ日本は文化的に生き残れないのではないか。日本伝統の短詩型そのものを否

 

定する意見もあった▼岡井さん、塚本邦雄、寺山修司が担った前衛短歌運動とは短歌滅亡論への疑問と反抗だった。実験的な比喩表現や虚構性。短歌の新たな可能性を模索し続けた。歌壇には「前衛狩り」の風潮もあったが、結果として岡井さんたちの試みは混乱期の短歌を救ったと言える▼<海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ>。かなしき婚とは一九六〇年の日米安保改定だろう。歌の強さ、鋭さは後の世代から見てもまぶしい▼本紙ではコラム「けさのことば」を長く連載していただいた。愉(たの)しみの半面、博識と内容の深さに、同じコラム書きは毎度ため息をついた

 前衛短歌運動の旗手として知られ、戦後の短歌界をけん引した歌人の岡井隆さんが10日午後零時26分、心不全のため死去した。92歳。名古屋市出身。自宅は東京都武蔵野市。葬儀・告別式は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。
 「アララギ」会員だった父の影響を受け、旧制第八高等学校(現名古屋大)在学中の17歳から作歌を開始。「アララギ」に入会し、故土屋文明氏の選歌を受ける。
 慶応大医学部在学中の1951年、故近藤芳美さんらとともに歌誌「未来」を創刊、中心的存在として編集に携わった。卒業後の56年、北里研究所付属病院に内科医として勤務しながら第一歌集「斉唱」を出版。繊細で感受性豊かな叙情歌で注目を集めた。
 やがて故塚本邦雄氏の影響で作風が一変。伝統的短歌の刷新と、左翼性や社会性の導入を特徴とする前衛短歌運動を推し進めた。
 61年発表の第二歌集「土地よ、痛みを負え」では、聞き慣れたリズムの破壊、記号の多用など、さまざまな新しい表現法を試行。前衛短歌運動を代表する歌集と称された。
 70年に突如、歌作を中断し、九州へ。その後、愛知県豊橋市に移り、国立豊橋病院(当時)で内科医長を務める傍ら復活歌集となる「鵞卵がらん亭」を出した。
 83年に「禁忌と好色」で迢空ちょうくう賞を受賞。90年に中日文化賞、斎藤茂吉短歌文学賞、95年現代短歌大賞、99年詩歌文学館賞などを次々に受賞。斎藤茂吉や正岡子規らの研究にも力を注いだ。
 2002年から14年まで本紙で「けさのことば」を連載。本紙グループの中日新聞「中日歌壇」の選者を83年から30年以上務めた。93年から宮中歌会始選者、2007年には皇族に和歌を指導する宮内庁御用掛ごようがかりになった。社会派として活動してきた歌人が宮中行事に参加することは大きな議論を呼んだ。

現代歌人協会理事長の歌人・栗木京子「短歌の可能性を信じ」

 新しい潮流にいち早く身を投じて自分の栄養にする。短歌の可能性を信じ、どう発展させていくのかを身をもって体現していた。結社は違ったが、同じ名古屋市出身というつながりもあり、仲間同士で開く歌会には何度も参加してもらった。若手の批評にも、うれしそうに耳を傾けていたのが印象に残っている。人間と短歌を心から愛している方だった。

本紙「東京歌壇」選者、東直子さん「常に新しいもの求め」

 30年ほど前、月刊誌に投稿していた短歌を本格的に勉強したいと思い、岡井さんに師事した。岡井さんの歌会はとても自由な感じで、若者が多く集まった。前衛歌人らしい豊潤なイメージと、それらをつなぎ合わせる実験性などで影響を受けた。岡井さんも若い人の歌集ににこにこしながら意見を言ったりと、常に新しいものを取り入れようとしていた。お声もすてきで、自作朗読が楽しみだった。まだお亡くなりになられたとは信じられない。
 

 

 


今日の筆洗

2020年07月13日 | Weblog

 故郷に帰ってきた青年の紫色の服を見て母親が怒る。「なんておかしな服を着ているの!」「ブルックスに行って良いスーツを何着か買いなさい」。「華麗なるギャツビー」などの米作家フィッツジェラルドのデビュー作「楽園のこちら側」にこんな場面があった▼発表は一九二〇(大正九)年。ブルックスとは一八一八年創業の老舗ファッションブランドの「ブルックスブラザーズ」である▼そんな昔から「ブルックス」さえ着ていればどこへ行っても恥ずかしくないというイメージを勝ち得ていたのだろう。ケネディら多くの歴代米大統領があつらえ、信用第一のビジネスマンがこぞって着たというのも分かる。ジャズファンはその名にマイルス・デイビスのクールなスーツ姿を思い出すだろう▼日本でも六〇年代のアイビールック流行を受けた団塊の世代をはじめ、多くの男性にとって憧れのブランドだったが、最近、経営破綻したと聞いて、驚く▼男性の服装がカジュアル、軽装に向かう時代なのだろう。スーツが売れない。苦戦が続く中で新型コロナウイルスが拡大。外出自粛や在宅勤務でブルックスのスーツが活躍する機会は大きく失われたか▼リンカーン大統領が狙撃されたとき、着ていた服も同社製。日本国内店舗は営業を続けるそうだが、老舗の中の老舗まで倒すコロナという銃弾の恐ろしさにあらためて身構える。


今日の筆洗

2020年07月11日 | Weblog

 歌舞伎の人気演目「お祭り」は休演していた役者の復帰の舞台にもなることで知られる。大向こうからの「待ってました」の掛け声に、とびの親分役の戻ってきた俳優が、「待っていたとはありがてえ」と応じるのが、見せ場である▼喜びを分かち合う場面に、涙を抑えられなかった名優の話も伝わる。客席からの声が、劇の一部になった珍しい演目は、演じる人、見る人どちらも劇場には必要であると物語っているようだ▼この時を待ってました、ありがたい−球場や競技場でプレーする人と見る人が、その思いを分かち合ったのではないか。プロ野球とJリーグの試合に久しぶりに観客が戻ってきた▼拍手や控えめな歓声とどよめき、活躍した選手の表情が、テレビを通じてみても新鮮に思えた。観客不在の間の試合中継は、ボールの音や選手の声が響いてなかなか興味深くもあった。とはいえ、観客の戻った試合を見れば、好プレーも好機やピンチも、応じる拍手などがあってこそと思わされる▼いつもの観戦のかたちに戻るには、慎重さを失ってはならないようである。東京で確認される新型コロナウイルスの感染は日々最多を更新して増えている▼歌舞伎座は来月から再開の予定だ。大向こうの掛け声は当面なしのようだが、俳優もファンも待望の時だろう。「待ってました」は、しばらく心の中で響くことになりそうだ。


今日の筆洗

2020年07月07日 | Weblog
 巨大ロボットがのしのしと歩いている。われわれはその肩の上で生活している。このロボットはいろいろな種類の電力によって動いている▼安価で手に入れやすい「石炭」を使った電力に約三割頼ってきたのだが、これがどうも評判が悪い。「石炭」を使うと、ロボットから地球に悪いオナラが出る。世界中から「やめてよ」といやな顔をされてしまった▼では「原子力」の割合を増やすか。これはこれで安全面に心配があって、世間が許さない。待て、待て、太陽光や風力発電があるじゃないか。残念ながら、少々不安定な上、電気料金が高くなる▼梶山経済産業相が石炭火力発電を二〇三〇年度までに縮小させる方針を表明した。石炭火力発電を縮小し、地球温暖化につながる二酸化炭素の排出を抑制する。国際社会の脱炭素化の流れを見ても必要な選択といえる▼もっとも、「石炭」を減らした後をどうするかという話になると心もとない。不安な「原子力」や値の高い「再生可能エネルギー」の割合を上げるのは容易ではなく、国民、産業界の十分な理解が得られるか。巨大ロボットの立ち往生が心配である。議論を深めたい▼日本は昨年、脱石炭の取り組みが弱いと、温暖化問題に取り組む国際NGOから「化石賞」を頂戴してしまった。口だけの「石炭」縮小に終われば、いよいよ「墓石」が贈られてくるかもしれない。

 


今日の筆洗

2020年07月06日 | Weblog

相手は強い。お前が平幕なら、向こうは横綱だ。しかし、だからこそ勝機がある。向こうは勝って当たり前だからな」。大学の弱小相撲部を描いた映画「シコふんじゃった。」(周防正行監督)。試合を前に選手に声をかける監督のセリフである▼現実の世界では逆転劇はそうは起きない。とりわけ、政治の世界は難しいか。東京都知事選。現職の小池百合子さんが大勝で再選を果たした▼横綱に挑んだライバル候補たちはまとめて土俵の外にうっちゃられた感さえあるが、小池さんに、その大勝が都民からの全幅の信頼の結果と勘違いされては困る▼新型コロナウイルス対応に当たっている小池さんへの不満はある。それでも、都民はこれまでのコロナ対策を大幅に変えることにも慎重でこの段階で小池さんを交代させたくなかったのだろう。言い方は悪いが、コロナという状況が小池さんに有利に働いた▼さて選挙は終わった。今度は小池さんが「平幕」として、強い相手に挑むことになる。無論、相手は憎き「横綱」コロナである。都内での新規感染者が急増するなど事態は深刻である▼情報発信力に定評がある人だが、最近の発言はどうもはっきりしない。正直、状況に手をこまねいている印象もある。かぶとの緒を強く締めていただきたい。コロナとの闘いでは何としても形勢を逆転してもらわなければ困るのである。