バスケの八村塁(はちむらるい)選手が所属するのはワシントン・ウィザーズだが、もともとのチーム名はブレッツ。一九九七年に名称を改めた。銃犯罪や銃社会を想起させるブレッツ(弾丸)の名をやめようという判断でウィザーズ(魔法使い)と少々かわいらしくなった▼同じワシントンが本拠地のアメフトの名門レッドスキンズが一九三三年から使っているチーム名を改めると発表した。日本でいえば野球のジャイアンツが名を変えるぐらいの出来事だろう▼高校、大学、プロを問わず、米国のスポーツチームには先住民(ネーティブアメリカン)に由来する名が多い。勇猛果敢、命知らず。かつての先住民のステレオタイプなイメージをチームの強さとして売りたかったか。だが先住民には不愉快で差別的と映る▼レッドスキンズ(赤い肌)への風当たりは以前から強かったが、先住民への敬意と無視し続けてきた。今回の変更は五月、黒人男性が警官に殺害された事件に端を発した反差別運動のうねりの結果でチームスポンサーの大企業の意向もあり、ようやく変更を決めた▼傷つく人がいる以上、どんなに由緒ある名でもやはり使いたくない。今後、野球のインディアンスやブレーブス(先住民の勇者)も問題になるか▼忘れてはならないのは名を変えただけでは社会は変わらぬことだろう。米国で、「ブレッツ」が消えていないように。
少年が学校から帰り、自分の部屋をガラッと開けると、見知らぬ老人が布団を敷いて昼寝をしていた。不条理芝居の滑り出しみたいだが、実話である。少年の部屋で寝ていたのは歌人の斎藤茂吉。父親が茂吉の結社「アララギ」の会員だった関係から家に寄ったのだろう▼「おお君の部屋を借りたよ」。そう声を掛けられた少年はやがて歌人となり、戦後の短歌界をけん引する。歌人の岡井隆さんが亡くなった。九十二歳。名古屋出身。あの少年である▼大戦後、短歌は危機にあった。敗戦のショックが大きかったのだろう。短歌ではなく別の方向に進まなければ日本は文化的に生き残れないのではないか。日本伝統の短詩型そのものを否
定する意見もあった▼岡井さん、塚本邦雄、寺山修司が担った前衛短歌運動とは短歌滅亡論への疑問と反抗だった。実験的な比喩表現や虚構性。短歌の新たな可能性を模索し続けた。歌壇には「前衛狩り」の風潮もあったが、結果として岡井さんたちの試みは混乱期の短歌を救ったと言える▼<海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ>。かなしき婚とは一九六〇年の日米安保改定だろう。歌の強さ、鋭さは後の世代から見てもまぶしい▼本紙ではコラム「けさのことば」を長く連載していただいた。愉(たの)しみの半面、博識と内容の深さに、同じコラム書きは毎度ため息をついた
現代歌人協会理事長の歌人・栗木京子「短歌の可能性を信じ」
本紙「東京歌壇」選者、東直子さん「常に新しいもの求め」
故郷に帰ってきた青年の紫色の服を見て母親が怒る。「なんておかしな服を着ているの!」「ブルックスに行って良いスーツを何着か買いなさい」。「華麗なるギャツビー」などの米作家フィッツジェラルドのデビュー作「楽園のこちら側」にこんな場面があった▼発表は一九二〇(大正九)年。ブルックスとは一八一八年創業の老舗ファッションブランドの「ブルックスブラザーズ」である▼そんな昔から「ブルックス」さえ着ていればどこへ行っても恥ずかしくないというイメージを勝ち得ていたのだろう。ケネディら多くの歴代米大統領があつらえ、信用第一のビジネスマンがこぞって着たというのも分かる。ジャズファンはその名にマイルス・デイビスのクールなスーツ姿を思い出すだろう▼日本でも六〇年代のアイビールック流行を受けた団塊の世代をはじめ、多くの男性にとって憧れのブランドだったが、最近、経営破綻したと聞いて、驚く▼男性の服装がカジュアル、軽装に向かう時代なのだろう。スーツが売れない。苦戦が続く中で新型コロナウイルスが拡大。外出自粛や在宅勤務でブルックスのスーツが活躍する機会は大きく失われたか▼リンカーン大統領が狙撃されたとき、着ていた服も同社製。日本国内店舗は営業を続けるそうだが、老舗の中の老舗まで倒すコロナという銃弾の恐ろしさにあらためて身構える。
歌舞伎の人気演目「お祭り」は休演していた役者の復帰の舞台にもなることで知られる。大向こうからの「待ってました」の掛け声に、とびの親分役の戻ってきた俳優が、「待っていたとはありがてえ」と応じるのが、見せ場である▼喜びを分かち合う場面に、涙を抑えられなかった名優の話も伝わる。客席からの声が、劇の一部になった珍しい演目は、演じる人、見る人どちらも劇場には必要であると物語っているようだ▼この時を待ってました、ありがたい−球場や競技場でプレーする人と見る人が、その思いを分かち合ったのではないか。プロ野球とJリーグの試合に久しぶりに観客が戻ってきた▼拍手や控えめな歓声とどよめき、活躍した選手の表情が、テレビを通じてみても新鮮に思えた。観客不在の間の試合中継は、ボールの音や選手の声が響いてなかなか興味深くもあった。とはいえ、観客の戻った試合を見れば、好プレーも好機やピンチも、応じる拍手などがあってこそと思わされる▼いつもの観戦のかたちに戻るには、慎重さを失ってはならないようである。東京で確認される新型コロナウイルスの感染は日々最多を更新して増えている▼歌舞伎座は来月から再開の予定だ。大向こうの掛け声は当面なしのようだが、俳優もファンも待望の時だろう。「待ってました」は、しばらく心の中で響くことになりそうだ。
相手は強い。お前が平幕なら、向こうは横綱だ。しかし、だからこそ勝機がある。向こうは勝って当たり前だからな」。大学の弱小相撲部を描いた映画「シコふんじゃった。」(周防正行監督)。試合を前に選手に声をかける監督のセリフである▼現実の世界では逆転劇はそうは起きない。とりわけ、政治の世界は難しいか。東京都知事選。現職の小池百合子さんが大勝で再選を果たした▼横綱に挑んだライバル候補たちはまとめて土俵の外にうっちゃられた感さえあるが、小池さんに、その大勝が都民からの全幅の信頼の結果と勘違いされては困る▼新型コロナウイルス対応に当たっている小池さんへの不満はある。それでも、都民はこれまでのコロナ対策を大幅に変えることにも慎重でこの段階で小池さんを交代させたくなかったのだろう。言い方は悪いが、コロナという状況が小池さんに有利に働いた▼さて選挙は終わった。今度は小池さんが「平幕」として、強い相手に挑むことになる。無論、相手は憎き「横綱」コロナである。都内での新規感染者が急増するなど事態は深刻である▼情報発信力に定評がある人だが、最近の発言はどうもはっきりしない。正直、状況に手をこまねいている印象もある。かぶとの緒を強く締めていただきたい。コロナとの闘いでは何としても形勢を逆転してもらわなければ困るのである。