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今日の筆洗

2017年08月22日 | Weblog

 試合は8-6の接戦だった。七回表から救援投手が登板。ところが制球が定まらぬ。二連続四球に安打、失策が絡み2点を失い、なお満塁。ここで交代となる▼次の投手もボールを連発。二つの四球の後、何とか一死を取るもまた四球。ついには三人目の投手が登場したが、これもひどい。四球、四球、死球、四球、三振、四球、四球…。この回だけで11点。一九五九年四月のアスレチックス-ホワイトソックス戦でもちろん三投手が乱れたア軍が大敗。1安打で11点を失った試合として有名である▼民進党代表選が告示された。水を差す気は毛頭ない。安倍一強の中、ライバル政党の不振は政治から緊張感を失わせる。それでも、三年間で三人目の代表選びと聞けば、不吉なあの試合を連想する。次の投手は大丈夫なのか▼交代で巻き返しを図りたい。それはよく分かる。分かるのだが、このチーム、劣勢になると味方から罵声と非難が飛ぶ。声援、助言はなく「あんな投手じゃだめだ」「交代交代」。見限って勝手に退団する選手までいる▼落ち着かぬチームでは観客は集まらぬ。前原、枝野両氏のどちらが次に登板するにせよ安定した投球でチームをしっかりまとめたい▼本塁打連発で一挙逆転などあり得ぬ。時間がかかっても1点ずつ返していく。それが政権の受け皿としての地力になる。「次の投手」もそろそろ尽きる。


今日の筆洗

2017年08月21日 | Weblog

「この間、南部でレストランに入ったんだ。そしたら白人のウエートレスが飛んできてこう言うんだ。『うちの店じゃ、黒人は食べられないよ』。オレは言い返したよ。『大丈夫、オレは黒人を食べないから』」▼米国では有名なジョーク。誘われるのは爆笑というよりもちょっと引きつった笑いか。発表されたのは黒人差別がなお強い一九六〇年代。この作品をはじめ、差別に対する辛口のジョークで一世を風靡(ふうび)した黒人コメディアンで人権活動家のディック・グレゴリーさんが亡くなった。八十四歳▼米国には黒人の進出を許さぬ、さまざまなカラードバリアーがあったが、グレゴリーさんは六一年、白人相手にスタンダップコメディーを初めて見せた黒人だったと聞く▼その芸は笑いに巧みにまぶした差別への敵意と悲しみである。「黒人の宇宙飛行士が実は大勢いると聞いた。何でも最初の太陽着陸のためだってさ」。自伝の題名は黒人の蔑称である「ニガー」。許せない呼び方にもかかわらず、そう付けたのは「もし、どこかで白人が黒人をそう呼べば、本を宣伝することになる」▼差別や差別する者をちゃかし笑う。その笑いが広がれば世の中は変わる。「よくできたジョークには力がある」。しなやかな武器で、差別と闘った人である▼大統領が白人至上主義者に遠慮する時代。「よくできたジョーク」が聞きたい。 


今日の筆洗

2017年08月20日 | Weblog

 米国の小売店の棚には「雨」があふれているという。洗剤から美容製品まで、「雨」と名のつく商品が、ずらりと並んでいるそうなのだ▼洗濯洗剤は「爽やかな雨」で、柔軟剤は「よみがえる雨」。体を洗うためには「純粋な雨」というせっけんがあり、シャンプーは「白い雨」、男性用の制汗剤は「花崗岩(かこうがん)の雨」で、女性用は「雨にキスされた睡蓮(すいれん)」…と、雨ばかり▼人類と雨のかかわりを描いた『雨の自然誌』(河出書房新社)によると、一九七〇年代までは、米国でも「花」の香りが洗剤などの主流だったが、ここ三十年ほどで「雨」を思わせる香りが人気となった。米国では雨が新鮮なイメージを喚起するからだというが、日本で洗剤のたぐいに「よみがえる雨」と名付けたら、悪い冗談だと思われるだろう▼それにしても、本当に悪い冗談のような空模様。東京都心ではきのうまで連続十九日、仙台では二十九日も雨が記録された。仙台のここ二十日間の日照時間は平年のわずか五分の一だというから、望まれる洗剤の名は、「よみがえる陽光」だろう▼子どもの詩を集めた『ことばのしっぽ』(中央公論新社)を開いたら、山梨県の五歳の子が書いたこんな詩が載っていた。<もしもし/こうふけいさつしょ/ですか/くもをたいほしてください/あめをふらせてこまります>▼くもの容疑は「なつやすみどろぼう」か。


今日の筆洗

2017年08月19日 | Weblog

 二〇〇四年の三月十一日、スペインの首都マドリードの病院の周囲には、長い長い列ができた。人々はいつ自分の番が来るかも分からぬのに、じっと待ち続けた。献血のための行列である▼その日の朝、スペインでは列車を狙った同時爆破テロが起きた。千人近い人々が病院に運ばれ、百九十人余の命が消えていった。自分たちに何かできることはないか。そんな思いに突き動かされた数千人もの市民がすぐさま病院に駆け付け、並び続けたのだ▼翌日は、時折激しく降る雨。だが、スペイン全土で国民の四分の一にあたる一千万人もの人が抗議デモの列に加わり、ある参加者は、こう語ったという。「雨の中、これだけの人が集まったことを見てほしい。言葉はいらない。これが我々の思いだ」▼そのスペインでまた、テロによって血が流された。バルセロナの観光名所に車が突っ込み、百人を超える死傷者を出した▼人々は再び、献血のための列を病院の前でつくっているという。イスラム過激派が犯行声明を出したのを受け、スペインのイスラム教指導者も「罪なき人々の血を流そうとする者に対して、我々は献血で応える」と宣言した▼献血で結ばれた“血の団結”。「自由を愛し、固く結び付いた人々を、テロリストは決して打ち負かすことはできない」とのラホイ首相の言葉に、かの国の人々の毅然(きぜん)とした横顔を思う。 


今日の筆洗

2017年08月18日 | Weblog

 昔話などで、何かに化けて人をだます動物といえば、キツネやタヌキを連想するが、この動物もなかなかの化かし上手らしい。カワウソである▼青森県の津軽地方では生首に化けて川を流れ、漁をする人を驚かせていたという話が残る。宮城県の伝説ではカワウソが大入道に化け、伊達政宗に退治されたそうな。水木しげるさんの『日本妖怪大全』にあった▼まさか人をたぶらかそうと現れたわけではあるまいな。琉球大学の研究チームが長崎県・対馬で野生のカワウソを確認したと発表した。国内で野生のカワウソが確認されたのは一九七九年、高知県で目撃されたニホンカワウソ以来、三十八年ぶりという▼気になるのはカワウソの種。絶滅したはずのニホンカワウソだとすれば対馬で細々と生き残っていたことになるし、ユーラシアカワウソなら、生息する韓国の離島から約五十キロも泳いで対馬にやって来たことになる▼見つかったふんからユーラシアカワウソのDNAが検出されているが、断言はできないらしい。どっちの種でも、キツネではなく、カワウソにつままれたような話である▼カワウソにつままれたとしても人間に叱る資格はなかろう。かつて日本全国に分布していたカワウソは明治以降、毛皮目当ての乱獲と河川の水質悪化などで姿を消していった。昔話と違い、ひどい目にあわせてきたのは人間の方である。



今日の筆洗

2017年08月17日 | Weblog

 全国的にすっきりしない天気が続く。東京では十六日連続の雨だそうで、一九七七(昭和五十二)年の二十二日連続に次ぐ記録という。勝手なもので、こう雨が続くと強烈な太陽が恋しくもなる▼「催(さい)(洒)涙雨(るいう)」。昭和の演歌みたいだが、旧暦七月七日に降る雨をいう。織り姫と牽牛(けんぎゅう)が別れを惜しんだのか、それとも雨で会えなかったか。涙にたとえ、そう呼ぶ▼今年は八月二十八日がその日。「催涙雨」はまだ先とはいえ、どこかそんな気分にもなる。世界ボクシング評議会(WBC)バンタム級タイトルマッチで王者、山中慎介が敗れる。十三回連続防衛の日本記録には届かなかった。山中は涙を流した▼セコンドのタオル投入が早すぎたのではないかという意見を聞くが「たられば」をいえば、切りがない。劣勢を見てタオルを投げたセコンドもおそらく山中と同じ量の涙を流したであろう▼ゴルフの全米プロ選手権。松山英樹は五位に終わる。最終日。一時は首位に立ったが、崩れた。日本男子初のメジャー大会優勝はまたもかなわなかった。松山も泣いていた。その目に光るものに悔しさと背負ったものの大きさを思う▼英語に「ペトリコール」という言葉がある。一言で表現できる日本語はないが、雨が降った後、立ち上ってくる匂いのことだそうだ。夢を追う人間の涙雨。いつか必ずや喜びの匂いを放つと信じる。


今日の筆洗

2017年08月16日 | Weblog

 紙、はさみ、石ではなく、江戸期に蛇、カエル、ナメクジのじゃんけんが流行したのは歌舞伎「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」の大当たりによる。芝居に出てくる大ガマが評判になった影響と聞く。蛇はカエルにカエルはナメクジに勝つ。最も弱そうなナメクジは蛇を溶かし勝つ。三すくみの関係が成立し、じゃんけんとなる▼東京タワーにほど近い、東京都港区の宝珠院。このお寺にその三すくみの蛇、カエル、ナメクジがいる。といっても石像や彫刻でそれぞれが、にらみあっている▼どうも不思議である。「三すくみ」と聞けば、物騒なにらみ合いを思い浮かべ、あまり、ありがたいものには思えぬが、お寺の見方は違うらしい▼三すくみであろうとにらみ合いであろうと物事が動かぬ状態は平和ではないか。そういうお考えである。なるほど。内心ではどう思っていようと動きさえしなければ、最悪の事態には発展しない▼三すくみではないが、にらみ合う米朝にこちらはすくむばかりである。攻撃すれば、待つのは反撃であろう。お寺の「三匹」が意を決しそれぞれに飛びかかったらを想像するまでもない▼ミサイル発射をちらつかせ、強気一辺倒だった北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が十四日、やや軌道修正し「米国の行動を見守る」と発言した。決して楽観はしない。だが、その言葉が、賢き「すくむ」の兆しであることを願う。


今日の筆洗

2017年08月15日 | Weblog

「俘虜記(ふりょき)」などの作家、大岡昇平さんは自分のことを「八月十五日男」だと『成城だより』の中に書いている▼こういう意味だ。八月十五日が近づくと、新聞から終戦記念日に当たっての感想やコメントの依頼が殺到する。したがって「八月十五日男」であり「手頃なマスコミ・フィギュア(人形)と化せしものの如し」▼お書きになったのが一九八二年八月。当時よほどひっぱりだこだったのだろう。困惑はごもっともとはいえ、生身の体験として戦争はいやだときっぱりと語ってくれる「八月十五日男・女」の声がどうしても必要である▼怖かった。痛かった。悲しかった。その声はいかなる反論も戦争の美化も許さぬ現実である。その声は戦いに向かいたがる足をためらわせ続けてきたはずである▼「空襲で弟の手を離してしまった。今でも胸が痛い」「上級生が描いてくれた食べ物図鑑で空腹をまぎらわせた」。最近の新聞の発言欄で読ませていただいた。「八月十五日男・女」の声は今なお健在とはいえ、「戦後生まれ」は総人口の八割を既に超えている。生身の声は、か細く、やがては消えてしまう。戦争に向かう足にすがり、食い止めていた手が失われることになるまいか。それをおそれる▼声を聞く。覚える。真似(まね)でよい、口にする。それならば「八月十五日子ども」や「八月十五日孫」にもできる。声は消えぬ。