水戸黄門こと徳川光圀は、初めてのマツタケ狩りで100本採ったそうだ▼同行者が「なかなか御機嫌よかりし」と日記に残した。水戸藩主を退き隠居してからの話。江戸詰めの藩主にもいくつか贈呈したという▼丹波の篠山藩は毎年恒例の殿様のマツタケ狩りの手順をマニュアル化していた。役人が藩の山林を下見し、多く生えた場所をいくつか見つけておく。当日まで見回り、盗掘を警戒する。藩主が堪能して帰ると、藩主が採って山の休憩場に置かれたマツタケを役人がかごに入れて封印し、担当者がかついで城の台所に運んだ(有岡利幸著『ものと人間の文化史 松茸(まつたけ)』)▼マツタケの季節も終わりが近いようだが、キノコ生産量日本一を誇る長野県で今季、採取に出掛けた人の遭難が相次ぎ、死者・行方不明者は直近6年で最多の8人に達した。痛ましい。マツタケは今年、豊作。山に入る人が増えたことも一因らしい▼採れそうな所を他人に秘し、単独行動する人が目立つ点も懸念される。マツタケは急斜面に出ることも多く、専門家は「たとえマツタケを見つけても、無理しないで」と言う。敵は、大丈夫と思いがちな自分自身か。家臣が事前に見つけてくれる殿様と違い、民は探索で自らを頼むしかないが、自分の身も守らねばならない▼<松茸や人にとらるゝ鼻の先 去来>。悔しくても、無事ならまた食べられる。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます