ワコールの創業者、塚本幸一さんは生前、自らを「生かされた人間」と称していた。戦争で所属した小隊五十五人のうち、生き残ったのは塚本さんら三人だけだったという。生と奇跡が、同じ意味に思える世界であったようだ。インパール作戦である▼待ち受けた英国軍の砲火に圧倒された。退却すると、飢えと病気に襲われる。渡ろうとした橋が、積み重なった戦友の遺体であることに気付きがくぜんとしている。読むのが苦しい記述が塚本さんの自伝には数多い。<生き地獄>で<死ねない苦しみ>を感じた、問題は<死に方だけ>だったともある。戦後は生かされた使命を感じて働くが、悪夢に叫び声をあげる夜は十年続いたそうだ▼嘱望された若者も平凡な夢をえがいていた若者もいただろう。三万人以上が命を失い、生き残った者の心に深い傷を残した戦いだった▼補給が厳しいと分かっていながら、インドの山深くに向け侵攻している。反対意見もあったが、勇ましい言葉が勝つ空気の中、軍の上層部が下した命令だろう▼大戦の中でも痛恨の極みの一つであり、記憶をぜったいに風化させてはならない作戦である。今年七十五年を迎えた。関係者が少なくなる中、先週、インパール近郊に平和資料館が開館したと報じられた▼展示された遺品などが物語っていようか。人は過つ。わずか七十五年前の生き地獄であろう。
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