ある医師が重い病にかかった子どもの往診に向かった。庭に咲いたバラを胸ポケットに入れていった。「きれいだね」。そう言い、子どもに見せた▼「でもこのバラはもう死んでいくんです。枯れて。でもこの花はあなたや私たちを喜ばせてくれる」。人間だって同じではないかと医師は教える。「それでもあなたが病みながらも今ここにいることは、いろいろな意味で人の喜びや楽しみになるんです」。伝えたかったのは精いっぱい生きること。十九世紀後半から二十世紀初めにかけて活躍した内科の権威ウィリアム・オスラー博士の逸話という▼終戦直後。一人の医師がこのオスラー博士の伝記に心を動かされ、思い切った覚悟を決める。医師として人として、博士をお手本に生きる。亡くなった日野原重明さんである。百五歳▼博士が読んだ本は自分でもすべて読む。高齢者や子どもを大切にしていたと聞けば自分も。予防医学や終末期医療の充実など医療分野での功績に加え、豊かな老いを提唱し子どもたちに生きることの大切さを教えるなどの幅広い取り組みはお手本に一歩でも近づきたいという熱のおかげだろう。その熱は終生衰えなかった▼「誰にでも死は必ず来る。しかし死によってその人がいなくなってしまうわけではない」とお書きになっていた▼人を癒やし励ましたバラは枯れた。が、決して消えはしない。
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