作家、登山家の深田久弥は著書『日本百名山』で富士山について「おそらくこれほど多く語られ、歌われ、描かれた山は、世界にもないだろう」と書いている▼老いも若きも男も女も、あらゆる階級、職業の人々が登る。子どもの時から富士の歌を歌う▼どんな山にも一癖あるものだが、富士は東西南北どこから見ても美しく整っており、ただ単純で大きいとして深田はそれを「偉大なる通俗」と呼んだ。大きな単純は万人向きで、何人をも拒まぬ代わりに何人も究極の真理をつかみあぐねる。幼い子も富士の絵を描くが、その真の表現には画壇の巨匠もてこずる▼本来は万人を拒まぬ山だが、安全のためには制限もやむを得ないのだろう。静岡県が、条例による登山の規制や入山料(通行料)徴収を来年の夏山シーズンから導入することを検討している▼今年の夏山シーズンは終わったが、山梨県が通行料徴収や夜間の入山制限などを始めたところ、夜通しで一気に登頂する「弾丸登山」が減ったそうだ。これら無理な登山は外国人観光客らにみられるが、遭難にもつながる。静岡が足並みをそろえるのも自然な成り行きだろう▼深田はこうも書いた。「富士山は万人の摂取に任せて、しかも何者にも許さない何物かをそなえて、永久に大きくそびえている」。何者にも許さない何物かをそなえた厳しい山である。なめてはいけない。
「縄文杉」をはじめ樹齢数千年の屋久杉が生きる鹿児島県の屋久島。山は深く、木の精「山和郎(わろ)」の話が語り継がれているという▼昔、木を探しに2人が山に入った。昼食休憩中、近くに巨木を見つけ「たんすにすれば立派なもんができるじゃろうなあ」と言うと急にゴッシン、ゴッシンと、のこでその木をひく音がしだしたそうな▼2人が顔を見合わせていると、次にバリバリバリと巨木が倒れる音がしたが、それは立ったまま。2人は青ざめ、またゴッシン、ゴッシンなどと聞こえ始めたため逃げ帰ったという。音で怖がらせ、切ってくれるなと訴えたのか。『屋久島の民話 第一集』(未来社)で読んだ▼台風10号の接近で強い風が吹いた屋久島で推定樹齢3千年の「弥生杉」が倒れた。高さ約26メートル、幹回り約8メートルの巨木。根元近くから約1・5メートル残して折れたという。山和郎が木を守ろうとしても、自然の強烈な破壊力の前には、なすすべがなかったか。観光地の「白谷雲水峡」にあり、登山経験の少ない人でも見に行きやすい木だったという。地元の人たちの落胆を思う▼屋久杉が長寿なのは、花こう岩の地に育つせいだという。栄養が乏しいために成長はゆっくり。年輪が密となり、樹脂も多くなって腐りにくく、長生きするという▼逆境ゆえの大器晩成とは立派。弥生杉の頑張りをたたえる言葉を山和郎にかけたくなる。
車いすラグビーの国際的スター、オーストラリアのクリス・ボンド選手がこの競技についてこんなことを語っている▼「車いすに乗っている人に対し、人々はこんな先入観を持っている。優しく包み込んであげなきゃ、彼らはか弱いのだから」。ボンド選手は言う。この先入観に挑戦しているのが車いすラグビーなのだと▼パリ・パラリンピックの車いすラグビーの決勝で日本は米国を逆転で破り、初の金メダルに輝いた。快挙である。世界ランク1位、オーストラリアの猛攻を堅守で防ぎきった準決勝も忘れられぬ▼車いすへのタックルが認められており、パラ競技の中で最も激しいボディーコンタクトの起こるゲームだろう。車いすが大きな音をたててぶつかる。ひっくり返る。またの名を「マーダーボール」(殺人球技)。恐怖さえ感じる荒々しいゲームを見ればこれがパラ競技であることを忘れるだろう。そして人間の強さをあらためて思う▼「選手それぞれに輝ける場面がある」。逆転のトライを決めた橋本勝也選手が語っていた。障害の重い選手は相手の攻撃を防ぎ、味方のために壁となり、トライへの道をつくる。男女混成で女性選手も巨体選手にぶつかっていく▼自分には何ができるか。それぞれができることを持ち寄り、考え、ひとつとなって勝利を目指す。この調和の競技での日本の「金」がうれしい。お見事。