マスコミ倫理懇談会全国協議会で、【平木正洋・最高裁刑事局総括参事官が裁判員制度に向け「事件の容疑者の自白や前科、生い立ちなどを伝える報道は、裁判員となる市民に予断や偏見を与える」として懸念を表明し、報道機関側での論議を求めた】ことが伝えられている(※1)。これに対し、【参加した編集責任者や記者らからは「事件報道は社会のリスク情報であり、指摘された七点はその重要な要素だ」などと反発する意見が相次いだ】という(※1)。
皆さんはこの議論を聞いてどう感じただろうか?
私は、議論が問題の本質をとらえていないように思った。一番の問題は、自白をしたという報道の情報源は警察・検察であり、自白をしてもいないのに、自白をしたなどといって被疑者を「自白」させる手段として使われる可能性があること、そしてそれを許すのは、取り調べが録画・録音されていないことが原因だということだ。
つまり、いまの自白報道は、①まったく自白していないケース、②自白はしているが、警察に強制されているケースなどがかなりの数含まれているということだ。
この問題を放置しておいて、「予断を招くから、自白は報道するな」という最高裁刑事局総括参事官もおかしければ、警察のリーク情報を垂れ流しておいて、「事件報道は社会のリスク情報である」と胸をはるマスコミ側もおかしい。
いかに多くの人が警察の横暴な取り調べに泣かされ、それが報道されたことで大きな痛手を負っているか、その根本的な解決策は何なのか、そこから目を背けている議論をしても仕方がない。
まずは、可視化の問題を最高裁もメディアも大きく取り上げ、本気で可視化を実現させることを優先しろ、と言いたい。
そのうえで、今回の議論についてもう少し考えてみたい。最高裁刑事局総括参事官は、正確には、【「最高裁としての考えではなく個人的な意見」と断った上、懸念する事件報道として自白など三点(ヤメ蚊注:自白、前科、生い立ち)のほか(1)捜査機関から得た情報を確定した事実のように伝える記事(2)容疑者の弁解の不合理性を指摘する記事(3)捜査機関側の証拠を報じる記事(4)有罪前提の有識者コメント-を挙げた】(※1)という。
これまでの報道のあり方を根本から問い直す見解だ。しかし、裁判所の判断までは無罪が推定されるという原則から言えば、このような見解もあり得よう。
他方で、調査報道、つまり、メディアが巨悪に挑み、関係者が罪を認めたようなケースについてまで、「自白」報道禁止の影響で筆が曲げられてしまうようことはあってはならない。
結論からいうと、警察が関与している事件報道から自ら調査し社会問題をえぐり出す調査報道へ比重をずらすことが求められていると思う。警察が犯人と思われる人を逮捕したことをそんなに大きく取り上げるべきだろうか…。むしろ、警察が手を出していない社会的な問題を独自の調査で発掘し、報道すること、これこそが望ましい報道だと思う。
しかし、これを実現するのはなかなか、困難だ。中立的な立場で特ダネを評価する機関がなく、メディアとして調査報道に取り組む動機が少ないのだ。
一度、ここのブログで試みた各社の特ダネニュースのランキングをより注目を浴びる方法で実現することができればちょっとは状況が変わるかもしれない…。
まぁ、何にせよ、まずは、取り調べの全過程の録音・録画を実現させるよう、最高裁とメディアに頑張ってもらいたい!
※1:http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007092802052145.html
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしていましたが(あまり実行できなかったが…)、辞任したので中止します(ここ←クリック)。
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私は、議論が問題の本質をとらえていないように思った。一番の問題は、自白をしたという報道の情報源は警察・検察であり、自白をしてもいないのに、自白をしたなどといって被疑者を「自白」させる手段として使われる可能性があること、そしてそれを許すのは、取り調べが録画・録音されていないことが原因だということだ。
つまり、いまの自白報道は、①まったく自白していないケース、②自白はしているが、警察に強制されているケースなどがかなりの数含まれているということだ。
この問題を放置しておいて、「予断を招くから、自白は報道するな」という最高裁刑事局総括参事官もおかしければ、警察のリーク情報を垂れ流しておいて、「事件報道は社会のリスク情報である」と胸をはるマスコミ側もおかしい。
いかに多くの人が警察の横暴な取り調べに泣かされ、それが報道されたことで大きな痛手を負っているか、その根本的な解決策は何なのか、そこから目を背けている議論をしても仕方がない。
まずは、可視化の問題を最高裁もメディアも大きく取り上げ、本気で可視化を実現させることを優先しろ、と言いたい。
そのうえで、今回の議論についてもう少し考えてみたい。最高裁刑事局総括参事官は、正確には、【「最高裁としての考えではなく個人的な意見」と断った上、懸念する事件報道として自白など三点(ヤメ蚊注:自白、前科、生い立ち)のほか(1)捜査機関から得た情報を確定した事実のように伝える記事(2)容疑者の弁解の不合理性を指摘する記事(3)捜査機関側の証拠を報じる記事(4)有罪前提の有識者コメント-を挙げた】(※1)という。
これまでの報道のあり方を根本から問い直す見解だ。しかし、裁判所の判断までは無罪が推定されるという原則から言えば、このような見解もあり得よう。
他方で、調査報道、つまり、メディアが巨悪に挑み、関係者が罪を認めたようなケースについてまで、「自白」報道禁止の影響で筆が曲げられてしまうようことはあってはならない。
結論からいうと、警察が関与している事件報道から自ら調査し社会問題をえぐり出す調査報道へ比重をずらすことが求められていると思う。警察が犯人と思われる人を逮捕したことをそんなに大きく取り上げるべきだろうか…。むしろ、警察が手を出していない社会的な問題を独自の調査で発掘し、報道すること、これこそが望ましい報道だと思う。
しかし、これを実現するのはなかなか、困難だ。中立的な立場で特ダネを評価する機関がなく、メディアとして調査報道に取り組む動機が少ないのだ。
一度、ここのブログで試みた各社の特ダネニュースのランキングをより注目を浴びる方法で実現することができればちょっとは状況が変わるかもしれない…。
まぁ、何にせよ、まずは、取り調べの全過程の録音・録画を実現させるよう、最高裁とメディアに頑張ってもらいたい!
※1:http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007092802052145.html
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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当初、「逮捕前のTVインタビューに答える映像は裁判の証拠に不適当」と判例が出てましたが、アッと言う間に、今や「証拠として通用」するのが常態になってしまいました。
って、和歌山カレー事件の前後の話ですが。
だから、もしも今油断してると、何時の間にか意外と早くに、ホンの10分の端切れ映像が、裁判の証拠になり兼ねないです。
「懸念」は盛大に伝えるべきでしょう。
大手のマスメディアには、調査報道やったことないので、ノウハウがない。
記者クラブに入っていないメディアに期待したいところですが、なかなか大変でしょう。