【取り調べ検事は「否認を続ければ裁判で私生活を攻撃して家族を徹底的に苦しめてやる」との発言を繰り返した】、【取り調べをした警察官は「否認を続ければ長期の勾留となり小菅に移送される」、「否認して裁判になれば必ずマスコミの餌食になる」と繰り返した】、【「こんな所にいないですぐ仕事をして欲しいんだ」、「日本はいま大事な時期だから、こんなことに時間かけてはだめだ。大事な仕事を早くして欲しいんですよ」と繰り返し、犯罪を認めることを迫り続けた】…新刊「知られざる真実-勾留地にて-」で、ミラーマンと揶揄された植草一秀氏が2回目に逮捕されたときの状況について述べた記述である。
2004年に逮捕されたいわゆる手鏡事件(1回目の逮捕)で、彼を有罪とした証拠は、目撃した警察官の証言だけだった。もし、防犯ビデオに残された映像があったら、彼の無罪は立証できたかも知れない。いや、逆にいえば、もし、彼が犯行を行っていたとしたら、防犯ビデオの映像さえあれば、警察官の証言など不要であった。なぜ、起訴した検察側は、防犯ビデオを証拠として提出しなかったのか…。
私自身の経験でも、無罪ではないかと思う事件で、決定的な客観証拠となるはずのものが提出されないことは多い。しっかりと写っている防犯ビデオなどは、きっちりと証拠として提出されることが多いのに、なぜ、検察・警察に不都合なビデオはまったく提出されないのか。
いいですか。ここがポイントです。一般的に考えれば、起訴された被告人の供述を一部裏付け、一部は裏付けないような証拠価値として中途半端なビデオが提出されてもいいはずです。そうでしょう。実際に事件を行ってはいるものの無理に否認している被告人がいたとして、そういう被告人たちはいつも100%嘘をいうとは限らない。だから、裁判所で微妙な判断をしなければならないようなビデオが提出されることもあるはずだ…しかし、そんな中途半端な証拠が提出されたことは聞かない。
検察官は100%有罪の確信(ここにはでっち上げの場合も含む。つまり有罪にできるという確信)がなければ、起訴しない。したがって、中途半端な証拠が提出されることはないのだ。
中途半端な証拠がある場合、検察官は、起訴をしない途を選択するか、もしくは、証拠を提出しない途を選択する。つまり、その証拠がなくても有罪にできるか?…と検討し、有罪にできるとの確信があれば起訴するし、確信がなければ起訴しないわけだ。
では、「無罪・有罪を立証すると思われるはずだと思われる証拠がない」という報告が警察から上がってきた場合、検察官はどうするか?これも同じことだ。ないなりに、有罪にできる確信があるならば起訴するし、確信がないならば起訴しない。
いいですか、本来、決定的な証拠となるべきものがあるはずなのに警察官がないと報告した場合、検察官は、強く「冤罪」を疑わなければならないのにそういう構造にはなっていない…。
では、国策捜査の場合、つまり、検察官が本来、無罪もしくは起訴するほどのことではないと知りつつも、何らかの理由で起訴しなければならない場合、検察官は、無罪を立証する証拠があったとしたら、どうするだろうか…。あなたがその立場にいたら、どうしますか?私がその立場なら、その証拠を法廷に提出しない方法を選択するだろう。そして、私は、きっとこう自分を納得させる。
「こいつが犯人であることはほかの証拠から間違いない。たまたまこの証拠はこいつが犯人ではないかのようにも伺わせるが、この証拠が正しいとしても、●●というように考えれば、犯人であることとこの証拠は矛盾しない。●●であることを裁判官に理解させるのはやっかいだから、この証拠を出すのはやめておこう。もともと、この証拠がなかったと考えれば、別に問題はない。証拠がないことはよくあることだ」
植草氏は、2004年4月11日、逮捕された日から3日後、防犯ビデオのことに気付いた。彼は、裁判官、弁護士、取調警察官、担当検事に、防犯ビデオで無罪と立証できるはずだと訴え続けた。
ところが、4月20日ころ、取調警察官が、品川駅の防犯カメラ映像の保存期間を超えて記録が残っていないと告げたという。最初の訴えから10日も経過してから「保存期間を超えた」と説明したのはなぜなのか…。
この第一事件で、警察官が植草氏を本当に犯罪を実行したと考えるならば、必ず、防犯ビデオをチェックしているはずだ。それこそが、本件での有罪立証の「決定的証拠」だからだ。それにもかかわらず、本件で防犯ビデオが提出されていないのはなぜなのか?
逆にもし、警察官が防犯ビデオを最初からチェックしていないとすれば、警察官が無罪であることを知りつつ、防犯ビデオが抹消されるのを待っていたということになるはずだ。
つまり、いずれにせよ、防犯ビデオが提出されていないことだけをもっても、植草氏は無罪とされるべきだったのだ。
残念ながら、植草氏は、控訴審で争うことを断念した。いや、彼の表現に従うならば、「拒絶」した。
この「控訴拒絶」に関するわずか「15行」の記載で、「知られざる真実-勾留地にて-」は結ばれている。彼は言う。
「時間を費やして積み上げた膨大な証拠は完全に無視された。警官証言は二転三転し、証言の矛盾は明らかだった。しかし、判決は素通りした」
「最初から判決は決まっていたのだと思った。私は有罪判決が下れば控訴する予定だったが、判決の詳細を知り、方針を変更した。このような裁判なら、裁判を継続するのは時間と労力の無駄だ。結論は最初に決定されている。事件も作られたものだと思った。メディアは権力と連携して攻撃を続ける。報道被害から身を守ることも考えなければならない」
「控訴『断念』ではなく、控訴を『拒絶』した」…
彼がわざわざ、わずか15行の「控訴拒絶」の項目を一番最後に書いたのは、決定的な意味があると思う。
私たち刑事裁判に携わる者は、彼のこの痛烈なメッセージを受け止め、彼のような目に遭う人が出てこないように、
①起訴されるまでの逮捕・勾留期間合計23日間という起訴前の長期身柄期間を短縮する
②取調過程を完全に録画する
③捜査側手持ち証拠を全面開示する(もし、開示していないことが判明したら、それだけで手続は終了し、無罪とする)
ことを実現させるよう全力を挙げなければならない。
そして、これら3つのことは、真実を解明するにあたって、何ら、妨げになることではない。これらの実現に反対する警察・検察側こそが真実解明を妨げているといってよいのだ。これら3つのことが定められることで、かえって、警察・検察が変な国策捜査に関与させられることを防ぎ、真っ当な正義感を貫くことができるはずだ。
ぜひ、植草氏の著作を一読されることをお薦めします。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしています(ここ←参照下さい)。
2004年に逮捕されたいわゆる手鏡事件(1回目の逮捕)で、彼を有罪とした証拠は、目撃した警察官の証言だけだった。もし、防犯ビデオに残された映像があったら、彼の無罪は立証できたかも知れない。いや、逆にいえば、もし、彼が犯行を行っていたとしたら、防犯ビデオの映像さえあれば、警察官の証言など不要であった。なぜ、起訴した検察側は、防犯ビデオを証拠として提出しなかったのか…。
私自身の経験でも、無罪ではないかと思う事件で、決定的な客観証拠となるはずのものが提出されないことは多い。しっかりと写っている防犯ビデオなどは、きっちりと証拠として提出されることが多いのに、なぜ、検察・警察に不都合なビデオはまったく提出されないのか。
いいですか。ここがポイントです。一般的に考えれば、起訴された被告人の供述を一部裏付け、一部は裏付けないような証拠価値として中途半端なビデオが提出されてもいいはずです。そうでしょう。実際に事件を行ってはいるものの無理に否認している被告人がいたとして、そういう被告人たちはいつも100%嘘をいうとは限らない。だから、裁判所で微妙な判断をしなければならないようなビデオが提出されることもあるはずだ…しかし、そんな中途半端な証拠が提出されたことは聞かない。
検察官は100%有罪の確信(ここにはでっち上げの場合も含む。つまり有罪にできるという確信)がなければ、起訴しない。したがって、中途半端な証拠が提出されることはないのだ。
中途半端な証拠がある場合、検察官は、起訴をしない途を選択するか、もしくは、証拠を提出しない途を選択する。つまり、その証拠がなくても有罪にできるか?…と検討し、有罪にできるとの確信があれば起訴するし、確信がなければ起訴しないわけだ。
では、「無罪・有罪を立証すると思われるはずだと思われる証拠がない」という報告が警察から上がってきた場合、検察官はどうするか?これも同じことだ。ないなりに、有罪にできる確信があるならば起訴するし、確信がないならば起訴しない。
いいですか、本来、決定的な証拠となるべきものがあるはずなのに警察官がないと報告した場合、検察官は、強く「冤罪」を疑わなければならないのにそういう構造にはなっていない…。
では、国策捜査の場合、つまり、検察官が本来、無罪もしくは起訴するほどのことではないと知りつつも、何らかの理由で起訴しなければならない場合、検察官は、無罪を立証する証拠があったとしたら、どうするだろうか…。あなたがその立場にいたら、どうしますか?私がその立場なら、その証拠を法廷に提出しない方法を選択するだろう。そして、私は、きっとこう自分を納得させる。
「こいつが犯人であることはほかの証拠から間違いない。たまたまこの証拠はこいつが犯人ではないかのようにも伺わせるが、この証拠が正しいとしても、●●というように考えれば、犯人であることとこの証拠は矛盾しない。●●であることを裁判官に理解させるのはやっかいだから、この証拠を出すのはやめておこう。もともと、この証拠がなかったと考えれば、別に問題はない。証拠がないことはよくあることだ」
植草氏は、2004年4月11日、逮捕された日から3日後、防犯ビデオのことに気付いた。彼は、裁判官、弁護士、取調警察官、担当検事に、防犯ビデオで無罪と立証できるはずだと訴え続けた。
ところが、4月20日ころ、取調警察官が、品川駅の防犯カメラ映像の保存期間を超えて記録が残っていないと告げたという。最初の訴えから10日も経過してから「保存期間を超えた」と説明したのはなぜなのか…。
この第一事件で、警察官が植草氏を本当に犯罪を実行したと考えるならば、必ず、防犯ビデオをチェックしているはずだ。それこそが、本件での有罪立証の「決定的証拠」だからだ。それにもかかわらず、本件で防犯ビデオが提出されていないのはなぜなのか?
逆にもし、警察官が防犯ビデオを最初からチェックしていないとすれば、警察官が無罪であることを知りつつ、防犯ビデオが抹消されるのを待っていたということになるはずだ。
つまり、いずれにせよ、防犯ビデオが提出されていないことだけをもっても、植草氏は無罪とされるべきだったのだ。
残念ながら、植草氏は、控訴審で争うことを断念した。いや、彼の表現に従うならば、「拒絶」した。
この「控訴拒絶」に関するわずか「15行」の記載で、「知られざる真実-勾留地にて-」は結ばれている。彼は言う。
「時間を費やして積み上げた膨大な証拠は完全に無視された。警官証言は二転三転し、証言の矛盾は明らかだった。しかし、判決は素通りした」
「最初から判決は決まっていたのだと思った。私は有罪判決が下れば控訴する予定だったが、判決の詳細を知り、方針を変更した。このような裁判なら、裁判を継続するのは時間と労力の無駄だ。結論は最初に決定されている。事件も作られたものだと思った。メディアは権力と連携して攻撃を続ける。報道被害から身を守ることも考えなければならない」
「控訴『断念』ではなく、控訴を『拒絶』した」…
彼がわざわざ、わずか15行の「控訴拒絶」の項目を一番最後に書いたのは、決定的な意味があると思う。
私たち刑事裁判に携わる者は、彼のこの痛烈なメッセージを受け止め、彼のような目に遭う人が出てこないように、
①起訴されるまでの逮捕・勾留期間合計23日間という起訴前の長期身柄期間を短縮する
②取調過程を完全に録画する
③捜査側手持ち証拠を全面開示する(もし、開示していないことが判明したら、それだけで手続は終了し、無罪とする)
ことを実現させるよう全力を挙げなければならない。
そして、これら3つのことは、真実を解明するにあたって、何ら、妨げになることではない。これらの実現に反対する警察・検察側こそが真実解明を妨げているといってよいのだ。これら3つのことが定められることで、かえって、警察・検察が変な国策捜査に関与させられることを防ぎ、真っ当な正義感を貫くことができるはずだ。
ぜひ、植草氏の著作を一読されることをお薦めします。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
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国民が知る絶好の機会、国会で小泉、竹中検察関係者を喚問し、事の真意を調査しましょう。
植草一秀氏を応援するブログの管理人ゆうたまと申します。
このたび、最終弁論要旨(傍聴した方によるメモ)をUPしましたのでよろしければ一度ご覧ください。http://yuutama1.blog.shinobi.jp/
なお、スリーネーションズリサーチ(株)のHPには植草氏の意見陳述がUPされていました。
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2007/08/post_84c9.html
最高検がずさん捜査認める報告書と植草一秀著「知られざる真実」との関係 - 憲法と教育基本法を守り続けよう。 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/23312619.html
中日新聞:冤罪防止 反省てこに基本見直せ:社説(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007081402040826.html
しかし、幾らキック・バックがあるにせよ、よくもソコまで自分の国を売れたモンですねぇ!
常ながら、売国奴の気持ちは判りません!そこまで社外取締役に米国人を迎えて、日本の円を吸い込ませたい!ってのが。
ま、沖縄密約の「情を通じ」以来、性犯罪系にすると都合イイってな、験担ぎですかね?公安の。
システムによる権力の濫用防止の大切さについて、あまりに、日本の市民は軽視してきた…これが問題なのです。
痴漢と政治犯罪者を一緒にしないでよ
私は幸いにコネがあったので即時釈放されたが,勤めていた役所は見事にクビに.とりあえず中国へ亡命しようとしたが,旅券もビザも出ない.私は無理矢理に日本へ閉じこめられるはめとなってしまったのである.あとで考えると香港経由とかで中国へ逃げられたのだが,病気になり人民解放軍への就職もだめに…….何となく,植草くんと自分の過去とが,重なりあってしまうのです.
「一秀くんの同級生のブログ」管理人の”ひらりん”と申します。
TBしていただきありがとうございます。
植草氏の著作から、裁判に関する部分を専門家の目から解説していただき、心強く思いました。
アマゾンにも素晴らしい書評をお書きになっておられるのを拝見いたしましたよ。
今後とも、よろしくお願いいたします。
私達は、「真実の声」を自分の耳、目でしっかりと
知るべきであるし、知らなければならないと思います。
私が最近読んだ、「反転」
元特捜検事 弁護士 田中森一 の中にも、
検察の内部が詳細に書かれています。
植草氏の著作とともに、読まれる事をお勧めしたいです。