総務省は、「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」(座長:堀部政男 一橋大学名誉教授)において取りまとめられた標記「中間取りまとめ」について、平成19年(2007年)6月20日(水)から同年7月20日(金)までの間、市民から意見を募集している(ここ←クリック)。中間取りまとめによれば、研究会は、放送法に基づく規律の枠組みをインターネットに持ち込むことを考えているようだ。(その2、その3、その4←クリック)
しかし、放送法の規律はあくまでも電波が限られていることから、公共財産である電波をいかに利用するかという観点から、総務省の免許権限のもと、定められている(そもそも、総務省が免許権限を持っていることと自体に問題があることはここなどで指摘したとおりだしお、さらに放送法が改悪されようとしていることもここで指摘したとおりです)。
それに対し、インターネットはそのような資源の有限性という問題はない。したがって、新聞や雑誌と同じように、一定の官庁による監督は受けず、違法の問題は裁判所による判断に委ねるのが原則であるべきである。
それにもかかわらず、この中間とりまとめは、
【通信コンテンツと憲法上の「表現の自由」との関係では、表現活動の価値をも勘案した衡量の結果として違法として分類されたコンテンツの流通は、表現の自由の保障の範囲外であり、規律することに問題はない。また、有害コンテンツ流通に対する規制も、有害図書に関する青少年保護条例による認定基準が最高裁で合憲とされていることを踏まえれば、規律の対象とする余地はあると考えられる】(中間取りまとめ7頁)
と裁判所の判断結果を利用して、行政による規律を設けようとしているようだ。
しかも、
【放送は、多様な情報を迅速に提供する有用な手段として現代社会において特別の役割を担ってきた。具体的には、健全な民主主義の発達に資する言論報道機関としての機能、地域住民の生活に必要不可欠な情報提供や、多様化する国民のニーズに応じた豊かで良質な各種番組の提供など、様々な公共的役割が挙げられる】
として、放送の役割の重要性を指摘しつつ、
【技術革新により伝統的な「放送」概念が変容しつつあるとしても、このような役割自体の社会的重要性が失われるわけではなく、その意味において「放送」の規律の枠組みはメディアコンテンツ規律の基準として成り立ちうると考えられる】
としており、役割が重要だから規制すると言っているようなのだ。
【多様な情報を迅速に提供する】役割を果たすためには、政府による規制は受けない方がいいはずだ。戦前の日本のファシズム化をみれば、情報が政府による規制を受けることの危険性は明白だ(一例はここ)。
それにもかかわらず、中間とりまとめは、
【以上を踏まえ、成熟した規律体系である放送法制を基本として、「必要最低限のルールを自律原則とともに保障し、表現の自由を確保する」という理念を堅持しつつ、情報の自由な流通を確保する観点から、社会的機能及び社会的影響力に重点を置いて、技術中立的にコンテンツ規律体系を一元的に再構築し、安全・安心なユビキタスネット社会の構築に向けた環境整備を図ることが適当である】
と安易に政府による規制に走り、
【「公然性を有する通信」を「公然通信(仮称)」として違法・有害コンテンツ流通対応を制度化することを検討すべきである】
と結論づけている。
ここでいう公然通信とは、ブログやHPのことを指すと思われる。つまり、ブログやHPに対し、内容規制をかけようとしているわけだ。
具体的には、中間とりまとめは、
【違法・有害コンテンツ流通に係る最低限の配慮事項として、関係者全般が遵守すべき「共通ルール」の基本部分を規定し、ISP(Internet Service Provider:インターネット接続サービス提供事業者)や業界団体による削除やレイティング設定等の対応指針を作成する際の法的根拠とすべきである。】
としている。
これは一見自主規制の提言であり、許容できるようにも思えるが、現在も放送行政を政府が直接握っている「表現の自由後進国日本」においては、政府主導の自主規制となる可能性が大きい。
安易な政府主導の規制がHPやブログに及んだ場合、政府をきちんと監視しようとするような言論は規制される可能性が大きい。
現に、放送行政の世界では、さまざま行政指導がなされている。その行政指導には、政府を批判する言論に対してだけ行われるわけではなく、もっと広く指導されるため、反政府的言論の封殺という一面が表に出にくくなっているが、政府の狙いがそこにあるのは言うまでもない(例えば、安倍人形に対する指導は、宮里順位問題に対する指導などに紛らせている)。あるある問題をあそこまで徹底的に叩いた理由はそこにある。「納豆でやせる」という言論と「原爆投下はしょうがない」という言論とどちらが市民にとって危険なものかは明らかなのに、政府は、前者に対しては厳しく望み、後者に対しては許容しようとした…。
少し脱線したが、中間取りまとめに対するパブリックコメントの提出期限は、7月20日、もう2週間ほどだ。
インターネットユーザー1人ひとりに関わる問題であり、より多くの方が、インターネット上の表現の自由を守る方向で、意見を述べる必要がある。いつの間にか、あなたのHPやブログが、【ISP(Internet Service Provider:インターネット接続サービス提供事業者)や業界団体による削除】の対象とならないようにするためにも…。まずは、1人でも多くのインターネット利用者にこのパブコメのことを伝えて下さい!
一時、自民党によって「青少年社会環境対策基本法案」なるものが制定されようとした。このとき、マスメディアは自分たちのことであったため、ここなどのように反対運動を重ね、自主規制的規制をつぶしたことがある。
今回は、マスメディアは動かないかもしれない。インターネットユーザーの底力が試されていると言ってもよい。頑張りましょう!
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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しかし、放送法の規律はあくまでも電波が限られていることから、公共財産である電波をいかに利用するかという観点から、総務省の免許権限のもと、定められている(そもそも、総務省が免許権限を持っていることと自体に問題があることはここなどで指摘したとおりだしお、さらに放送法が改悪されようとしていることもここで指摘したとおりです)。
それに対し、インターネットはそのような資源の有限性という問題はない。したがって、新聞や雑誌と同じように、一定の官庁による監督は受けず、違法の問題は裁判所による判断に委ねるのが原則であるべきである。
それにもかかわらず、この中間とりまとめは、
【通信コンテンツと憲法上の「表現の自由」との関係では、表現活動の価値をも勘案した衡量の結果として違法として分類されたコンテンツの流通は、表現の自由の保障の範囲外であり、規律することに問題はない。また、有害コンテンツ流通に対する規制も、有害図書に関する青少年保護条例による認定基準が最高裁で合憲とされていることを踏まえれば、規律の対象とする余地はあると考えられる】(中間取りまとめ7頁)
と裁判所の判断結果を利用して、行政による規律を設けようとしているようだ。
しかも、
【放送は、多様な情報を迅速に提供する有用な手段として現代社会において特別の役割を担ってきた。具体的には、健全な民主主義の発達に資する言論報道機関としての機能、地域住民の生活に必要不可欠な情報提供や、多様化する国民のニーズに応じた豊かで良質な各種番組の提供など、様々な公共的役割が挙げられる】
として、放送の役割の重要性を指摘しつつ、
【技術革新により伝統的な「放送」概念が変容しつつあるとしても、このような役割自体の社会的重要性が失われるわけではなく、その意味において「放送」の規律の枠組みはメディアコンテンツ規律の基準として成り立ちうると考えられる】
としており、役割が重要だから規制すると言っているようなのだ。
【多様な情報を迅速に提供する】役割を果たすためには、政府による規制は受けない方がいいはずだ。戦前の日本のファシズム化をみれば、情報が政府による規制を受けることの危険性は明白だ(一例はここ)。
それにもかかわらず、中間とりまとめは、
【以上を踏まえ、成熟した規律体系である放送法制を基本として、「必要最低限のルールを自律原則とともに保障し、表現の自由を確保する」という理念を堅持しつつ、情報の自由な流通を確保する観点から、社会的機能及び社会的影響力に重点を置いて、技術中立的にコンテンツ規律体系を一元的に再構築し、安全・安心なユビキタスネット社会の構築に向けた環境整備を図ることが適当である】
と安易に政府による規制に走り、
【「公然性を有する通信」を「公然通信(仮称)」として違法・有害コンテンツ流通対応を制度化することを検討すべきである】
と結論づけている。
ここでいう公然通信とは、ブログやHPのことを指すと思われる。つまり、ブログやHPに対し、内容規制をかけようとしているわけだ。
具体的には、中間とりまとめは、
【違法・有害コンテンツ流通に係る最低限の配慮事項として、関係者全般が遵守すべき「共通ルール」の基本部分を規定し、ISP(Internet Service Provider:インターネット接続サービス提供事業者)や業界団体による削除やレイティング設定等の対応指針を作成する際の法的根拠とすべきである。】
としている。
これは一見自主規制の提言であり、許容できるようにも思えるが、現在も放送行政を政府が直接握っている「表現の自由後進国日本」においては、政府主導の自主規制となる可能性が大きい。
安易な政府主導の規制がHPやブログに及んだ場合、政府をきちんと監視しようとするような言論は規制される可能性が大きい。
現に、放送行政の世界では、さまざま行政指導がなされている。その行政指導には、政府を批判する言論に対してだけ行われるわけではなく、もっと広く指導されるため、反政府的言論の封殺という一面が表に出にくくなっているが、政府の狙いがそこにあるのは言うまでもない(例えば、安倍人形に対する指導は、宮里順位問題に対する指導などに紛らせている)。あるある問題をあそこまで徹底的に叩いた理由はそこにある。「納豆でやせる」という言論と「原爆投下はしょうがない」という言論とどちらが市民にとって危険なものかは明らかなのに、政府は、前者に対しては厳しく望み、後者に対しては許容しようとした…。
少し脱線したが、中間取りまとめに対するパブリックコメントの提出期限は、7月20日、もう2週間ほどだ。
インターネットユーザー1人ひとりに関わる問題であり、より多くの方が、インターネット上の表現の自由を守る方向で、意見を述べる必要がある。いつの間にか、あなたのHPやブログが、【ISP(Internet Service Provider:インターネット接続サービス提供事業者)や業界団体による削除】の対象とならないようにするためにも…。まずは、1人でも多くのインターネット利用者にこのパブコメのことを伝えて下さい!
一時、自民党によって「青少年社会環境対策基本法案」なるものが制定されようとした。このとき、マスメディアは自分たちのことであったため、ここなどのように反対運動を重ね、自主規制的規制をつぶしたことがある。
今回は、マスメディアは動かないかもしれない。インターネットユーザーの底力が試されていると言ってもよい。頑張りましょう!
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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