小泉首相が8月15日,参拝をした。まぁ,もう首相を辞めることになっており,先のことを考える必要がない(と思ってる)んだから,参拝を止めることはできんわなぁ…。それにしても,小泉首相のインタビューを聞いていると小泉のずる賢さがよく分かる。小泉は次のように述べた。
「過去5年間の私の靖国参拝に対する批判は3点に要約される。一つは中国、韓国が不愉快な思いをしているから、やめろという意見。私は日中、日韓友好論者だ。一つの意見の違いがあると首脳会談を行わないことがいいのかどうか。私を批判する方は、つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ。もし、私が一つの問題で不愉快な思いをしたから中国、韓国と首脳会談を行わない、と言ったらどちらを批判するか。
もうひとつは、A級戦犯が合祀されているから行っちゃいかんという議論。私は特定の人に対して参拝しているんじゃない。一部で許せない人がいるから、圧倒的多数の戦没者の方々に対して哀悼の念を持って参拝するのがなぜ悪いのか。私はA級戦犯のために行っているんじゃない。
第3点は憲法違反だから、参拝をしちゃいかんと。憲法第19条、思想および良心の自由は、これを侵してはならない。これをどう考えるか。まさに心の問題」(朝日)
最初に,一番簡単にクリアできる中国,韓国の話を持ち出している。確かに,小泉の行為が憲法上の問題をはらむような重要なことでなければ,「私を批判する方は、つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ」という言い方をすることもできるかもしれない。共感する人も多いだろう。
しかし,ポイントは,小泉がしていることは,憲法違反ではないかという重大な疑義があることだということだ。その前提を無視して,「つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ」という言い方をするのが小泉流。
例えば,浮気をした妻がいて,それを夫に問いつめられたときに,「あなたが不快に思うことを一切するなということか?」と開き直っているようなもんだ。確かに箸をつかうときに,左手と右手を交互に使うくせがある妻が,それを注意されたときに「あなたが不快に思うことを一切するなということか」と言うことには一理ある。しかし,浮気した妻が「あなたが不快に思うことを一切するなということか」と言ったら,ただの逆ギレ!
次に,A級戦犯の問題を取り上げ,「私はA級戦犯のために行っているんじゃない」という。これも結構共感されやすい発言だ。
しかし,A級戦犯問題が現に複雑な問題となっていることを知っていながら,参拝した以上,そういう言い訳は通らない。妻が夫から再三,「元同級生の小泉純一郎とは食事に行くな。君は彼のことがいまでも好きなんだろう」と言われていた場合,妻が小泉と食事に行っているところがばれた際に,妻が小泉から重要な相談があるからって言われたんだと言い訳し,「私は自分が小泉に会うために行っているんじゃない」と言ったら,これもやっぱり逆ギレ!
そして,最後に答えようのない,違憲問題。小泉は,「憲法第19条、思想および良心の自由は、これを侵してはならない。これをどう考えるか。まさに心の問題」という。このような言い方をすると「内心の自由」なんだからいいじゃないかという気もしないではない。
しかし,内心の自由が行為となって表れていることが問題なのだ。妻がいまでも小泉を好きでいてもそれは仕方がない。夫だって,内心そう思っている分には,どうしようもない。
しかし,いったん,妻が小泉と食事に行った以上,それは内心の問題ではすまない。小泉と食事に行ったことを批判された妻が「私が小泉をいまでも好きかどうかなんて分からないでしょう。私は小泉から相談をされたから会っただけ。会う会わないは,私が決めること。私の心の問題よ」と言ったら,それも逆ギレ。
結局小泉は,「なぜ,遠くから,頭を下げて祈るのではなく,わざわざ,参拝をするのか」という根本的な疑問には答えていない。
記者達もそのような質問を一切していない。この日あることが分かっていながら,記者達は何を質問すればよいかを考えていなかったのか?
「心の問題」と来たら,「君が代で起立しなかったために,処分される教員の心の問題について,どう思うのか」ぐらいは切り返せないのか!
日弁連のような意思決定に時間が必要な「組織」でさえ,かねてより準備をしていた会長談話を直ちに発表しているのに…。
会長談話は,
【小泉純一郎内閣総理大臣は、公約において表明していたとおり、終戦記念日である本日(8月15日)、広く報道される状況下において、往復に公用車を使用し、内閣総理大臣秘書官を同行させ、内閣総理大臣の肩書で記帳及び献花をして靖国神社に参拝した。このような形で行われた参拝は、内閣総理大臣として行われた公式参拝と評価せざるを得ない。 】
と事実認定し,
【日本国民は、先の大戦において靖国神社の国家神道化が軍国主義を支える重大な役割を果たし、戦争の惨禍を招いたことを教訓とし、日本国憲法を制定し、平和主義とともに、制度的保障の一つとして政教分離の原則を掲げた。これにより、靖国神社は、国の管理を離れ、それまでの特権を失い、単立の宗教法人となった。 】
と歴史を振り返ったうえで,
【日本国憲法の政教分離原則(憲法20条1項後段、20条3項、89条前段)は、政治と宗教の厳格な分離を定めたものであって、厳しく遵守が求められる。国政の最高責任者である内閣総理大臣が、その地位にあるものとして一宗教法人である靖国神社に公式参拝することは、同神社を援助、助長、促進する効果をもたらすものとして、国の宗教活動の禁止を定めた憲法20条3項の精神に悖ることは明らかである。
内閣総理大臣は、憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負い、政教分離等の原則をうたう日本国憲法を遵守し、さらにその実現に力を尽くすべき義務がある。しかるに、国政の最高責任者である内閣総理大臣が、政教分離原則に反して靖国神社に公式参拝することは、このような憲法上の各義務にも違背するものである。】
と明確に批判している。
メディアは,小泉参拝に向けていかなる紙面を組む予定でいたのか?そしてそれについて,社内でいかなる協議がなされたのか…。
靖国関連過去エントリー:ここ,ここなど
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「過去5年間の私の靖国参拝に対する批判は3点に要約される。一つは中国、韓国が不愉快な思いをしているから、やめろという意見。私は日中、日韓友好論者だ。一つの意見の違いがあると首脳会談を行わないことがいいのかどうか。私を批判する方は、つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ。もし、私が一つの問題で不愉快な思いをしたから中国、韓国と首脳会談を行わない、と言ったらどちらを批判するか。
もうひとつは、A級戦犯が合祀されているから行っちゃいかんという議論。私は特定の人に対して参拝しているんじゃない。一部で許せない人がいるから、圧倒的多数の戦没者の方々に対して哀悼の念を持って参拝するのがなぜ悪いのか。私はA級戦犯のために行っているんじゃない。
第3点は憲法違反だから、参拝をしちゃいかんと。憲法第19条、思想および良心の自由は、これを侵してはならない。これをどう考えるか。まさに心の問題」(朝日)
最初に,一番簡単にクリアできる中国,韓国の話を持ち出している。確かに,小泉の行為が憲法上の問題をはらむような重要なことでなければ,「私を批判する方は、つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ」という言い方をすることもできるかもしれない。共感する人も多いだろう。
しかし,ポイントは,小泉がしていることは,憲法違反ではないかという重大な疑義があることだということだ。その前提を無視して,「つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ」という言い方をするのが小泉流。
例えば,浮気をした妻がいて,それを夫に問いつめられたときに,「あなたが不快に思うことを一切するなということか?」と開き直っているようなもんだ。確かに箸をつかうときに,左手と右手を交互に使うくせがある妻が,それを注意されたときに「あなたが不快に思うことを一切するなということか」と言うことには一理ある。しかし,浮気した妻が「あなたが不快に思うことを一切するなということか」と言ったら,ただの逆ギレ!
次に,A級戦犯の問題を取り上げ,「私はA級戦犯のために行っているんじゃない」という。これも結構共感されやすい発言だ。
しかし,A級戦犯問題が現に複雑な問題となっていることを知っていながら,参拝した以上,そういう言い訳は通らない。妻が夫から再三,「元同級生の小泉純一郎とは食事に行くな。君は彼のことがいまでも好きなんだろう」と言われていた場合,妻が小泉と食事に行っているところがばれた際に,妻が小泉から重要な相談があるからって言われたんだと言い訳し,「私は自分が小泉に会うために行っているんじゃない」と言ったら,これもやっぱり逆ギレ!
そして,最後に答えようのない,違憲問題。小泉は,「憲法第19条、思想および良心の自由は、これを侵してはならない。これをどう考えるか。まさに心の問題」という。このような言い方をすると「内心の自由」なんだからいいじゃないかという気もしないではない。
しかし,内心の自由が行為となって表れていることが問題なのだ。妻がいまでも小泉を好きでいてもそれは仕方がない。夫だって,内心そう思っている分には,どうしようもない。
しかし,いったん,妻が小泉と食事に行った以上,それは内心の問題ではすまない。小泉と食事に行ったことを批判された妻が「私が小泉をいまでも好きかどうかなんて分からないでしょう。私は小泉から相談をされたから会っただけ。会う会わないは,私が決めること。私の心の問題よ」と言ったら,それも逆ギレ。
結局小泉は,「なぜ,遠くから,頭を下げて祈るのではなく,わざわざ,参拝をするのか」という根本的な疑問には答えていない。
記者達もそのような質問を一切していない。この日あることが分かっていながら,記者達は何を質問すればよいかを考えていなかったのか?
「心の問題」と来たら,「君が代で起立しなかったために,処分される教員の心の問題について,どう思うのか」ぐらいは切り返せないのか!
日弁連のような意思決定に時間が必要な「組織」でさえ,かねてより準備をしていた会長談話を直ちに発表しているのに…。
会長談話は,
【小泉純一郎内閣総理大臣は、公約において表明していたとおり、終戦記念日である本日(8月15日)、広く報道される状況下において、往復に公用車を使用し、内閣総理大臣秘書官を同行させ、内閣総理大臣の肩書で記帳及び献花をして靖国神社に参拝した。このような形で行われた参拝は、内閣総理大臣として行われた公式参拝と評価せざるを得ない。 】
と事実認定し,
【日本国民は、先の大戦において靖国神社の国家神道化が軍国主義を支える重大な役割を果たし、戦争の惨禍を招いたことを教訓とし、日本国憲法を制定し、平和主義とともに、制度的保障の一つとして政教分離の原則を掲げた。これにより、靖国神社は、国の管理を離れ、それまでの特権を失い、単立の宗教法人となった。 】
と歴史を振り返ったうえで,
【日本国憲法の政教分離原則(憲法20条1項後段、20条3項、89条前段)は、政治と宗教の厳格な分離を定めたものであって、厳しく遵守が求められる。国政の最高責任者である内閣総理大臣が、その地位にあるものとして一宗教法人である靖国神社に公式参拝することは、同神社を援助、助長、促進する効果をもたらすものとして、国の宗教活動の禁止を定めた憲法20条3項の精神に悖ることは明らかである。
内閣総理大臣は、憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負い、政教分離等の原則をうたう日本国憲法を遵守し、さらにその実現に力を尽くすべき義務がある。しかるに、国政の最高責任者である内閣総理大臣が、政教分離原則に反して靖国神社に公式参拝することは、このような憲法上の各義務にも違背するものである。】
と明確に批判している。
メディアは,小泉参拝に向けていかなる紙面を組む予定でいたのか?そしてそれについて,社内でいかなる協議がなされたのか…。
靖国関連過去エントリー:ここ,ここなど
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慰霊を行いに神社へお出かけしただけ。
たったこれだけのことです。
追記:それとヤメ蚊さん
小泉首相を「小泉」と呼び捨てにするあたり、
小泉首相に敬意のけの字も抱いていないことはよーくわかりました。
ま、それはあなたの勝手ですが、ひとりの社会人として
あなたに対し何ともいえない「怒り」と「哀しみ」を感じました。
あんたはなぜ「閣下」をつけない。
靖国で騒いでた学のなさそうなウヨですら、垂れ幕に
「小泉総理大臣閣下」
と書いてたぞ。
不敬だ不敬。ハラキレ。
そういえば,弁護士大幅増員を決定した日弁連総会で,増員反対派が,「平成の鬼平」と異名をとった「中坊公平」元日弁連会長(大幅増員推進派)について言及した際,ついつい「中坊先生」と言ったら,すかさず,会場から,「中坊を先生と呼ぶな」(記憶不鮮明です。もしかしたら,さん付けをしたら,中坊を「さん」付けするなと言ったのかも知れない)というヤジが飛んだことを思い出します…。
つまり、靖国神社とは「天皇陛下」を国家の最高権力者とし、「天皇陛下」の命令は絶対であるとする国家体制を実現し、復活させんとする皇国史観に基づく宗教団体である。
靖国神社は宗教団体であると共に、主権在君の大日本帝国の国家体制を実現せんとする政治団体でもあるといえる。
靖国神社の宗教性をこうした一種独特の政治思想を踏まえて認識する時、「靖国問題」は単にアジア諸国に対する戦争加害問題であるだけではない。
「靖国問題」は「国民主権」を国家権力に義務づける日本国憲法下を生きる日本国民の内政問題であり、その問題は①日本国民(当時の「非国民」)に対する日本国家権力の戦争責任問題。②日本国を「主権在君」の日本の国家権力に戻すか、「主権在民」の日本の国家権力かで未来を切り拓くかを決める日本の内政主権問題となるのである。
憲法改正・教育基本法改正・共謀罪創設・国民投票法制定等、国家権力と国民主権の問題が現実政治上の重大問題として自公連立政権から国民に対し提起されている政治情勢がある。
それらと関係させて「靖国問題」を学習する意味は、06年秋の臨時国会、07統一地方選挙、参議院選挙への日本国民の態度・投票行動にある。
①「主権在君」か、「主権在民」か。
②「軍拡政府」か、「軍縮政府」か。
③「アジア諸国との共生か」、「米国との軍事同盟か」
「靖国問題」の提起する思想問題は世界の平和・日本の平和への岐路につながる重大な社会的意義を持つ「思想」問題である。
通りすがりさんは敬意に関しては個人の自由で済ませています。
敬意は別に抱いてなくても一国の首相を呼び捨てにするのは社会人としてモラルがないのでは?という問いかけのように私には思えます。
ヤメ蚊さん自身が「このブログのコメント・TBするには面と向かって話して非常識だと思われない表現をするように」という事をコメント者等に求めています。
一国の首相を呼び捨てにする行為は「面と向かって話したら非常識と判断されても仕方がない行動」ではないでしょうか?
そんなもん「常識」かどうかで決められることですかね?しかも誰が「常識」なんて基準をきめられるのでしょう?
戦中軍部は「天皇を国民に敬え」と言って軍部内では「天ちゃん」と呼んでいたそうではないですか。笑 まあ天皇制を利用していたってことですね。
ところで、ヤメ蚊さんは高橋哲哉さんの「靖国問題」
は読まれましたか?歴史的な分析など、すごく丁寧に解説されていますので、もしまだ読まれていなかったら是非お読みください。おすすめです。
右翼の方々、そんなくだらない議論をしている暇があったら、もっとあなた方の粗雑な理論を磨けばどうですか?笑
憲法も守らない相手にモラルを守る必要があるのだろうか…。
そいでもって、おまいさんは朝鮮民主主義人民共和国のトップの人をなんて呼ぶのだね? 教えてほしいものだ。
「田中の奴がさぁ…」の代わりに「小泉がさぁ…」,というわけです。
一国の首相…たる資格なしというのが主権者の一員たる私の,公僕たる小泉に対する意見です。
相も変わらず、訳の解らんコメントをする人がいるもんですね。
面倒でしょうが、丁寧にコメントされているヤメ蚊さまには、頭が下がります。
私は、すぐに馬鹿にしちゃって、無用の論争に発展させてしまいます。
人間性を磨かないといけないなぁと思ってはいるんですが…。
私のこのコメントにレスは無用です。
ヤメ蚊さまのお時間が勿体無い。
私の感想文ですから。
では、失礼致します。
まるでたとえ話になっておらず滅茶苦茶です。
私は靖国参拝は問題無いと思っているので、批判側の意見に興味があったのに残念です。