私が自由報道協会賞授与式で行なった挨拶について誤解されている方がいるようですので、この場を使って、挨拶の趣旨などについて説明させていただきたいと思います。
まず、私の挨拶でチベットの高僧の高貴な行為が傷つけられたと思われた方に謝罪いたします。私としてはそのような意図はまったくありませんでしたが、そのような受け止めをされる余地のある表現しかできなかったことは、本業も含め表現行為を糧としてきた者として不甲斐ないことです。故意ではないにしても傷つかれた方に謝罪する必要があります。本当に申し訳ありませんでした。
そのうえで、今回の発言がチベットの高僧の高貴な行為が傷つけるものではなく、来場された皆さんが笑った対象も、チベットの高僧の行為ではなかったことを説明したいと思います。
まず、私の挨拶を書き起こしてみましょう。
「はい、どうもありがとうございます。日隅一雄と申します。この度はこのような名誉ある賞の冠をつけさせていただいたうえに、プレゼンターとして呼んでいただきありがとうございます。
これまでに登場されたプレゼンターの方々が有名な方々で、「なんなんだ、こいつは」、ということで、私は昨日、東電の前でチベットの高僧のようにですね、火を、自殺をして私の名前を上げたほうがいいのかなと、悲愴な決意でここに来ているわけなんですが、真面目な話、数年前から私はブログの方で第二次大戦のこととか、それから、いろいろ、われわれが忘れてはならないことをずっと書き続けてきました。そのなかで今回大きな事故が起きて、この東電の事故も決して忘れてはならないという意味で、私の活動をみていただいて名前をつけていただいたのではないかと思って、非常に光栄に思っております。さきほどから、自由報道協会がいつまで続くのかという話があるんですが、ぜひ、50年、100年と、孫子の代まで、続けていただきたいと思っております。もし、途中で止まるようなことがあったら私は化けてでたいと思っておりますのでよろしくお願いします。」
以上のように、私は自分がほかの各賞のプレゼンター(田原総一朗氏など)に比べ、知名度が極端に低いことから、そのような自分が最高の賞である大賞のプレゼンターであるどころか、大賞に「日隅一雄賞」という冠までつけていただいたことについて、非常に恐縮していましたし、「日隅って誰だ?」と聞いた方が戸惑うのではないかと心配をしていました(現在もそう感じています)。
そのことを表現するために、本来、冠までつけてもらうためには、もっと知名度が上がっていなければならない、とはいえ、時間がなから、例えば、自分の名前が世間に知られるような行為をしなければならないと表現することで、私の恐縮している気持ち、心配している気持ちを表そうとしました。ストレートにその話をしただけで工夫がありませんから、自虐ネタとして話したうえ、何か、わかりやすい比喩を使おうと考えました。
そこで浮かんだのがチベットの高僧が焼身自殺をしてまで中国政府の圧政に抗議する姿です。今年になっても抗議の自殺のニュースが流れていました。
実は、今回の東電原発の事故で、私は、抗議の自殺が起きるのではないか、政府や東電はそれぐらいの事が起きていることを理解しているのか、そういう怒りを常に持っていました。そんななか、私自身の余命が癌によって半年と限られていることが分かりました。私は、最後に自分に何が出来るかを考えました。その選択肢のひとつとして、抗議の自殺ということが頭をよぎったことがありました。東電前あるいは所管官庁である経済産業省の前で自らの命を絶つことで事態にもっと真剣に取り組んでもらえるなら、それは意義のあることではないだろうか。しかし、私は東京在住の一市民にすぎず、直接、福島第一原発事故から自殺するほどの被害は受けていないし、チベットの高僧のように社会に大きな責任と義務感を持っている者、つまりそのような犠牲を伴う行為を行うことが崇高な行為であるとみなされる者ではありません。したがって、最後の行為としての選択肢からは外れました。
そういう思いもあり、比喩として、チベットの高僧の自殺という表現をしたのです。したがって、高僧の行為に対するリスペクトこそあれ、卑下するような気持ちは一切ありません
。「チベットの高僧」は、(抗議の)「自殺」を修飾する言葉であり、「名前を上げる」を修飾するものではないことも文脈から明らかです。
私が笑いながら話しているのがけしからんという方もいらしゃるかもしれませんが、私が笑っているのは、まさに、ほかの人とは比較にならないくらい知名度がない自分に対する自虐的な笑いです。
この私のユーモアに対し、会場内で笑いが起きました。しかし、チベットの高僧について笑った者は一人もいなかったでしょう。みんなは、私の自虐ネタを理解して笑ったわけです。
チベットの高僧を対象とした笑いではないことは、私の挨拶から「チベットの高僧」という部分を削除しても、同じように自虐ネタとして成立していることから明らかです。しかし、その場合、なぜ、東電の前で自殺するのか、ちょっとわかりにくくなります。ところが、「チベットの高僧」という例を挙げれば、抗議の自殺という意味なんだなということが簡単にわかります。そこで、「チベットの高僧」という表現をしたのです。もし、ベトナム戦争の時期であれば、「ベトナムの高僧」という表現をしたでしょう。
さらに、私自身これまでブログの中で、チベットの市民に対する中国政府による弾圧について何度か批判的な観点から書いています。
【ついに、中国チベット自治区ラサ市民に対する当局の弾圧の様子が明らかになり始めた。インド北部ダラムサラに拠点を置くチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の亡命政府(http://www.tibethouse.jp/home.html)によると、ラサ市内で少女5人を含む80人の遺体が確認されたという(※1)。
他方、中国政府のチベット管轄当局は、デモ参加者らに対し、17日夜までの降伏を呼びかけた。自治政府のウェブサイト(www.tibet.gov.cn)では「期限までに投降しない犯罪者は法に従って厳しく罰する」と通告しているという。
CNNは、警察が捜査する様子を撮影したビデオを流している(http://edition.cnn.com/video/#/video/world/2008/03/16/vo.tibet.lhasa.police.hktv?iref=mpvideosview)。
チベット自治区での市民に対する中国政府の弾圧は、これまでも報道されてきたが、今回の弾圧は見過ごすことはできない。
おそらく多くの中国市民は、このラサの弾圧を正確に知ることができないと思う。中国テレビの映像は、暴動の様子を伝えるのみで、警察側の弾圧により死亡した人数などは報道されないだろう。
いま、中国市民は北京オリンピックに注目している。したがって、オリンピックボイコットを持ち出せば、市民もチベット暴動の真相を知ろうとするはずだ。
マスメディアにとってオリンピックは稼ぎ時だ。しかし、今回の弾圧に目をつむることが報道機関としてとるべき途だろうか。
中国の市民とともに中国政府の民主化を実現するためにも、日本のマスメディアからオリンピックボイコットすべしとの提言がなされることを期待したい。】(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/1d42556b467792f1dbb222e4efb8c598)
【チベットでは、中国は武器使用はなかったと否定するが、現実には遺体には銃創が残っている(遺体が明確にアップで写っているショッキングな画像なので、見たくない人は、クリックしないでください。※1)。この画像を見ても、北京オリンピックに参加することに賛成しますか。オリンピックが稼ぎ時であるメディアにはなかなか言えないだろうから、市民が言うしかない。抗議のメールっていうのは、橋本知事に苦言を呈した女子職員にではなく、オリンピックボイコットを言い出さない政府やメディアに対して送るべきだ。※1の画像を毎日でも送りつけてやりたいくらいだ。】(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/b07e99464b8f781b5f64c7922feef573)
また、中国国境警備隊がネパールに逃れる途上のチベット人グループを狙撃した件について、中国の温家宝首相らに対するアムネスティの抗議活動を紹介したこともあります(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/b96056e1a440184ce641eff44898acc0)。
したがって、私のポリシーとしても、チベットの高僧の評価を低下させることなどありえないことなのです。
最後にもう一度、不快な思いをさせた方に謝罪し、説明を終えたいと思います。中国政府に抑圧されたチベットの民、自国政府に抑圧された北朝鮮の民、世界中の抑圧された民が一刻も早くその抑圧から逃れることを心から願っています。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて:Gilbert's Nuremberg Diary)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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まず、私の挨拶でチベットの高僧の高貴な行為が傷つけられたと思われた方に謝罪いたします。私としてはそのような意図はまったくありませんでしたが、そのような受け止めをされる余地のある表現しかできなかったことは、本業も含め表現行為を糧としてきた者として不甲斐ないことです。故意ではないにしても傷つかれた方に謝罪する必要があります。本当に申し訳ありませんでした。
そのうえで、今回の発言がチベットの高僧の高貴な行為が傷つけるものではなく、来場された皆さんが笑った対象も、チベットの高僧の行為ではなかったことを説明したいと思います。
まず、私の挨拶を書き起こしてみましょう。
「はい、どうもありがとうございます。日隅一雄と申します。この度はこのような名誉ある賞の冠をつけさせていただいたうえに、プレゼンターとして呼んでいただきありがとうございます。
これまでに登場されたプレゼンターの方々が有名な方々で、「なんなんだ、こいつは」、ということで、私は昨日、東電の前でチベットの高僧のようにですね、火を、自殺をして私の名前を上げたほうがいいのかなと、悲愴な決意でここに来ているわけなんですが、真面目な話、数年前から私はブログの方で第二次大戦のこととか、それから、いろいろ、われわれが忘れてはならないことをずっと書き続けてきました。そのなかで今回大きな事故が起きて、この東電の事故も決して忘れてはならないという意味で、私の活動をみていただいて名前をつけていただいたのではないかと思って、非常に光栄に思っております。さきほどから、自由報道協会がいつまで続くのかという話があるんですが、ぜひ、50年、100年と、孫子の代まで、続けていただきたいと思っております。もし、途中で止まるようなことがあったら私は化けてでたいと思っておりますのでよろしくお願いします。」
以上のように、私は自分がほかの各賞のプレゼンター(田原総一朗氏など)に比べ、知名度が極端に低いことから、そのような自分が最高の賞である大賞のプレゼンターであるどころか、大賞に「日隅一雄賞」という冠までつけていただいたことについて、非常に恐縮していましたし、「日隅って誰だ?」と聞いた方が戸惑うのではないかと心配をしていました(現在もそう感じています)。
そのことを表現するために、本来、冠までつけてもらうためには、もっと知名度が上がっていなければならない、とはいえ、時間がなから、例えば、自分の名前が世間に知られるような行為をしなければならないと表現することで、私の恐縮している気持ち、心配している気持ちを表そうとしました。ストレートにその話をしただけで工夫がありませんから、自虐ネタとして話したうえ、何か、わかりやすい比喩を使おうと考えました。
そこで浮かんだのがチベットの高僧が焼身自殺をしてまで中国政府の圧政に抗議する姿です。今年になっても抗議の自殺のニュースが流れていました。
実は、今回の東電原発の事故で、私は、抗議の自殺が起きるのではないか、政府や東電はそれぐらいの事が起きていることを理解しているのか、そういう怒りを常に持っていました。そんななか、私自身の余命が癌によって半年と限られていることが分かりました。私は、最後に自分に何が出来るかを考えました。その選択肢のひとつとして、抗議の自殺ということが頭をよぎったことがありました。東電前あるいは所管官庁である経済産業省の前で自らの命を絶つことで事態にもっと真剣に取り組んでもらえるなら、それは意義のあることではないだろうか。しかし、私は東京在住の一市民にすぎず、直接、福島第一原発事故から自殺するほどの被害は受けていないし、チベットの高僧のように社会に大きな責任と義務感を持っている者、つまりそのような犠牲を伴う行為を行うことが崇高な行為であるとみなされる者ではありません。したがって、最後の行為としての選択肢からは外れました。
そういう思いもあり、比喩として、チベットの高僧の自殺という表現をしたのです。したがって、高僧の行為に対するリスペクトこそあれ、卑下するような気持ちは一切ありません
。「チベットの高僧」は、(抗議の)「自殺」を修飾する言葉であり、「名前を上げる」を修飾するものではないことも文脈から明らかです。
私が笑いながら話しているのがけしからんという方もいらしゃるかもしれませんが、私が笑っているのは、まさに、ほかの人とは比較にならないくらい知名度がない自分に対する自虐的な笑いです。
この私のユーモアに対し、会場内で笑いが起きました。しかし、チベットの高僧について笑った者は一人もいなかったでしょう。みんなは、私の自虐ネタを理解して笑ったわけです。
チベットの高僧を対象とした笑いではないことは、私の挨拶から「チベットの高僧」という部分を削除しても、同じように自虐ネタとして成立していることから明らかです。しかし、その場合、なぜ、東電の前で自殺するのか、ちょっとわかりにくくなります。ところが、「チベットの高僧」という例を挙げれば、抗議の自殺という意味なんだなということが簡単にわかります。そこで、「チベットの高僧」という表現をしたのです。もし、ベトナム戦争の時期であれば、「ベトナムの高僧」という表現をしたでしょう。
さらに、私自身これまでブログの中で、チベットの市民に対する中国政府による弾圧について何度か批判的な観点から書いています。
【ついに、中国チベット自治区ラサ市民に対する当局の弾圧の様子が明らかになり始めた。インド北部ダラムサラに拠点を置くチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の亡命政府(http://www.tibethouse.jp/home.html)によると、ラサ市内で少女5人を含む80人の遺体が確認されたという(※1)。
他方、中国政府のチベット管轄当局は、デモ参加者らに対し、17日夜までの降伏を呼びかけた。自治政府のウェブサイト(www.tibet.gov.cn)では「期限までに投降しない犯罪者は法に従って厳しく罰する」と通告しているという。
CNNは、警察が捜査する様子を撮影したビデオを流している(http://edition.cnn.com/video/#/video/world/2008/03/16/vo.tibet.lhasa.police.hktv?iref=mpvideosview)。
チベット自治区での市民に対する中国政府の弾圧は、これまでも報道されてきたが、今回の弾圧は見過ごすことはできない。
おそらく多くの中国市民は、このラサの弾圧を正確に知ることができないと思う。中国テレビの映像は、暴動の様子を伝えるのみで、警察側の弾圧により死亡した人数などは報道されないだろう。
いま、中国市民は北京オリンピックに注目している。したがって、オリンピックボイコットを持ち出せば、市民もチベット暴動の真相を知ろうとするはずだ。
マスメディアにとってオリンピックは稼ぎ時だ。しかし、今回の弾圧に目をつむることが報道機関としてとるべき途だろうか。
中国の市民とともに中国政府の民主化を実現するためにも、日本のマスメディアからオリンピックボイコットすべしとの提言がなされることを期待したい。】(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/1d42556b467792f1dbb222e4efb8c598)
【チベットでは、中国は武器使用はなかったと否定するが、現実には遺体には銃創が残っている(遺体が明確にアップで写っているショッキングな画像なので、見たくない人は、クリックしないでください。※1)。この画像を見ても、北京オリンピックに参加することに賛成しますか。オリンピックが稼ぎ時であるメディアにはなかなか言えないだろうから、市民が言うしかない。抗議のメールっていうのは、橋本知事に苦言を呈した女子職員にではなく、オリンピックボイコットを言い出さない政府やメディアに対して送るべきだ。※1の画像を毎日でも送りつけてやりたいくらいだ。】(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/b07e99464b8f781b5f64c7922feef573)
また、中国国境警備隊がネパールに逃れる途上のチベット人グループを狙撃した件について、中国の温家宝首相らに対するアムネスティの抗議活動を紹介したこともあります(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/b96056e1a440184ce641eff44898acc0)。
したがって、私のポリシーとしても、チベットの高僧の評価を低下させることなどありえないことなのです。
最後にもう一度、不快な思いをさせた方に謝罪し、説明を終えたいと思います。中国政府に抑圧されたチベットの民、自国政府に抑圧された北朝鮮の民、世界中の抑圧された民が一刻も早くその抑圧から逃れることを心から願っています。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて:Gilbert's Nuremberg Diary)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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