総務省が、パブリックコメントを募集している「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」(座長:堀部政男 一橋大学名誉教授)の「中間取りまとめ」について、あまりの驚きに少し筆が滑ったところがあったので、「その2」(←クリック)について少し、穏やかなタッチに変えました【なお、その1、その3(←クリック)もご覧下さい】。そこでは、マスメディアに利権があるから、中間取りまとめに反対しないのだ、という指摘をしました。しかし、ちょっと、指摘の仕方が後ろ向きだったかもしれません。つまり、「マスメディアの皆さんもこの中間取りまとめに反対するべきだ」という書き方の方がこの緊急事態時には、適切だったということです。
【戦前、満州事変(1931年)やその後の日中事変(1937年)に際して、当初は戦線不拡大を唱えた朝日だったが、軍部支持を打ち出していた毎日との対抗上、軍縮路線を変更して戦争協力に転換した〔前坂俊之、1989〕。権力に迎合するという側面より以上に、世論に迎合し他社との競争上、その論調を変えるということが、新聞を売るための方便として起こったことの好例である】(柴山哲也著「日本型メディアシステムの興亡」193頁)
【軍部と翼賛体制に協力迎合した商業新聞への批判者は、吉野作造、石橋湛山、桐生悠々といったごく少数の言論人に過ぎなかった。桐生は、「この戦争で儲けるものは軍需工業者と新聞社だろう。彼らが戦争を歓迎するのは無理はない」〔桐生、1990〕と述べている。また、『東洋経済新報』の主筆・石橋湛山は、2・26事件後の新聞について、「彼等(新聞人)は口を開けば言論の不自由を云ふ。なる程、現代日本において言論の自由のないことは、同じく筆の色に従ふところの記者が何人よりもこれを心得てゐる。しかしながら、世には現在の言論の許される程度において、言論機関が報道し、批判しうることが山ほどあるのである。…(略)…現時の言論機関の有力さを以てして、協力さえすればそれが出来ないわけはない。言論自由が不足してゐるのは、かれ等にこれを得んとする熱意がないからなのだ」といって、言論機関の見識のなさ、勇気のなさを慨嘆している〔石橋湛山「不祥事件と言論機関の任務」『東洋経済新報』1936年3月7日号〕】(前掲柴山、同書192~193頁)
その結果、【当時の新聞を点検してみると、ポツダム宣言が発せられ、広島、長崎に原爆が投下されてもなお最後まで徹底抗戦を叫び続けてはいるが、国民の犠牲が増え続つづける戦争の継続に異を唱え、犠牲と被害を最小限に食くい止めるよう政府や軍部に社説で提言した形跡はない。戦後、日本の新聞を検閲しプレスコードを敷いたGHQの担当官は、「日本の新聞は虚偽の報道をして国民に災禍をもたらした」といった〔有山、前掲書〕】(前掲柴山、同書193頁)という事態に至ったのだ。
そして、このように翼賛的な新聞と化していく過程で、転換点の一つは、日本の満州占領について国際連盟がリットン報告書で批判した後に、新聞各社が「21日会」なる懇談会を通じて見解をまとめ、132社が連名で「満州の政治的安定は、極東の平和を維持する絶対の条件である」とする書き出しで国際連盟を脱退してでも満州占領を貫けという趣旨の共同宣言を1932年12月19日、朝刊一面に掲載したことだった。
しかし、【共同宣言作成に当たった伊藤は敗戦前後の46年8月に執筆した『新版 新聞50年史』で「もしも21日会の共同宣言が連盟に留まる可しと疾呼し得たならば、其当時の軍部には未だ之を押し切る力は無かったし、日本の歴史は今日とは異なるものであったらう」と記している】(「朝日新聞取材班「戦後50年メディアの検証」33頁)。
そして、緒方竹虎も言う。【「筆者は今日でも、日本の大新聞が満州事変直後からでも、筆を揃へて軍の無軌道を警め、その横暴と戦ってゐたら、太平洋戦争はあるひは防ぎ得たのではないかと考へる。それが出来なかったについては、自らをこそ鞭つべく、国より人を責むべきではないが、当時の新聞界に実在した短見な事情が、機宜に『筆を揃へる』ことをさせず、徒らに軍ファッショに言論統制を思わしめる誘惑と間隙とを与へ、次々に先手を打たれたことも、今日訴へどころのない筆者の憾みである」】(前掲朝日新聞取材班、同書34頁)
以上、長々と引用したが、言いたいことは、2000年に「青少年社会環境対策基本法案」なる表現の自由規制法を自民党が制定しようとした時は、メディアの多くは、一斉に反対し、これを潰した。
しかし、上記法案以上に広く深く表現の自由を規制することになるであろう「中間取りまとめ」の方針については、メディアは、いまだ沈黙を守っている。パブリックコメントの期限は7月20日である。それに間に合うように、この中間とりまとめの問題点について、反対の共同声明を出し、一斉に社説やワイドショーで批判するべきではないか。
光市母子殺人事件の弁護団について批判的な番組を流す時間があるなら、なぜ、この問題を取り上げないのか?
戦前についての反省をいまこそ生かすべきではないのか?
いま、まさに、満州事変のときに、迫られた選択をなさんとしていることに、メディア各社が気付いてほしい。
表現の自由の制約に目をつむり、インターネットという市場での自社の利益を優先するのではなく、本来、メディアが行うべき役割、権力監視機能を果たすべきではないか。
数十年後に、「あの中間取りまとめに反対しておけば、通信・放送検閲制度を阻止できたかも知れない…」という憾み節を書かなくてもよいように、子どもや孫に自分の書いた記事を誇ることができるように、頑張ってほしい。
そして、私たちネット利用者も、パブコメで意見を述べるだけでなく、インターネット規制に反対しないとは何事か、とテレビ、ラジオ、新聞に問いかけるべきだ。
多くの方にこの事態を伝えてほしい。もうパブコメの期限まで10日足らずしかない。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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カナダde日本語: BlogRankingにいつのまにか不正登録されちゃったよ (2007.07/05)
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