17音の世界をかけめぐる

日々の証を綴ります。季節、人情、知恵など、みなの思いが沢山こめられています。

迪子の俳句鑑賞(1月)

2007-01-06 05:02:17 | 17音の世界をかけめぐる
精一杯誠実に     石田 響子

前文略・・・・私は選句をするときに以下のことを基準にしているのだと気づく。

一、類句、または先行句がない。
二、類想的・常識的な発想が核になっていない。
三、常套的な借り物の表現に頼っていない。
四、嘘がない。
 「嘘がない」というのは、作者自身の思いや感覚に対して嘘がないということである。発想をねじ曲げて俳句らしい表現に調えた句にはどこかそらぞらしさが感じられるのだ。わたしはフィクションを否定するわけではない。むしろ事実を報告しただけの俳句は私の選では論外だと言ってよい。
 また季重なりや口語、破調については、慎重でありたいと肝に銘じてはいるが、かなり肯定的だ。無季についても肯定はするけれど、その意志を持った作者の作品ならば、という但し書きがつく。
 頭の中を整理してみたら、だいたい右のようなことになったが、選句に臨むときははっきりした基準があって機械的にふるいにかけるわけではないし、そんな権限はない。毎回迷いに迷った上での選となる。
 だから私は選者としてまるっきりアマチュアなのだと自覚している。ただ、精一杯誠実に、とおもっているばかりだ。      ・・・以下略

「港」俳句鑑賞          大牧 広      

 *夕張メロン届きて思ふ破綻都市      小池 溢
いま地方都市の財政事情によろ破綻が問題となっている。いろいろ複雑、というより「勝手」な要素がげ原因となっているようだ。一市民の目から見れば、国も地方都市も税金を私物化しているとしか目に映らない。ともあれ豪華な夕張メロンが届いた。その「豪華」から豪華無意味なハコモノ、催事場、それを想ったのである。庶民の怒りはつのるばかりである。

折々のうた  より      大岡 信

 *旅に病んで夢は枯野をかけめぐる     松尾 芭蕉
「笈日記」ほか所収。芭蕉最後の吟。彼は元禄七(1694)年たびさきの大阪で発病、各地の門人がかけつけてみとる中で、十月十二日逝去した。これは八日の作。辞世を意識した句ではない。弟子が辞世の句を乞うと、芭蕉は折々の句がすべて辞世だと答えたと「いう話が伝わっている。俳諧への執念の人はまた、それを妄執として刻々に断ち切ることを念じた人でもあった。それゆえ、この句は辞世の吟である。

 *霜柱俳句は切字響きけり          石田 波卿
「風切」(昭十八)所収。代表作の一つ。霜柱たつ寒気厳し朝、不意にひらめく断言命題。「切字」はヤ・カナ・ケリなど、句の中で切れる働きをする字をいう。しかし芭蕉は、切字に用いるなら「四十八字皆切字」ともいった。用はきっぱりときるか、
切らないか、気構えの問題だろう。しかし、ここでの波郷は、形式上の字使いにとどまらず、まずもって引き緊まった日本語を切望する気持ちを、「切字響きけり」の中にこめていたのだと思う。