バイオマスで電力と水素を生成 岩手県 宮古市 ブルータワー

2013-01-17 18:02:41 | 自然エネルギー

バイオマスで電力と水素を生成、復興だけでなく新産業創出を目指す

岩手県宮古市は2012年末からバイオマスを利用した大プロジェクトを立ち上げることを発表していたが、その詳しい内容が明らかになった。バイオマス発電設備を建設し、それを中核として都市の復興を目指す大掛かりな計画だ。

 
  宮古市はこの計画に「宮古市ブルーチャレンジプロジェクト」と名付け、2012年末からプロジェクトの名称をアピールしていた。2013年になって、いよいよその細かい内容が明らかになった。

 プロジェクトの中核となるのは「ブルータワー」と呼ぶバイオマス発電設備だ(図1)。ブルータワーは、2014年秋の稼働を目指している。これはジャパンブルーエナジーが開発した独自技術であり、単純に木質バイオマスを燃焼させて発電させる発電機とは仕組みが異なる。

図1 福岡県大牟田市で稼働中のブルータワー。新出光の子会社であるイデックスエコエナジーが運営している。出典:ジャパンブルーエナジー

 ブルータワーではバイオマスを直接燃焼させず、バイオマス原料を無酸素の状態に置いて高温で熱する。するとメタン(CH4)を多く含有するガスができる。このガスをガスコージェネレーションシステムに供給して発電する。発電能力は3MWの予定。発電した電力は、全量電力会社に売電する。ガス燃焼時に発生する熱は、農業で利用する。バイオマス原料を林業で発生する間伐材とすることで、林業の活性化も期待できる(図2)。

図2 ブルータワーが生み出す電力は全量売電し、発電時に発生する熱を農業で利用する。燃料を間伐材とすることで林業の活性化も期待できる。出典:宮古市

水素を活用する近未来像を描く

 ここまでは、既存のバイオマス発電施設とさほど用途は変わらない。宮古市ブルーチャレンジプロジェクトの特長は、将来図を描いて、その通りに発展していけるようにブルータワーを利用する点にある。

 ブルータワーで得たガスは、無酸素の状態に置いて水蒸気(H2O)を加えて加熱すると、水素(H2)を取り出せる。宮古市ブルーチャレンジプロジェクトでは、この水素を有効活用する計画を立てている。

 水素の用途としては、住宅や工場、園芸施設などに設置した燃料電池の燃料が挙げられる。現状の燃料電池は都市ガスなどを改質して水素を得ている。水素を直接得られれば、改質に必要なエネルギーを節約できる。

 もう1つは、燃料電池車の燃料だ。ブルータワー由来の水素を供給する水素ステーションを建設し、燃料電池車が自由に走れる環境を作る計画だ。トヨタ自動車、日産自動車、本田技研工業は2015年までに燃料電池車の量産を2015年までに始める計画を立てており、その時期に合わせて日本全国100カ所に水素ステーションを整備する予定になっている。ブルータワーの稼働開始は2014年秋。燃料電池車向け水素ステーションの整備も十分間に合う(図3)。

図3 ブルータワー由来の水素の主な用途。将来の燃料電池車の販売開始を見据えている。出典:宮古市

 さらに、太陽光発電や風力発電による電力を利用して水素を精製し、供給する新産業の創出を目指している。

 宮古市はブルータワーを震災で大きな被害のあった地区に、建設することを予定している。数ある再生可能エネルギー利用計画の中でも、ここまで将来を見据えた、野心的なものはないだろう。予測したとおりにプロジェクトが進めば、ブルータワーは震災復興の象徴となるだろう。


移動販売 女子大生が起業 三重県

2013-01-17 17:59:42 | 三重県

三重県紀北町周辺の過疎・高齢化が進む地域を、同町に住む大学生が移動販売車で巡回している。「買い物に行けない人を支えたい」と、販売を始めて2カ月余り。お年寄りを中心に少しずつ常連客が増え、地域に欠かせない存在になりつつある。
 
 移動販売の「店長」は、同町紀伊長島区東長島の、皇学館大学文学部4年東真央さん(21)。軽トラックの移動販売車に、「まおちゃんのおつかい便」の看板を掲げて、山間部から沿岸部まで自ら運転して巡回する。ルートは六つ。週1~3回と立ち寄る場所は、まちまちだが、1人しか要望のない場所も含めれば多い時で1日約30カ所を回る。
 
 昨年10月ごろ、就職活動を始めるに当たり、自分は何の仕事がしたいかを考えた。大学1年からコンビニエンスストアでアルバイトをしていたことから、「楽しい会話ができる商売がしたい」と思い始めた。
 
 一方、祖父母を車に乗せて買い物に連れて行くことも多く、自分の住む町で買い物に行きたくても行けない高齢者が増えている現状を知り、「ボランティアというより、ビジネスとして支えることができれば」と、移動販売を決意した。
 
 移動販売と仕入れに使う中古の軽トラック2台は、父(57)が用意してくれ、2月に母(46)と父の知人に協力を求めて販売を始めた。パンや総菜、菓子など食品を扱うため、講習を受けて食品を扱う食品衛生責任者の許可も取った。
 
 最初は仕入れ先との値段交渉や売り物の値段設定、警戒される客の対応に戸惑ってばかりだった。しかし、ほとんど休まずに巡回を続けるうちに次第に口コミで評判になり、現在は10人以上が来てくれる場所もある。ルート外の地域住民から、「こちらにも来て」と要望が増えると同時に、売り上げが多い地元企業にも立ち寄るようになった。
 
 手が足りないときには、家族や知人が手伝う。今では協力者が4人になった。4年生となり、大学に行くのは週1回程度だが、授業で仕事に行けない日は協力者に回ってもらう。
 
 同区島原で販売場所を提供する在宅ケアサービス管理者の曽我優加利さん(50)は「熱心に来てくれ、入所者たちも助かっています。ずっと続けてほしい」と励ます。

 「今でも仕入れとか難しくて、分からないことだらけ」という東さんだが、「これを始めて自分も変わったと思う。もうけはまだないけれど、待っている人がいると思うと、やりがいを感じる」。夢は法人化。1人を求人し、2台目の移動販売車も準備している。(百合草健二)