おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

お呼びがかかる

2010-12-11 | ■ サマザマな おはなし


明日は日曜ですが
急きょ 仕事上の 出番が

今日は その準備と ある学習のまとめ作業とで
ほぼ一日過ぎました



仕事上の研修会が最近多い

同年代の方 はるかはるかにお若い方 大先輩
などなど バラエティに富む年代の方と一緒になりますが
私は どんな年代の方とも友達になれる性格(らしい)

水がめ座 です

もっとも 星座占いがどれほどの根拠があるかは定かでないのですが 自分の判定では この部分は アタリ という感じ




先輩 そのゆえに尊重すべし
後輩は そのゆえに従順をモットーに
などと言われると 多少 違和感を覚えます




中学生が 部活の年長者とすれちがう時 
うやうやしく?礼を尽くす姿勢をことさらにとったりすると
『よほど 尊敬してるんだね』と つい尋ね
“別に・・・ただ そういうルールなんだ あまり好きじゃない
人なんだけど・・・”

なんぞと答えられると 
なんだか妙に虚しくなる時が・・・
『じゃ 立ち止まってまでして
あんなに深々と頭を下げなくともいいんじゃないの』
“でも ルールなんだ”


余計なことは言えませんでしたが
変なところで 時代に逆行しているような感じがして(大げさですが) いまどき そんなところまで自主性に影響を与えなくても
なんて 考えてしまいました

私の頃は 先輩であるという
そのことを妙にかざす輩は ほとんどいなかった
昭和30年代末の中学生生活でしたが


今は あれから ほとんど50年

先輩を ほぼ強制的に意識させられ
挨拶を ほぼ強制される
(もちろん 自己基準で礼を尽くすこともあるでしょうが 自発的に)
“県内 というより 全国どこでもじゃないの
同じようなルールになってるって言ってたよ”



潔い自己決定
潔い自己責任
潔さを貫ける自由意思
人生において 大事な大事な タカラモノだと
いつも思っています

ルール
ときどき やっかいなものだなと つくづく思います
どう考えても 不条理な 不合理なものが
大きな顔して ルールを通り越して
掟 みたいにのさばっているのを見ると
つい 一言多くなっている自分を見つけ
苦笑してしまいます

とくに権威の無い 成り上がり者の勝手に作ったような

そして それに意味なく同調するかのような周囲の人々
あー イヤダ イヤダ



選挙カーが ただひたすら嫌な記憶を植え付けた
某候補者名を連呼しながら
行きかっています
(知ってしまった人格というものは なかなか簡単に消し去れないものですね)

明日は 県議会と市議会の選挙日なのです

いつも記すことですが
車で名を流すことに どれほどの意義があるのでしょうか
立ち止まって 政見披露でもすれば別ですが


 

                                               

 

この記事についてブログを書く
« まだまだ ワンダーランド | トップ | 事の流れ »