おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

変る ?

2014-02-04 | ■ 業 務 エ ッ セ イ


長らく この日本では “奥ゆかしい” という観念が文化面のみでなく政治面でも重宝され? 
本来は 人生における貴重な指針のようなことで もちろん いい面での効用も多いはずの概念なのだろうが
この“奥ゆかしい” が必要な場面での批判までをも躊躇・断念・無関心にさせる力を産み 逆手にとった 品位の無い連中が中枢を占め
肝心なときに なんとも 心もとない グラグラ国家にしてきてしまった というようなことが 昭和の戦争前後には特に そうして戦後の政治の面でもあったような気がします

もっと具体的に言うと 『こういう方に トップになってほしいものだな』と思う方が ≪私は その器ではありません 別な方に託するのが良策≫等々 の “奥ゆかしい”心と言葉とともに 表舞台から 知らず知らず スウーッと消えていく
何度か そのような “奥ゆかしい”に 無念さと 諦観を覚えさせられた記憶がある

変にゆがんだ 奥ゆかしさの結果 言うべき人が言わず 数少ない言える人が黙り込み ずうずうしく品の無い輩がそそり出て
巷をかき回し この国の華を散らしていく
それでも これでも なんとか かんとか 組織・機構を生きながらさせてきてしまった?
その ツケとでも言えるような状況こそが 今のこの国の姿なのではなかろうか・・・
それが 主因とは言わぬまでも



どうして このような記事になったかというと
内容への賛否は別論として 必要以上に奥ゆかしくなく?
おそらく 打算がないとは言えぬまでも 打算よりもまずは自己信念主張 という型の これまでには そう多くはなかった行動優先思考型人 が 若くして広く強くものを言える人たちの間にも ボチボチ 漸次この国にも増えているのではないか と思うからだ

時代閉塞の現状 に対する 一種の願望もこめられての思いだが・・・

仲良しクラブの いわゆる学識経験者 政府関係諮問機関委員常連組なんぞよりは よほど 期待が持てる人たちなのではと すこしだけ ホッとしているのだ(偏屈爺さんの 超個人的感想)

基本的には現状価値無批判尊重一辺倒のような 某議会なんぞの閉塞感状況などをみると
私のようなものは 息苦しくて 息苦しくて・・・
(変わればいい ということもないかもしれないが 変わり様が
なさすぎる)
為政者 あるいは その周辺者は 曖昧にしていてはいけないことは損得・打算を抜きにして 態度表明を明確にせねばならないときがあるはずだ

もちろん どのような修羅場にも 一定の 人としてのマナーは必要
でも 信念語は けっこう ビシッと心にとどき 多少のマナー違反もゆるされるような気もしないではない

つまらない 品格の無い 信念の無い蠢くものらなんぞに負けるなー 
粋じゃなさすぎるような くだらない しがらみなんぞに 負けるなー

このことは 同派であろうが 反対派であろうが 本来は関係ないこと
つまらない粋でない縄に しばられすぎないで 人生を
という 生意気おじいさんからの なんともハッキリしないエールですが いろいろ抽象論(このあたりが 偏屈爺さんの狡さ)


個人情報保護・守秘義務・善管注意義務
などなど

確かに ハッキリとものを言いにくい面が 立場上 ありますね
いずれ ご隠居さんになって それこそ一切のしがらみなく言いたいことが言える日がくるのでしょうか?
(資格業は おおよそ 業務卒業後も そのまま守秘義務有り
なので・・オールフリー状態は不可能)
おおよその人は 結局 自分の周辺の者のことを思ったり
もう その頃は そうしたことへのエネルギーもそうとう鈍化して
日向ぼっこしながら フワッと生きながらえていくようになるのでしょうかね・・

 『 この齢になったら もう 遠慮なんかしていられない
言いたいことも サンザン 我慢してきたけれど  もうそんな鎖なんぞ いい加減 はずしたい 』 という類の言葉が 同年齢層の間から 聞こえることが多いが・・・どんなものやら






さて 昨日は 5年ごとの マンション管理士法定講習のため千葉県へ
朝から晩まで わずかな休憩以外(昼食タイムはありましたが)ビッシリ講義
お二人の大学教授さんと お二人の弁護士さんから貴重なお話を伺ったのでした

現行の規程の確認などを含む 実務要項の研修です
マンションの管理に関する法令及び実務に関する科目
マンション管理適正化法に関する科目
マンションの建物及び附属施設の構造及び設備に関する科目
管理組合の運営の円滑化に関する科目
質疑応答

明らかに マンション管理士試験範囲と同様
これを経ないと 資格上の不都合も生じ得ます
一応は 5年間の業務の担保の欠片に ということでしょうか?
意味のない制度とも言い切れない・・・と考えています
当然と言えば当然ですが 講習中 携帯電話対応のため席を外す などということは あり得ません
そんなことをしようものなら 法定修了無し

一旦 試験に合格さえすれば 後は オールオープンフリー
という国家資格制度がそうとう多い?と思われますが
資格業としては どうなのでしょう( 40年前の合格証書を持ち出され “ホラ 立派に合格してんだ 俺は” という場面で 『 更新研修は何年毎に 』 の問いに “ そんなもん あるわけあんめエ 一度もネエ ” と 得意気に?返答されたとき 利用者さん側はどんな思いをお持ちになるでしょうか )

ちなみに 行政書士資格そのものには 昨日の義務受講類似の制度はありません
各人の日々の研鑽に その時点での資格担保をゆだねる ということになります
自己管理尊重を徹底しているわけでしょうが 率直に言って ときどき これでいいのかな? という思いを抱くときがありますが・・ 

というわけで 研鑽 さらに 研鑽 というわけです

    
   http://toku4812.server-shared.com/