たなあげ通信8

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それだけで価値がある大学を

2019年01月03日 | キャンパス・エッセイ
https://youtu.be/r1gz-m5Ai_E


日本生命のコマーシャル。
亡き父親へ大学に合格したことを報告するまでの回想シーンがが感動的です。

しかし。しかしなんです。
大学入学がゴールになっていることに違和感を感じます。
一部のエリート大学以外は、もうすでにそんな時代ではない。いや。エリート養成大学でも既にそうなりつつある。
大学を卒業したということ自体はもうほとんど意味をなしません。大学で何を学び何ができるようになったのかという労働者としての個人的価値が求められているし、ホワイトカラーの仕事が急速に無くなっていくのに、いまだにそれが本質的に問題化されていません。やっているのは「学士力をいかに保証しているのかエビデンスを示せ」という文科省に対する「作文」を一生懸命に作成しているだけ。
簡単に言えば、AIにはできないことができるようにならなくてはいけないのに、世間ではまだまだ大学神話が信じられていて、大学入試をクリアすることが最大の目的のままです。
学生たちはバイトバイトで、その隙間に授業を受け課題をこなしているのがその実態。それでは「大学卒業証書を手に入れました」というだけ。せいぜい、オプションでなんとか免許や資格も取りましたというレベル。
まともに日本語も読めないし書けない多くの学生に卒業証書をあげて、それで「経営をうまくやっている」と思っている地方の私立大学がいかに多いか。入学希望者を増やして中途退学者を減らすために「大学って楽しいよ!」をピーアールすることが「営業」だと思っているのではないかと疑ってしまいます。
学生に媚び売るようなサービース機関になりつつあるのです。だから学生に対するリスペクトもなければ、教職員間にもリスペクトもない。学生が先生を尊敬するだけではなく、教師にも学生に対するリスペクトがなければ教育は成り立ちません。
地方の私立大学のいくつかは良く言っても専門学校化、学問や科学を追求する研究と教育の場では既にないのです。
そろそろ世間もそれに気がつくべきだと思います。
もちろん。既にそれに気付き良い実践している大学も少なくないし、個人的には必死に頑張っている先生も多い。
でも。多くの大学でそういう意識のない人が「経営」上層部を占めているのも現実。
大学に入学さえできれば、とか、大学を卒業すれば、在学中に免許や資格さえ取れば、という世間の誤解によって成り立っています。
世間がそれに気付くのが早いか、大学が本来の姿を取り戻すのが早いのか。私は当事者としてかなり悲観的です。今の大学とは別の高等教育機関を考えなくてはと思っています。
簡単に言えば、
就職に強いとか、楽しいとか、ではなく、
大学で学ぶこと自体に価値がある。
そんな教育機関を作らなくてはいけないと思うのです。


吉見俊哉 大学とは何か 岩波新書
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