“関東大震災”から、100年目の日。
100年も経ったら、もう、歴史上の出来事になってしまう。
あの、“阪神”が1995年で、もう、28年前の出来事、“東日本”が2011年で、12年前と、年々風化して、歴史に塗り添えられていく。
”東日本”の時は、午後の健診結果を説明している時で、大きなゆったりとした揺れを感じ、『これは・・・』っと思って、直ぐに診察室の戸を開けた。
地震で、ひずんで、戸が開けられなくなるとマズイから、そして、そっとその後を待った。
その後に、揺れはなく、建物は無事だったが、暫くは、時々停電の日々が続いた。
記憶は、これにプラスアルファ程度でしかない。
暫くは、スーパーの防災用品は売れていたが、ゆっくりと静かになっていった。
忘れては行けないだろうが、風化もないと疲れてしまう。
拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
自宅の防災は、緊急時のランタン、ペットボトルの2L飲料水が12本、その他少々。
TV等で、言われているよりは、遙かに少ないが、1週間分なんてのは、まず、無理。
後は、流れに委ねる他人任せになっている。
※ 「内閣感染症危機管理統括庁」が出来たと言うが、大丈夫~?
100年も経ったら、もう、歴史上の出来事になってしまう。
あの、“阪神”が1995年で、もう、28年前の出来事、“東日本”が2011年で、12年前と、年々風化して、歴史に塗り添えられていく。
”東日本”の時は、午後の健診結果を説明している時で、大きなゆったりとした揺れを感じ、『これは・・・』っと思って、直ぐに診察室の戸を開けた。
地震で、ひずんで、戸が開けられなくなるとマズイから、そして、そっとその後を待った。
その後に、揺れはなく、建物は無事だったが、暫くは、時々停電の日々が続いた。
記憶は、これにプラスアルファ程度でしかない。
暫くは、スーパーの防災用品は売れていたが、ゆっくりと静かになっていった。
忘れては行けないだろうが、風化もないと疲れてしまう。
拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
自宅の防災は、緊急時のランタン、ペットボトルの2L飲料水が12本、その他少々。
TV等で、言われているよりは、遙かに少ないが、1週間分なんてのは、まず、無理。
後は、流れに委ねる他人任せになっている。
※ 「内閣感染症危機管理統括庁」が出来たと言うが、大丈夫~?
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